人気の記事一覧

2024年の記録

1か月前

死への小路を残す——大阪大学感傷マゾ研究会における記録/記憶の倫理性と「同人誌」の可能性

2か月前

4.芸術的都市——潜在的中心:『都市巡礼』について

1か月前

「広大と芸術」ブックリスト+α(図書館展示記録: 1)

5か月前

1.序文——二重のデジタルデトックス:『都市巡礼』について

7か月前

2.多孔的都市——哲学の終焉:『都市巡礼』について

5か月前

初音ミクの水色——消失点にいる「君」を探して

5か月前

3.機械的都市——顕在的中心:『都市巡礼』について

4か月前

私達が皮肉なインスタレーションと化す——MUCA展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜感想

1年前

魔法と情動に抵抗する——デジタル時代における文学=ソースコードの必要性

1年前

「海辺に揺蕩う言葉たち」への長い導入文、およびこれまでのukiyojinguについて

1年前

写真の「死」に触れる――「TOPコレクション セレンディピティ:日常のなかの予期せぬ素敵な発見」展について

1年前

不気味な初音ミク——可不や小春六花にない可能性を探して

2年前

1960年代における筆跡の消去は今?——「Re: スタートライン 1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係」感想

1年前

過去と未来の接続点=「現在」の表象可能性——「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」感想

1年前

初音ミクの表皮——ボーカロイドの15年から見る「初音ミク」と「私たち」

2年前

美術の地層を巡って——「すべて未知の世界へ:GUTAI 分化と統合」展感想

2年前

都市の摩擦熱——近代と前近代がもたらすもの

2年前

神を殺した先の光景は何か——多量の飴『反復する日々の中で、神さまを殺そう』について

2年前

全く異なる思考をするあなたへ――「思考実装#10」にあたって

2年前

初音ミクの記憶——デジタルアーカイブはボーカロイド文化の何を残せるのか

2年前

私は果たして透明になり得たのか?——無色透名祭を終えて

2年前

《エンパイア》は呼吸する——『アンディ・ウォーホル・キョウト』展感想

2年前

エンコードされないものたち——ボカロ曲とテキストの関係性について

2年前

集合体への諦念・リアルな景色——「思考実装#9」にあたって

2年前

透明な集合体を目指すこと——「思考実装#8」にあたって

2年前

2022ボカスト後日譚——『相互干渉』について

2年前

私が作ったものはどう解釈されるのか――「思考実装#7」にあたって

2年前

消えることについて——『青春ヘラ』寄稿文への補足

2年前

余白と消失――『合成音声音楽の世界2021』寄稿文の補足

2年前

数学化する身体と、血液の証明——「思考実装#6」にあたって

2年前

初音ミクが歌うとはどういうことか——誰も侵せない「私と君」の密接さについて

3年前

信頼財と名前——「ゆっくり茶番劇」騒動について

2年前

ソーシャルメディアの生存関係——Twitter、Instagram、TikTok

2年前

浄化されていく京都の街で——これからの「観光客」のための試論

3年前

「ボカコレ」とニコニコ動画の地層について

3年前

[2000字エッセイ#11]androidとFireFoxは消えてしまうのか

2年前

ウィズコロナにおけるアニメの「演奏」——「Vivy -Fluorite Eye's Song-」と「takt op.Destiny」について

3年前

私たちは初音ミクを愛していたのか?——彼女と私とインターネットについて

3年前

初音ミクの葬送とは何か——「思考実装#4」にあたって

3年前

「母親」の亡霊——「サマーゴースト」の精神分析的「余白」

3年前

鉄道趣味はどこを目指すのか――長谷川大貴の鉄道写真

3年前

私は一体、何を作っているのか――「思考実装#3」にあたって

3年前

[2000字エッセイ#10]生存報告、9月版

3年前

[2000字エッセイ#7]少年少女は死んだのか?——「後日譚」から読み取れるじんの「決別」について

3年前

全ては解体されるのか――「思考実装#5」にあたって

3年前

到達できない〈ヨーゼフ・ボイス〉に思いをはせて

3年前

[2000字エッセイ#8]初音ミクは弔われるべきか——「THE ドラえもん」展におけるもの悲しさより

3年前

数学からどのように逃げるか――「思考実装#2」にあたって

3年前

[2000字エッセイ#9]「カラータイマー」と弱いヒーロー

3年前