uruouko@ACIM学習者

A Course In Miracles 奇跡のコースのレッスンでの気づきなどをただ淡々と綴っています。

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最近の記事

わたし(あなた)を支えているもの

神の愛によって支えられている お金があるから大丈夫 家族がわたしを支えている 仕事をしているから安心だ 資格が、地位が、名誉や名声が・・・・・・ これらの意味のないリストの数々を神の愛と取り替え、 わたし達を支えてくれていると勘違いしている。 これらの意味のないものが全てなくなったとしたら、 私たちは倒れてしまうのでしょうか? そんなに弱い存在なのでしょうか? 今日のレッスンで改めて感じてみてもいいですね。 私たちは大いなる愛の存在に支えられているということを。

    • 私達の心の真実の部分はいつも神とお話をしている

      神はわたしたちに話しかけてくれているのに、 それが聞こえないのは何でだろう? わたしたちが現実だと思っている世界で役を演じているのがもう一つの心の部分。 この心は当てにならず、幻想の部分です。 そんな幻想にわたしたちはチャンネルを合わし、右往左往しています。 幻想にチャンネルを合わせてるから、出した答えや出た結果も幻想ではっきりしない。 チャンネルを真実の心に合わせるだけというシンプルな事なのに、何を抵抗しているのでしょうね、わたしたちは。 わたしの実体験として、

      • 恐れってなんだろう?

        恐れ=幻想 恐れは幻想なのに、どうして私たちは幻想を事実だと思ってしまうのだろう? まだありもしない悪い出来事を想像してはヤキモキして、ため息ついて、絶望的になったりしちゃって。 特に悪いことを想像しなくとも、仕事のTo doを考えたり、晩御飯の献立、やならければいけないことの段取りを考えたりと思考はとても忙しくフル回転。 そんな時、ちょっと一息。 ”今”に戻ってみる。 コーヒー飲めて幸せだなぁ 空がきれいだなぁ とか、今ある小さな当たり前のことに気づいて幸せ、感謝

        • 本当の意味で自分を信頼するとは

          心配、恐れ、不安を抱くのは自分の強さを信頼していないから。 だから、自分を信頼しよう。自分を信じよう。 ということを何度も繰り返してしまう。 そもそも”自分”とは? 何を思って”自分”が”自分”を信頼するのでしょうか? この身体である”自分”が、この身体である”自分”を信頼しようとしても無理。 この身体である”自分”の中に存在している”神”こそが強さであり、物事を良き方向へと導いてくださる。 ”自分”と思っているわたしは、わたしの中に存在する”神”を信頼する。 どれ

          恐れは避難し、愛はゆるす

          ゆるし 許し 赦し 『ゆるし』という言葉、思い、行動が機能するのはこの幻想の世界だけ。 どれだけコースを学んでいても、 苛立つこと、好き、嫌い、許せない、などの感情の波が全くなくなる訳ではない(わたしの場合です。) 純度100%の愛で生きている人なんて、よっぽどの聖人かお亡くなりになって魂の世界に行かれた方しかいないのではないだろうかと思う。 (わたしの意見です。) だからこそ、 愛の世界に戻るための『ゆるし』が大切。 全ての人が平等に持っている全き愛に戻りたいと思

          恐れは避難し、愛はゆるす

          あなたの本当の思いはなんですか?

          あなたが本当の思いだと思っていることと、 あなたが神と共に思うこととは全く関係がない。 わたしのこの小さなスペックで考えたついた思いと、 無限の可能性である神と共に思った思いとは全く関係がない。 そうだとしたら、 今までのわたしの本当の思いと思っていたものを手放して、 神と共に思うことのみを選択したい。 わたしの思いも神の思いも等しく同じであると真に理解できた時、 “委ねる”という生き方が始まる気がします。 わたしは生まれた時からみんなが等しく持ち続けている全き愛の存

          あなたの本当の思いはなんですか?

          神から離れることなんてできない。ただ忘れているだけ。

          知覚は神の特性ではなく、知の領域が神の特性。 神は知覚と知の間の仲介者としてホーリースピリットを創造された。 知覚、自我の目を通して見たもの、それにはなんの意味もない。 ただ、その知覚を意味あるものにしてくれるのがホーリースピリット。 自我の目を通して見た幻想を、 ただホーリースピリットに委ねるとそれを知に変えてくださる。 言い換えると日常になにか問題を見る時、 その問題をどうにかしようとせずにホーリースピリットに委ねてみる。 『この問題について、わたしは本当のこと

          神から離れることなんてできない。ただ忘れているだけ。

          真の強さとはなんだろう?

          強さってなんですか? 強さは自分で作っているのでしょうか? あなたが自分の意思で選んだと思っている全て。 あなたが自分の意思で選んでいないと思っている全て。 全てが完璧な神の采配の元で動いている。動かされている。 このことを受け入れた時、あなたに真の強さが満ちてくる。 では、"わたし”とはいったいなんなのでしょうか? そんな疑問が出てくるかもしれない今日のレッスン。

          真の強さとはなんだろう?

          あなたの心の内深くに隠されているものは?

          神から離れて生きてしまっている人にとって、 今日のアイデアは安心と疑いとが入り混ざった感覚になるかもしれせんね。 神はわたしと共にある。 どこに? それはあなたの心の奥深く。 わたしたちは神さまと聞くと外に神を置きがちですよね。 外に置いてしまうと、わたしと神は別だと思ってしまう。 そうではなく、いつもいつもあなたの心の奥深くで光り輝き存在しているもの。全てを知っていて、完全なもの。 その完璧なあなたの神、あなたの聖性がいつもどこへでも一緒にいることをただ思い出して

          あなたの心の内深くに隠されているものは?

          いつ、どんな時もあなたは祝福されてるよ

          祝福されているってどんな状態? 安心 安全 幸福 安らぎ 平和 満ち足りている 愛されている など・・・・・・・・・ 誰も恐れや不安、不満、不足などの状態は思い浮かべないのではないですか? あなたは神の子なのだから、いつ、どんな時でも祝福されているのに、 目の前の現実に恐れや不安、不満、不足を見てしまうのはどうしてなのでしょうか? 見るものを間違えているのを訂正し、 受け取りそびれている祝福があなたの周りに漂っているのを感じてみてください。 わたしは神の子のとして祝

          いつ、どんな時もあなたは祝福されてるよ

          聖性?神聖?神の子?ホント?

          あなたの聖性は創造主の心とひとつである神の子だから、その力は無限です。 あなたの聖性を通して、神の力が明らかにされる。 あなたの聖性の力は誰に対しても等しい。 神が創られたものはすべて神聖なので、あなたも神聖です。 聖性? 神聖? わたしが? あなたが? そんな疑問が出てくるかもしれないけれど、 奇跡のコースは誰もが神の子で神聖であると言っています。 ほんの少しそれを信じて想像してみてください。 もし、今、目の前に起こっている出来事で思い悩んでいて、 自分が神の

          聖性?神聖?神の子?ホント?

          この世界はあなたの見方にかかっている

          肉体を通してではなく、 あなたの聖性を通して世界を見ることで、この世界は清められている。 これがあなたの役割、あなたがこの世界に存在する理由。 聖性を通して世界を見ることが、世界を清めている。 それくらいあなたが世界を見るちからはとても大きい。 嫌いな人、大好きな人、心を揺さぶる全てのもの対して、 等しく清らかな眼差しで見たいものですね。 あなたの聖性が、世界を清めています。 そう思うだけで心の拡がりは感じますか?

          この世界はあなたの見方にかかっている

          あなたの思いは本当のあなたの思いですか?

          あなたが存在している世界は、あなたが見て、望んで、創造した世界。その創造された世界の源は何でしょうか? エゴですか?愛ですか? ゆっくりとあなたの心にある思いを観察してみてください。 多くの場合、ネガティブな思いが最初に出てくるのではないでしょうか? 特に謙虚な日本人は(笑) そのうち、ポジティブな思いも出てくるでしょう。 例えば、 わたしは、全然役に立っていない。と思っている。 わたしは、家族の犠牲になっている。と思っている。 わたしは、優しい。と思っている。 わた

          あなたの思いは本当のあなたの思いですか?

          平和?恐怖?どっちを見る?

          lesson33で別のものの見方を選択した時の心の状態は平和です。 自分の心の内に平和でない思いを見つけたなら、まずこれをしてみる。 その思いを受け止める ↓ この思いはどこからきているのか深掘りして内観してみる (わからない時は無理にしなくてもいいとわたしは思っています) ↓ 別のものの見方(平和なものの見方)を選択する(思いの訂正) ↓ 心の平和を感じる わたしたちの心の状態は、ネガティブと思われることもポジティブと思われることも外の世界に拡がっていきます。 だと

          平和?恐怖?どっちを見る?

          ゆっくりと肩の力を抜いてごらん。わずかな隙間に違う見え方が現れるよ。

          内の世界(原因)=外の世界(結果) たとえば、いつも上司に怒られて嫌な毎日を過ごしている。 同僚と上司の陰口を言ったりするのは日常茶飯事。むしろこれがストレス解消。なんて人も多いのでは? そんな時、力を抜いて内観してみる。 ”どうしていつも上司に怒られる?どんな観念をわたしは持ってるの?” 常に問い続けていると、答えがやってきます。 ”わたしはわたしのことをいつもダメだ。周りに比べて全然できない” と思っていることを発見したりします。 これが別の見方です。 自分で

          ゆっくりと肩の力を抜いてごらん。わずかな隙間に違う見え方が現れるよ。

          この世界は誰がつくった?

          自ら、この世界をつくり出した。 そうか、わたしがつくり出したのか。 そう思う時、嬉しいことや楽しいこと、良いと思われることに関して、 誰でも受け入れやすいのではないでしょうか? その反面、人間関係のトラブル、病、けが、 悪いことと思われることに関してはどうでしょうか? 受け入れ難くはないですか? わたしは悪くない。あの人が悪い。 病になんてなりたくないし、怪我だって望んでない。 こんな世界をつくったつもりもない!! そう叫びたくなるのもわかるけど、 認めたくないのもわか

          この世界は誰がつくった?