京大の国語。時代の抱える矛盾と綻びを突いた、考える内容だと思う。国立大の試験問題が私大と比べて何がやりやすいかといえば、題意が素直であること、そして理屈の筋が可視化されてることだ。国立のシンボリックスクールでもある、京大の問題がそうなのだから、他の国立もそれに倣うべきだ。
電車ン中で観る動画、最近はまろに超が多い。アイデンティティの田島さんは凄いけど、見浦さんはやべぇえぜ、こ、こいつは。カドタさんの算数は気の毒だった。もっと計算問題増やしたれや、算数だったら。パンちゃんのパンゲア大陸は皆知らなかったみたいだけど、大昔実際あったからね。
大学受験。模試や共テの結果の数値に一喜一憂する日々だけど、学業は学生の全てではない。その数値がその人の能力全てではない事は肝に銘じてほしい。社会に羽ばたくとき、痛い程それが解るよ。勉学って人生のほんの一部に過ぎなかったんだなって。
人との会話には、多少のセールスが必要というが実際金が絡む会話になると相手は引いてしまう。相手がそれを丁度求めているのだったら、渡りに船かもしれない。しかし、セールスとなると新興宗教の勧誘と一緒で、人の思いが打算にすり替えられたように思われる。だから、むつかしいのだ仕事は。
AOKIとかKADOKAWAとか割とイメージいいトコが、東京五輪汚職に関わってるのは外で見てるだけだけど、哀しいな。AOKIはデブにも居場所作ってくれる良い背広用意してくれるのに、トップの判断で経営に支障を来すのはスタッフに気の毒。
何でも個人的価値観で分断される中、理不尽さに抵抗する熱い魂で共感を集めるのが、宗教でありロックスターであり政治なのである。革新的な切込みで人々を防衛意識から解放させ、新たな共鳴を起こす。強く生きるとは、そういった運動に鋭敏に反応することだ。カルトは人を救わない。強かに啄むべさ!
ウクライナが救われるには、ロシア世論の趨勢がどうなるかだと、筑波大教授の中村逸郎先生が言われる。ただ悲しいかな権威主義体制の国家において、世論の発露がどこまでガバナンスに制限を加えられるかは未知数だ。ロシア国内の反戦の意見も封殺されている。議論は出来なければ身動きは取れないから。
茂木健一郎さんの東大を囃し立てるメディアは良くない発言に賛否。それ言ったら色んなジャンルを煽るのも良くないのかとの意見も。ドラゴン桜観て影響受ける人もいるかもしれない。因みに俺の小さな頃はやたらハーバード大を推してたよ、TVで。じゃ、一流宣伝して啓発活動って駄目になるのか?
日本史解くのは、枝葉に凝る時点で私大狙いなわけで。歴史のストーリー、システム、文化の”流れ”を追うのが国立らしい。各単元有機的に繋がってるというが、ある種独立に選好みして虫食いしても良いと思う。というか、この時期は論パタを押さえる時期に来てるのでそこをやんべ。
別に僕は科学者ではないから、科学に対する態度についてどうこう述べるつもりはなかったんだけど、余りに最近感覚ならかわいいが、数値を一切挙げない論が目立っているので、危険だなと思い今ここに記す訳です。オミクロン株とかコロナウイルスの前年度又は前月比でどうか、危険だ!と叫ぶ前に数値を。