どなたかを救うことのできる、ひとかどの人間になる為には、「欲のすべてを捨ててしまう」くらいの覚悟が大切だ。稲盛和夫さんの言葉に、「動機善なりや、私心なかりしか」(動機は善であるか?私心はないか?)という言葉がある。一心の修行を通し尽くせば、まさにこれに行き当たると思うから。
《真の無頼性》稲盛和夫さんの言葉を紐解いていると、真の無頼性について記されてあって、つまりそれは、独立心を持つこと、人に頼らないことであり、またわかったふりをしないことだという。「わかったふり」というのが、いかに人に安易な妥協で頼りきっている事実なのかを、とくと気づかされました。
稲盛和夫さんの書に《製品の泣き声》なる言葉がある。製品の泣き声とは製品の真心(孚)、私にとっての製品は絵の少女、少女は我が娘のようなもの。親が子を想い、子が親を想って鳴く、それほど素晴らしいものはない。製品を愛せばこそ、こうして欲しいという良き改良の着想(子の気持ち)が聴こえる。
僕を自己開示すると、何が好きかというと、《孤高な反権力者が好き》。 京セラの稲盛和夫さんだってそうだったと思うし、織田信長にしてもそうだし、羽生結弦さんのイメージも! 並べてみると、自分の好きなものって、意外にあるものですね(笑 キャラ立ちする自分って、面白いって感じてきたぞ!
結果を残した張本人、それは西郷隆盛かもしれない。 明治維新の立役者、西郷隆盛と、大久保利通。 結果を残したのは、結果を勝ち残した大久保ではなく、時代を動かした張本人・西郷を言うのではないか。 吉田松陰然り。 そして張本人を動かすのは大衆の心・情け、ひたむきさや古典の書でもあると。
稲盛和夫さん、亡くなっただって! マジか(泣) ご冥福をお祈りします。