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輝ける星のもとに生まれた特別な、ごくごくふつうのただのわたし
パリオリンピック、男子バレー準々決勝のイタリア戦を家族みんなでわあわあ観戦。
あの流れで、あのメンバーで、あの「バレーボールで勝利することしか頭にない生き物」を体現しているような石川祐希キャプテン率いる、天才セッター関田率いる、世界ナンバーワンリベロ山本率いる、あのメンバーで勝てないのならばもう、イタリアがただ強かったと、そういうことなのでしょう。
ああ、彼らの首にメダルがかかっているところが見たかったな。
今回のオリンピックでわたしがウォッチしていたのは、男子バスケ・男子バレー・女子バレーそして男子サッカー。なので、すべての試合が終わりました。
終わった……わたしの五輪が終わった……(1ミリもオマエの五輪ではない)。
このあとの国際Aマッチのお楽しみは、FIFAワールドカップ26 アジア最終予選(3次予選)の
9月5日(木) 中国戦
9月10日(火) バーレーン戦
10月10日(木) サウジアラビア戦
11月14日(木) インドネシア戦
11月19日(火) 中国戦
というところになる。自分のための備忘録!
*
「やること」をすべて、「やめている」。
やること、というのはすなわち、
「わたしには何が必要か、わたしは何が欲しいか、わたしは何を持っているか、わたしは何を持っていないか、わたしは何を持っているべきか」
という、”わたし”にまつわる物語がベースになっているわけで、わたしは”わたし”をやめることにした、というのはすなわち、”わたしの物語”をつむぎ、編んでゆくことをやめたということ。
だからいまのわたしに、「やること」を付随するのがなんというか、ナンセンスなんだよね。
この、「わたしであるための物語」を生きるためだけに、すべての生命エネルギーを使い果たしていたんだなあ、と思う。
朝、起きた瞬間から「わたし、さめじまみおであるための物語」が瞬時に始まって、その物語をかたくかたく握りしめながら、ガチガチに身体を緊張させて生きている。
力を抜いたら最後、ばらばらになってしまいそうで。
わたしはさめじまみおでもいいし、西園寺キミコでもいいし、ガブリエル・ベッラでもいいし、なんなら工藤静香だっていいわけなんだからな(謎)。
すべての属性を脱ぎ捨てて、だれでもない裸のままで、海辺に座って沈む夕日を見ながらアイスクリームでも食べてればいいだけだ。
そうしたければね。
輝ける星のもとに生まれた特別な、ごくごくふつうのただのわたしとして、ただ今日を過ごしてみよう。
*
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