天正9年(1581)12月24日は武田勝頼が躑躅ヶ崎館から韮崎の新府城に本拠を移した日。しかし完成していたのは勝頼の居館や本丸門などの一部でしかなく他の曲輪の造成や矢倉や塀などの造作はほぼできていなかった。徐々に織田と徳川の包囲網が狭まると勝頼は翌年3月に城に火をかけ退去した。
大永元年(1521)11月3日は甲斐国守護・武田信虎の嫡男として武田晴信(信玄)が生まれた日。信虎の甲斐統一戦の最中で躑躅ヶ崎館ではなく大井夫人の避難先の要害山城で生まれた。前月の飯田河原合戦で今川軍に勝利した直後に生まれた男子だったため勝千代(太郎とも)と命名したとされる。