受験の現代文で論理的思考力を問うというのは、法学部の試験で教科書通りの論述が出来るかという事と等しい。しかし、実際には現代文も法学部の試験も、前者は出題者の、後者は最高裁の判例に沿って応えるという、所謂”空気を”読む事を強要されている事は肝に銘じなければなるまい。好きに書けない。
米議会の債務上限額問題。ギリギリまで引っ張って大統領の管理能力の欠陥を世に問おうとしている共和党の判断は彼らの覇権奪取への自らの障壁になるかもしれない。BSの範疇で考える財政支出の在り方は日本でも、高橋洋一さんなどが唱えている。米民主党の耐えどころ、なのかもしれない。
長文読解の根本は現代文で処理できる、という事だと思ってる。というのも英語のパラグラフリーディングも結局は理屈の組立から考えられる事であり、出題者の解釈を上手く追随する根気と忍耐があれば、解けるものだと解ってくる。現代文は極端な解釈取り違えを排していく科目で、ストレートな解を出す物
よく現代文を論理的に考えれば出来るという人を見かけるが、実際それは少し違うと思う。出題者の考える枠組みに沿って応える、というのが真相であると思う。小説問題などでは、著者が「私はそんな事考えていない。」と文句をした事が有名だが、実際出題者の意図を題意から把握し、それに応答するだけ。
英語やるなら、問題集も大事だけど、You Tubeで反復してリスニング鍛えると血肉になる。ただ、クオリティは確認したほうがええだろう。