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4.芸術的都市——潜在的中心:『都市巡礼』について

目次(各章は別リンクです)
1.序文——二重のデジタルデトックス:2024年7月公開
2.多孔的都市——哲学の終焉:2024年9月公開
3.機械的都市——顕在的中心:2024年10月公開
4.芸術的都市——潜在的中心:2024年12月公開
5.沿岸的都市——地霊への巡礼:2025年1月公開
6.「  」都市——差異と反復:2025年2月公開
7.跋

(約10,000字)

この記事は「ボカロP Advent Calendar 2024」24日目の参加記事です。上の目次をもとに、1-3もぜひご覧下さい。

深夜の街は、スクリーンの光に包まれている。私たちはその光に引き寄せられ、異世界へと誘われる。過去を振り返り、未来を思い描きながら、私たちはこの都市の一部となる。スクリーンに映し出される断片は、誰かの記憶や思い出の欠片だ。私はその欠片を拾い集め、都市の輪郭をなぞる。

広島郊外の学園都市に引っ越してから、SNSのスピードがやけに速く感じるようになった。BeRealやDiscord、Xのスペース機能など、即時性を要求するアプリケーションが私たちの生活に浸透している。デジタル空間上での「強制同期」は、私たちの意識を多孔化し、都市空間に無数の孔を穿つ。

デジタルスクリーンに初音ミクが偏在する現象は、都市の芸術的変容を象徴している。JR渋谷駅のスクランブル交差点に設置された大型ビジョンQs EYEや、山手線の車内に映像広告「トレインチャンネル」が導入されたことが、その始まりだ。都市の至る所にスクリーンが設置され、私たちの視覚を支配している。

2007年に生まれたボーカロイド文化は、リアルタイムでのコミュニケーションを錯覚させる疑似同期システムの影響を受けてきた。初音ミクをはじめとするボーカロイドキャラクターは、都市の地下で開催されるDJイベントやスマートフォンアプリ「プロジェクトセカイ」で顕現する。デジタル空間と現実空間の境界が消失しつつある現代、私たちはどのような思考回路を構築すべきか。

都市の芸術化は、私たちの感覚を麻痺させる。マーシャル・マクルーハンが指摘したように、メディアは感覚の切除であり、自己認識を禁じる。デジタルスクリーンに溢れる都市は、私たちを美的存在へと変貌させる。デジタル空間と都市の境界が消失する時代に、私たちはどのようにして自己を保つべきか。

スクリーンがランダムに抽出する誰かの痕跡、その集積としてのこの都市の中で零れ落ちてゆく何か。この都市の最下層に落ちている誰かの断片こそ、かつて誰かが「  」で囲われた主体であった痕跡ではないだろうか。

今村創平が「王の視線や英雄的建築家のヴィジョンによる都市の規定とは異なり、拡大し複合化する現代都市にあっては、『主体の見えないシステム』が都市を覆いコントロールしている」と述べたように、前近代的な中心のある都市から脱却するものとしてモダニズムは機械的、システマチックな都市設計を夢見つつも、結果として「英雄的建築家」による都市の支配を生み出した点で前近代的都市と共通している[1]。そんな失敗を経て、モダニズムはやがて「主体の見えないシステム」を内包する、ポストモダニズムへと変調する。その変調は非常に多岐なだけでなく、そもそもポストモダニズムが一体モダニズムの何を乗り越えているかというラディカルな問いも、少なくはなかった。だがあえて言えば、それは視覚的均質性から抽象的複雑性へのパラダイムシフトではなかろうか。美学者アーサー・ダントーによる芸術作品の価値転換を例にしよう。彼は芸術を抽象的意味の次元に昇華させるその手つきにより、今日の美学におけるポストモダニズム思想を打ち立てた[2]。アンディ・ウォーホルの複製化された《ブリロ・ボックス》(1964)を見つめるダントーは、芸術作品の価値が物質ではなく意味に内包されていると主張を続けた。形相から質料へ関心を移行させた先がもはや形而上的意味の世界におけるアートだとするなら、1990年代におけるインターネットアートの出現はある種、物体から言語への移行として解釈できるだろう。それらは視覚的には物体から言語への移行であり、また物体が中心となる世界からの脱却である——そしてその代わりに、ソースコードという新たな要素が中心となり、今日のデジタル空間へと至る。新世紀前後には美術批評家ロザリンド・クラウスによるポスト・メディウムが提唱され、もはやメディアという物質的な関心への視線は過去のものとなったかのような議論が提唱されるようにもなったのは、まだまだ新しい出来事だ[3]。

プルーイット・アイゴーの取り壊し https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pruitt-Igoe-collapses.jpg#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pruitt-Igoe-collapses.jpg より
京都駅ビル https://kenchiku-pers.com/contents/wp-content/uploads/2018/11/kyoto-station-building.jpg より

こうして、かつてル・コルビュジエが「機械」と称した都市表象は、そんな時勢の変化を大きく被ることで、新たな建築および都市表象を生み出してきた。近代建築運動の中心的存在だった近代建築国際会議(CIAM)が1960年に崩壊し、その傍らでヴァルター・グロピウスが提唱し近代建築運動の中心概念として機能してきた「国際建築」に対する、批判的動向が発生してくる[4]。建築家ミノル・ヤマサキが1955年に完成させたセントルイスのモダニズム的な集合住宅「プルー・イット・アイゴー団地」が非人間的であると批判された末に爆破解体されたのは、ポストモダニズムの思想潮流が駆動しはじめる最初期にあたる1972年のことだった。計画が過剰なほどに行き届いた機械=システム的な都市設計に対する「非人間的」という視線の形成はどこか、サイバネティクスに対し生命体の独自的な意味生成を肯定することで抵抗したネオ・サイバネティクスの姿勢をも想起させるだろう。国内でもTeam zoo 象設計集団+アトリエ・モビルによる《名護市庁舎》(1981)や原広司による《京都駅ビル》(1997)など、新たな技術の象徴のようにコンクリートの壁面を展開してきた時代と比較すると、複雑なフロア構造や瓦、或いはガラスをふんだんに用いた構造はポストモダニズム時代における一つの特徴だ。視覚的に均質的な都市ではなく個性に溢れた建築を多数展開するポストモダニズムはこの点において、物質が展開する中心的思考とはどこか距離を置く。

1977年のラスベガス。https://www.flickr.com/photos/roadsidepictures/3609237506/ より。

ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウン、およびスティーブン・アイゼナワーによる共同研究の結果として発表されたラスベガスの都市研究は、その代表例であるだろう[5]。モダニズム思想が都市空間を支配した1960年代において、ホテルやカジノの派手で毒々しい看板やネオンサインに街路が埋め尽くされるラスベガスの光景がどのように解釈されたかは、本稿の議論を順に理解できれば想像に難くないだろう。それらは資本主義の暗部を投影しているかの光景であるとみなされ、俗悪で忌避されるべきものとして受容された。これに対し、ヴェンチューリらがラスベガスで発見した建築物をもとに提唱した「ダックと装飾された小屋」の議論は、モダニズム批判としての建築史上におけるポストモダニズムの代表的議論として受容されることになる。建築物それ自体が象徴的広告作用を持つ「ダック」と無機質かつ合理的な建築物の前面に無数にも張り出された広告によって構成された「装飾された小屋」。ル・コルビュジエや丹下の行ったようなモダニズム建築における無機質で無装飾的な景観を前提にすれば、これら広告としての都市景観は根本から否定されるべきものであることは言うまでもない。ところが、無論のこと建築における装飾はモダニズム思想が20世紀前半に台頭する以前から存在しているのであり、それは一方で十字架を模した平面を有するシャルトル大聖堂や、石造りの理に叶った本体とは別に二次元的な看板の役目を担っているアミアン大聖堂はそれぞれ「ダック」と「装飾された小屋」である。モダニズムは装飾を否定し、無機質的な物質を前面化しようとするモダニズムの思想はその実、無機質性それ自体が「モダニズム」を強力に下支えする「ダック」であり、「装飾された小屋」ではないだろうか。こうして考えることで、モダニズム建築における装飾の忌避それ自体が、装飾の歴史の一つとして解釈されるものとなっている。この点において、もはやモダニズムの装飾忌避はその特異性を失うことになる。

アドルフ・ローズの『装飾と罪悪』がそうであるように[6]、モダニズムの特徴を装飾の排除と考えるのであれば、装飾そのものの集合体であるかのような広告都市、ラスベガスへの着目はまさに、ポストモダニズム的なものへの関心であると言えよう。先に扱ったダントー同様、これらは物体そのものではなく、それが帯びている要素=余剰なものとして伝達されてしまうようなものへの関心が、ポストモダニズムの中心となって駆動している。しかしながら、そんな余剰に対する集中的な関心それ自体が、余剰そのものを新たな中心として形成させることで、再び私たちを「中心」という孔へいざなおうとしていると考えたらどうか。クリストファー・アレグザンダーによる「都市はツリーではない」というあまりに有名な建築学史上のテーゼを批判する、批評家の柄谷行人を参照しよう[7]。アレクザンダーが1965年に発表した論考「都市はツリーではない」は都市を「人工都市」および「自然都市」に分類し、前者は中心を意図して設計するがゆえに後者が有する都市の複雑性の一切を欠いていると批判する[8]。それぞれ「ツリー」と「セミラティス」という言葉を用いる彼は、後者の内包する複雑性が生み出す都市の余白においてこそ豊かな空間が生まれるとし、ル・コルビュジエや丹下健三のような人工都市ではなくセミラティスこそ目指すべきだという。彼の議論は中心を批判するとともに複雑性を肯定する点において、後に展開されるドゥルーズ+ガタリの「リゾーム」との類縁性も高く[9]、後に花開くポストモダニズムの思想をどこか先駆けている。だがしかし、柄谷行人はそんな思考に対し、自然都市をセミラティスという数学的構造へと還元するその思想こそが自然を秩序化していると批判することで、アレクザンダーを糾弾する。究極的な自然形態をセミラティスという枠で覆ってしまうことそれ自体が、自然都市そのものの姿を見えなくしてしまっているというのだ。都市にどこか輪郭線を付与し、そのうえで論じようとするアレクザンダーの姿勢はこの点において、やはり新たなものが提示する中心志向的欲望によって形成されたモダニズムの思想と、どこか共鳴している。そこで展開されるレトリックこそ、今村創平が述べた「主体の見えないシステム」の正体ではなかろうか。

ポストモダニズムという枠組みを捉えることはそれ自体、ポストモダニズムを台無しにする。そう考えると、ポストモダニズムをめぐる言説はどこか、モダニズム的中心性をあくまで想定してしまう。到達されえない中心点すなわち「孔」の周囲で複雑さをとらえ損ねるような構造は、東浩紀がゲーテルを補助線にして展開した「否定神学システム」を想起させるものだ[10]。中心を喪失しつつも、その不完全な代替品によって「孔」を埋めようとする思考。そんな思考をポストモダニズムがどこか病的に抱えていたのであれば、一方で世界の複雑さを提供しつつも他方で真の意味で複雑さを喪失させる今日の多孔的都市は、ポストモダニズムの進化の果てに形成されている裏で強力なモダニズム思考を展開している。メディアで満ち溢れた今日の都市において、私たちはそんなソースコードの展開する疑似的な複雑性と中心への渦へ巻き込まれ、「複雑」にも「機械」にもなれない。

可視的中心から、非可視的中心へ。前近代的都市における君主からモダニズムにおけるアーキテクトたち、そしてポストモダニズムの否定神学的中心から多孔的都市のスクリーンへ。都市は常に何らかの「中心」を、潜在化させながらも必ず維持してきた——そうしてスクリーンからコントロールされる私たちの姿こそ「強制同期」の問題である。そう考えると、多孔的都市とは一体これまでと何が異なるかという問いが浮上する。都市にスクリーンが溢れ私たちが美的に変容する多孔的都市がもたらす潜在的「中心」が、これまでと何が違うのか。

フランスの哲学者ベルナール・スティグレールは著作『象徴の貧困』で、集団や文化が内在する「前-個体的なもの」のプログラム化から個体と前-個体との相互的進化関係が崩壊する時代を「ハイパーインダストリアル時代」と述べた[11]。ある種の文化的繋がりが失効した今日の時代において——思えばこれが「ポストモダニズム」という言葉が指すものにも思えるが、私たちは全てを論理的に処理し、そして論理外のものを一切見なくなっているのだという。こうした彼の主張は、臨床心理学者シェリー・タークルによる「繋がっているのに孤独」というテーゼにも繋がるだろう[12]。ネットワークに繋がっている点で「孤独」ではないが、一方で象徴の貧困を迎えるハイパーインダストリアル時代の私たちは紛れもなく孤独だ。

この点をさらに追及すれば、『千のプラトー』におけるドゥルーズおよびガタリの「機械状隷属」「社会的服従」にも通ずるだろう[13]。機械状隷属とは主体の構成要素たる知性や記憶、そして情動が非人間的なもの、すなわち技術や機械、記号などに変換されてゆく状況のことだ。いわばプログラムによる様々な主体に関する要素のデータ化を問題視する本概念は、個人がそれを経由し巨大なデータの集積所=デジタルアーカイヴへ蓄積されてゆくことに伴う「データ化不可能な固有性の完全な消去」、すなわち哲学者のジャック・デリダが言うところの「アーカイヴの病」に関する議論と問題を共有するだろう[14]。主体をデータへ変換する過程で変換不可能な固有性をノイズとして切り捨てるアーカイヴの暴力性は、私たちを均質化されたデータへ無理矢理変換することで、デジタル空間上の主体に少なからぬ欠損を生じさせる。そんな欠損に入り込むのが、デジタルアーカイヴを有用に駆動させる存在たるプログラムだ。形成された集積所で駆動するそれは様々な傾向分析を通して、欠損した主体にデータを与えることで修復を試みる——無論それはデータであるため、「データ化不可能な固有性」には程遠い。「あなたへのおすすめ」に代表されるサジェストはそんな外在的な主体決定の代表例であり、主体がその「おすすめ」へいかに反応するかの結果がまた、巨大な集積所へ送り込まれる——このように主体が外在的(社会的)に決定され先鋭化してゆく様相を、ドゥルーズらは社会的服従と称した。四半世紀以上前に提唱された彼らの二概念が交差する地点上に今日のデジタル空間が位置づいていると考えれば、彼らの視座がいかに鋭いかが分かるだろう[15]。ドゥルーズが別稿で「管理=制御社会」と表現したプログラムによる私たちのコントロールはまさにHTML同様[16]、表面上で私たちに快適さを提供し、そして水面下で私たちを制御する。こうして快適さに浸り続け思考を喪失する姿こそ、清家が「美化・感性化」と称したものだ。その台頭は、もはやデジタル空間へ接続することが可能なデジタルスクリーンに満ち溢れた多孔的都市のいたるところで展開され、画面の外へ意識を向けることを許さない。

こうして、私たちは否応にも設定された「中心」に引き戻される——それこそ、ポストモダニズムの展開した潜在的「中心」による都市の正統進化、いやむしろ過剰進化ではなかろうか。ロッシの「芸術としての都市」という概念を思い返すと、思考無き無意識的行動に下支えさえたデジタル空間と密接につながった多孔的都市は、もはや思考無き無意識的なものの露出、すなわち「芸術」へ接近している。「芸術的都市」とでも形容できよう都市で蔓延する思考停止的なコミュニケーションたちは、孔塗れになった都市から溢れ出る人間の欲望により加速度的に展開されている。

こうした状況に対する処方箋を、いかにして思考できるか。メディア論の大家たるマーシャル・マクルーハンの主著『メディア論』を補助線にしてみたい。彼はギリシャ語の「感覚麻痺narcosis」の由来となったナルキッソス神話を参照しながら、メディアを「自己切断」のアナロジーとして論じた。

過度の刺激がいろいろと身体に加わってストレスが生ずると、中枢神経組織は、障害を起こしている器官、感覚、機能を切断あるいは分離するという戦略を用いて、自己防衛するようにふるまう。かくして、新しい発明への刺激となるのが、速度の増進と負担の増大というストレスなのだ。…これがナルキッソス神話の意味するところだ。青年のイメージは自身を刺激する圧力によって誘発された自己切断あるいは自己拡張である。水に映ったイメージは対立刺激として全身の麻酔あるいは衝撃を引き起こし、それがために自己認識が拒まれる。自己切断が自己認識を禁ずるのである[17]。

テイレシアスによって自らの姿を見ることを禁止されたナルキッソスに駆けられた圧力は、水面に映る自分自身を客体化するという自己認識の切断によって、辛うじて耐えられた。このように、内外からの刺激に対して自らを守るために、自己切除の上で認識から切り離されたもの=感覚麻痺を起こす「幻視」のようなものこそ、マクルーハン的メディアだ。思考の長期保存から我々を防衛するためのそれを「人間の拡張」と彼がいうのは、こうした防衛機制の結果として生じる切除として、人間の身体や精神が外部へ拡張されたものであることの裏返しだろう。それゆえ、メディアはシャノンとウィーバーが主張したような精確性を帯びた情報通信ツールではなく[18]、むしろ「移行/翻訳translation」と称するに値するようなものと解釈される。

こうした見解は、あらゆる要素をデジタル化することで均質化を進める芸術的都市に対する処方箋として、幾ばくか有効ではないだろうか。「中心」の過剰に伴い出現する芸術的都市に対し、「中心」と「脱中心」を共存させる、ある種ポストモダニズム的かつアナロジックな抵抗戦略。多孔的都市にて終焉する哲学を継続させるための思考回路をそんな中途半端な二重性に見出し、芸術的都市に対抗するための方策を「幻視的都市」に見出すこと。そんな見取り図を提案したうえで、実現に至るための方策を、筆者は「沿岸」という言葉ととにも提案してみたい。

某日、平和島を南北に貫く高速道路を横断する高速道路沿いから、広島から引き連れた一眼レフを携え、夕方から夜遅くまで平和島の海岸線にいた。

度重なる増設と改造を積み重ねたここは、もともと海だった。図書館で見た海沿いの品川駅に汽車が到着する光景はとうの昔だが、そんな海沿いの景色がかつてあったことを思い返すと、度重なる増設と改造による人工島の光景は、人間——あるいはその複合体としての都市が、幾重にも折り重なった光景として立ち現れている。それはまるで、集合的な人格としての都市が自我を徐々に形成することにより、かつて剝き出しのままであった無意識たる「海」に覆いを被せる如く。その過程で抑圧された「海」の痕跡を探し出すことで、私は抑圧されたものではない、本当の姿としての誰かを求めている。それはすなわち、これまでの見方で誰か/何かを見る方法を取るのではなく、新しい方法で誰か/何かを探すことである。あるいは、誰かを新たな「  」に入れ込むための手法を探すこと、と形容してもよいかもしれない。自我による抑圧を受けるものと受けないものの境界線に人工島の海辺があるとするなら、この沿岸都市沿いには、圧殺された過去が水死体の如く浮かんでいるはずだ。その声の痕跡へ目を向けることは、意義があるように思う。

だが、言葉は常に表象されたものであるからこそ、それは常に抑圧を受けてきたものとしてしか解釈されえず、ここから先に進むためにはある種の狂気さを私は受け入れざるを得ない。都市の景観は言葉にされえず、全ての言葉は美しく/あるいは醜く表象された瞬間、たちまち死に至るのだから。そうやって失敗を積み重ねた末に出来上がる瓦礫の山がやがて地層となり、この人工島の基底と化しているのであれば、その失敗を積み重ね続ける私たちは、果たしてそれでいいのだろうか。コミュニケーションの地滑りにより他者が殺されるこの時代において言葉が無力であることは言うまでもないが、だからこそ、この言葉は別の仕方で表象されていく可能性を求めなければならないのではないか。

この音楽は2つの初期作と『言語交錯』の間に作られ、そしてこの映像は一眼カメラを手に入れた2022年の冬から撮影したものがほぼ全てを占めている。もう5年は昔のものとなってしまった私の記憶を、私は新しいピアノと新しい映像を使い、新しい言葉で表象する。この行為は、かつての海沿いの景色を忘れた平和島にどこか被るかもしれない。それでもなお、新たな差異が込められたこの新編集版という反復行為を、私は決して無意味とは思わない。言葉が無力だとしても、だからこそ、言葉を発信し続けたく思うのだ。


[1] 今村創平『現代都市理論講義——radical urbanism of the 1960s‐70s』オーム社、2013年、28頁。
[2] アーサー・ダントー『アートとは何か』人文書院、2018年。
[3] ロザリンド・クラウス『ポストメディウム時代の芸術——マルセル・ブロータース《北海航行》について』井上康彦訳、水平社、2023年。
[4] ヴァルター・グロピウス『国際建築』貞包博幸訳、中央公論美術出版、2020年。
[5] ロバート・ヴェンチューリ、ダニエル・スコット・ブラウン、スティーブン・アイゼナワー『ラスベガス』石井和紘・伊藤公文訳、鹿島出版会、1965年。
[6] アドルフ・ロース『装飾と犯罪——建築・文化論集』伊藤哲夫訳、筑摩書房、2021年。
[7] 柄谷行人『隠喩としての建築』講談社、1983年。
[8] クリストファー・アレクザンダー『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』稲葉武司・押野見邦英訳、鹿島出版会、2013年。
[9] 以下も参照。以下も参照。ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー——資本主義と分裂病』宇野邦一ほか訳、河出書房新社、2010年。
[10] 東浩紀『存在論的、郵便的——ジャック・デリダについて』新潮社、1998年。
[11] ベルナール・スティグレール『象徴の貧困 1——ハイパーインダストリアル時代』ガブリエル・メランベルジェ、メランベルジェ眞紀訳、新評論、2006年。
[12] シェリー・タークル『つながっているのに孤独——人生を豊かにするはずのインターネットの正体』渡会圭子訳、ダイヤモンド社、2018年。
[13] ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、前掲書。
[14] ジャック・デリダ『アーカイヴの病——フロイトの印象』法政大学出版局、2010年。
[15] 以下も参照。水島一憲「コミュニケーション資本主義における個人と集団の変容」伊藤編、前掲書、2019年、35-60頁。
[16] ジル・ドゥルーズ『記号と事件——1972-1990年の対話』宮林寛訳、河出書房新社、2007年。
[17] マーシャル・マクルーハン『メディア論——人間の拡張の諸相』栗原裕・河本仲聖訳、みすず書房、1987年、44頁。
[18] クロード・シャノン、ワレン・ウィーバー『通信の数学的理論』植松友彦訳、筑摩書房、2009年。

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