今あるものがベスト。誰かと比べても意味がない。それでも聞いてみたくなるよね。私の今はなぜこの今なのって。仕方ないから、この今がベストだとしたら、ここから考えうるベスト中のベストを想像してやる。自我がくやしがって折れるぐらい、あるいはくやしがってそれ以上のベストを出してくるぐらい。
子どもは親より学びの進んだ魂として生まれてくると聞いたことがある。本当にそうだ。わが子ながら、私がたどり着けない素直な慈悲や愛をもち、それをためらうことなく発揮し、周りを救っている。その分、傷ついてしまうことも多いけれど。自分より統合に近い存在がこんなにも身近にいたとは。
手放すことを決めようとすると心が痛い。でもその痛みは執着の痛みなのか、それとも心の声なのか、どちらなのかわからなすぎていっそ爆発してしまえと思う。なにが?わからないけれど。自分が?事態が?わからないから、手放してみるしかない。
頭の中に猛嵐が吹きまくるときは、過ぎ去るのを待つしかない。何もできない、動けない。そのかわり嵐が過ぎ去ると、洗い流されてのこった言葉やアイデアがへとへとの思考の浜辺に打ち上げられることがある。きれいに飾る余力がないのでそのまま出すと、存外そのほうが素材の味が生きて響くみたい。
悩みというのは、恐れがあること。こうなったらどうしよう、といういてもたってもいられない怖さ。 現在のことについて悩んでいるようで、たとえば愛されていない、を例にしても、愛されなかったら生きていけない、という未來への恐怖が底にある。
着火したら火は広がる。揺らせばボールは転がる。なにも起こらないってことはないんだな。きっかけは意図しない形でむこうからやってくる。しかもみすぼらしい、触りたくないようなものとして。そこで自分をそのまま表現するかどうかで、宇宙が投げてきたきっかけをつかめるか決まるのかもしれない。
おとといから急に傷んだ首筋から肩甲骨まで。思えば、新月。首の後ろはエネルギーが出入りするところ。月食以降、濃くなっているエネルギーが今までのキャパを超えて首から出入りしたからか、それともつまっていたから強制お掃除だったのか。今朝はだいぶましになった。