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死への小路を残す——大阪大学感傷マゾ研究会における記録/記憶の倫理性と「同人誌」の可能性

(約3,700字)

本稿は創作集団「outré」主催のアドベントカレンダーにおける12月20日枠として執筆させていただきました。機会をくださいました同志しろさんはじめ、企画者皆さまに感謝いたします。

2024年冬、筆者も投稿した『青春ヘラ』を企画編集していた大阪大学感傷マゾ研究会が解散するとともに、これまで販売してきた各種同人誌の取り扱い終了、ならびにアカウントをはじめとした関連情報の徹底的な削除が実施された。卒業と同時にアカウントを消去し活動の痕跡を消すこと自体はかつてから聞いていたのだが、それでもなお、これほどまでに徹底的に消去された痕跡には、過去に対する一切の決別のようなものを感じて、どこか寂しくもある。とはいえ、その姿勢は『青春ヘラ』が内包する「青春」という言葉の、とても巧妙な表現であったのではないかとも筆者は感じた。

アカウントを削除する行為を「自己消失」という言葉と結びつけることが許されるのなら、筆者の中には昨年の『ボーカロイド文化の現在地』にて執筆した自殺のアナロジーに関する議論が想起される[1]。デジタル空間に生きる私たちはもはや自己消失による自らの痕跡の完全なる消去はできないと述べた拙稿において、デジタル空間に入力された私たちの情報は、デジタル空間が内包する強力なデータベース=アーカイブの引力により固有性の消失、即ち「死」に誘われる。入力された情報の自発的消去、すなわちアカウント消去という自己消失はこれに対する処方箋として機能し、一見すると「死」からの忌避のように見えるが、しかしながら、デジタル空間には依然として強烈な「かつてそこにあった」痕跡が残され続ける。ニコニコ動画における「この動画は削除されました」の文章や、ツイッター上のアカウント消去を示すポップアップなどはシステムの観点から「自己消失」を許さず、そしてそれを見たユーザーは提示された不完全な主体としての痕跡をもとに、かつて見られたのであろう痕跡を発見しようとする。それは「死」から逃れようとする主体を再度、「死」の装置たるアーカイブに格納しようとする行為ではないか。かくして、デジタル空間において私たちはアーカイブの持つ死の引力に引っ張られながら、そこから逃避することすらできない時代を生きている。「自己消去」は決して主体の完全な消失にならず、むしろ主体の「死」を強調することにより、翻って消去された主体を浮き彫りにする行為であるといえよう。

そうはいっても、こうした「死」にたいする感覚自体、デジタル空間のインフラストラクチャーが進展した2010年代以後においてこそ、とりわけ顕著な問題系として扱われてきたのではないかと考えている——実際、筆者が昨年に展開した議論の土台は、およそ2010年代頃のメディア論にある。それ以前はどうだったかといえば、筆者の頭の中に想起されるのは、2000年代初期のフラッシュ動画が人気だったころに流行したドラえもんを用いた音MAD動画たちだ。それらは著作権を逸脱しながら作品を無断で活用することで様々な文化を生み出しつつも、それが根本的に著作権侵害にあることを理由に、いつ削除されてもおかしくないものたちだった。MAD動画はいつどこで消去されてもおかしくないだけでなく、ある種消去されることが動画コンテンツの人気を反映しているともいえるものとみなされたことから、動画が消えることで一種の評価であった。2022年に流行した「おとわっか」が権利侵害を理由に削除された際、投稿者がSNSで「ありがとうございました」と述べたことは、ある種そんなMAD動画の伝統を受け継いだ証拠だったのではないか。そう考えると、これらは「消失」を愉快なコンテンツとして消費し、その言葉の内包する重々しさをどこか漂泊している。換言すれば、ネット文化それ自体がどこか「未熟」であったことの証左かもしれない。おとわっかはそんな未熟さの2022年における再顕現であったといえようが、とはいえ、その爆発的な人気は2020年代においてはとりわけ異端なものであったと筆者は感じている。

消失までをも内包するメディアの表現手法は、2010年代におけるInstagramのリール機能でも少なからず見られるだろう。しかしながら、BeRealに代表される即時的同期の強制から常にネットワークに繋がり、これまで以上に最新情報へ関心を向ける必要に曝される私たちにとっては、もはや消去それ自体を愉しみとして受容する余裕はさほど遺されていないのではないだろうか。SNS上で炎上した投稿主がコンテンツを消去する行為に対し「逃げ」というレッテルを貼り糾弾することが増えたのは、とりわけ2010年代におけるデジタル空間のインフラストラクチャー化と、それに伴うデジタル空間と現実空間の境界線消失が無関係ではないはずだ——筆者は別稿でこれを「芸術的都市」と表現した[2]。誰もがSNSに触れられるようになった今日において、もはや「死」を楽しんで受容する姿勢はもはや「不謹慎」のレッテルを張られかねない。コンテンツを愉快なものとして解釈する余裕を喪失した今日の状況は、先ほどの「未熟」なネット文化とは対照的な「成熟」された姿と形容できるかもしれない。

さて、こうした視点で大阪大学感傷マゾ研究会を振り返ると、消失することを開き直って宣言した彼らの姿勢は、遠い過去のものとなってしまった2000年代的な無責任さに対するノスタルジーであったのではないかと筆者は考えている。本年度に大学を卒業する彼らがおよそ2000年代生まれであると考えるのなら、彼らがこの活動を通して、そしてその最後に表現したかったものとは、そんな自らが十分に経験することのなかった2000年代を想起することであった、と考えるのは過剰だろうか。そんな姿勢を身勝手にも読み取ってみるのならば、彼らの行為は自らの知らない1990年代のインターネットアートに思いをはせてきた筆者自身ともどこか共鳴するものであると言えるのかもしれない。筆者が図書館員として記録の管理と提供を自身の仕事に選んだ理由は、そんな自身の知らないノスタルジーへ思いを馳せているからだ。しかしながら、いやだからこそ、保存可能な記録が消失することは筆者にとって恐ろしくもある——図書館界において「灰色文献」と称されるそれらはただでさえ図書館が扱いきれない資料であるにもかかわらず、自らその文献情報さえ消去することを厭わない彼らの姿勢は、書誌を記録し継承する司書の仕事と真向に対立する。そんな前提に立つのならば、自ら好んで「消去」を行う姿勢は、筆者はどこか無責任な判断だと糾弾してみたくもなってしまう。とはいえ、彼らのスタンスはむしろ、その「無責任さ」を開き直って受容しているがゆえのものだというべきだろう。それこそ、責任を押し付けるような「成熟」された姿ではなく、まさに青春的な「未熟」さを掲げる彼らにとっては正義であったのではなかろうかと、筆者は考えている——そしてまた、それは灰色文献としての「同人誌」でなければ成し遂げられなかった行為であったのかもしれない。

全ての記憶は美しく、そして、全ての記憶は言葉と化して、死に至るこの都市の地層に蹲る。
そうして都市の潮目に垣間見える何かは、誰のために存在するのだろうか。

ukiyojingu 「document(新編集版)」

いわゆるメモリー・スタディーズの文脈を引用するまでもなく[3]、主体内部にのみ内在する記憶は客観的に観測可能な記録媒体に残されるときに、必ず何らかの欠落を生じさせる——そんな思想をつい最近、楽曲としても出力したばかりだ[4]。だからこそ、どこまでも記録は記憶の不完全な代理品でしかなく、記憶をありのままの姿で残すことはできない。私たちの記憶は言語として記録される際に際限なく美化される可能性に晒され、そうして美しくなった言葉は在りし日の記憶を全く持って完全には表象してくれない。であればいっそ、あらゆる記録の一切を消去することで、彼らは開き直って「死」を表現したのではなかろうか。「かつてそこにあった」痕跡から発見される、死への小路を自ら作り上げること。意図された消去と意図された痕跡の形成が同時にもたらす「自己消失≒死」の表現は、そんなノスタルジックで未熟なものとしての「青春」を正しく表現している。


[1] ukiyojingu「海辺に揺蕩う言葉たち——合成音声音楽における「自殺」のアナロジー」highland編『ボーカロイド文化の現在地』Async Voice、2023年。
[2] ukiyojingu「強制同期に抗って——芸術的都市に対するボカロ・ライブパフォーマンスの潜勢力」highland編『ボーカロイド文化の現在地』Async Voice、2024年。
[3] 以下も参照。アストリッド・エアル『集合的記憶と想起文化 ——メモリー・スタディーズ入門』山名淳訳、水声社、2022年。


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