考えること。言われる前に動くことは、報連相のアンチテーゼのようなもの。 前者を重視するなら後者を捨てなければいけないし、後者を重視するなら前者の主張はしてはいけない。 バランス良くやることもできるかもしれないが、そうならば方法を提示すべきだ。少なくともわたしは分からない。
考えない人材はいない。 ただ考えを否定する人がいるだけなんだ。
管理職になる人は前任者を反面教師として管理職としてあるべき姿を決めるが、前からそれを疑問に思っていた。 その方が楽だからだ。本来はそうあるべきではない。ラジカルな変革は求められていない。 いかに前任者の方針を採用しつつ、緩やかに組織を変えていくかだと思う。
考える人材を育てたいとかいう上司はバカかと言いたい。 プロと言うのは思考の時間をいかに短くするかにおいて業務の効率化と正確さが図れている。 むしろ、考えない状況や仕組みづくりに注力した方がいいのではないか。
主体的に考えることができる人材とは何か。 わたしは主体的に考えることを否定されなかったおめでたい人材だと思う。 答えを導くことは大事だが、教育者は自分の考えを押し付けていないか省みる必要があるだろう。 もっとも、出来ていないから育たないのであるが。
臨機応変とは想定外に想定外が重なり、そう行動せざるを得ないことをいう。 様々な状況を想定したマニュアルを作りその際の判断を折り込むべきだ。 判断指針のない臨機応変や考える人材など剣道でいえば竹刀を振り回しているだけの未経験者に等しい。
例えば2人が仕事ができる能力が7対3だったとする。それが10対0になってしまうのが他者からの評価や信用の弊害である。 0になってしまった人に責任があるのが普通だが、単なる主観で貴重なマンパワーを空費してしまうことの方が悪いと何故考えないのか。
プレイヤーとマネージャーの違いを最初から教育しないと、上司に対する不満も募るばかりだし、上司も職責に合った責任を果たそうとしない。 そうした初期教育をしないから、管理職が悩むことになるのだ。
考えるとはなんだ。 考えたことを否定されて否定され続けるのなら、考えることを放棄するだろう。 自分で考える人材とは、考えたことを否定され続けなかった人材のことだ。 そのことを管理職や上司や同僚は知らなさすぎる。考えたこともないのだろう。 何故、考えないのか考えるべきだ。
管理職が口に出してはいけない言葉は「向いてない」「辞めたら」だと思う。 管理職はマネジメントが仕事だ。上の言葉が出た時点で部下のマネジメントができていないのだ。向いていないは「ワタシ管理職ニ向イテイナイ」と白状しているものだ。 向いていないんじゃない。向かせるのが仕事なんだ。
管理職が出来てないことを話すと、いや違うと強硬に否定される。 基本的に相手を叩くことは好きでも叩かれることは嫌いなのだ。当たり前の話だが。 相手を否定すると言う考え方は管理職の宿命かもしれないが、今の時代はそれは許されない。
最近、「わたしが優秀なのではありません。ただ、部下が優秀なだけです」の意味が分かってきた気がする。 管理職じゃないけど。 部下が動き、上が責任を持つ。実際に動いて結果を出してくるのは部下だ。責任ある決断は上がする。 責任取らない人間には理解不能だろうな。
急に寒くなってきた。 今までの経験から、管理職や教育について考えてきたけれど、他の記事も似た考えが散見している。 仕事について考えることは同じ。ただ立場にある人が出来てないだけ。
言行が一致しないと言うのは管理職の特徴か。 部下に失敗を恐れるなと言うくせに、自分は恐れる。責任を取りたくない。 不利益を被るのは、部下と会社だ。まず、言行が一致しない管理職が最も損害を与えていると認識しなくてはならない。
仕事は辛いもの。辛い毎日に悩まされることが当たり前でいいのか。 別の働き方はないのか。
考える人材の育成と報連相の徹底は対極にあるから、実現は難しい。 報告や連絡、相談する時間がネックになるから、自己の判断で考え行動し、効率化を図る訳だ。 管理しようとする管理職には到底無理な話だ。
1on1も、レポートもハラスメントにしか思えなくなってきた。 多分、何を書いてもダメと言われる。 休日を使って書いてるけれど、ハラスメントにはならないのだろうか。
朝は色々、しんどいなぁ。 朝日が眩しい…。