サワヤンチャンネルのドッキリ、ハラハラしながら楽しんでる。ヤンのドッキリはえげつない内容が多いが、真面目なサワが受け手となるとより笑いの要素が濃くなる。出来たらレヴュー系をどんどん拡張していって欲しいな。
高校数学の勉強って証明を再現できれば良いのかというと、それ以前の問題として語の定義から始めねばならない事は言わねばなるまい。積分や数列、複素数など、記号や語が何を示すかといったところから、チンプンカンプンになるのは、じっくりと基礎固めが出来ていないからだ。
高校の頃は参考書に大きな意味を見出せなかった。問題を解く、という事を重視しすぎていて、肝心の理論部分の構築を強固に出来なかったのが反省点。先ずは講義を聴いて、熱を帯びたまま鉄を打つ、つまり問題をすぐに解くのが非常に有意義。
実践問題集の欠点は解説が基礎程詳しくはない事だと言われる。演習形式のテキストは大抵、基本書の類より、解説が薄い。だから、いきなり実践問題集は買わない方がいいかと言われると、それもまた違う。目的から逆算して基礎問題を解けるかどうかが、試験のプライオリティである事は言わねばなるまい。
京都の財政赤字は寺社仏閣の権力性に由来する問題であると思ってる。こう書くと、あちらこちらから非難の嵐となるのも覚悟して言うが、どう考えても京都の観光というヴェールをまとったブランディングは非課税では元が取れない。宗教法人や施設に対して先ずは賦課徴収していくのが財政民主主義だよ。
堀江貴文さんの大学無意味論にわっと賛成する人が、自らの特権に与りたい大卒者である理不尽なからくりが見えてない訳じゃないと思う。中学の頃定期試験前に勉強してないっていきり散らかしてた奴がクラストップだったあの仕組みを可視化しないと判らないのか。大学出るのが、イーブン。
結局プラスチックごみ問題って、それを大量に売ってる奴らこそ、諸悪の根源だと思うけど、一般消費者の問題に帰結させるのは甚だおかしい。バッグを持ってこいってそれ本筋じゃないよ。そもそも冷凍食品やお菓子、洗剤といった人気商品にプラスチックを大量に使わせるなら無策と同じだ。
包装プラスチックを大量に使用しているメーカーが一番問題なのに、家庭ごみとして捨てる消費者に責任転嫁してるの笑える。製菓も冷凍食品製造も洗剤メーカーも何れも素知らぬ顔して売りまくるこのご時世、エコバッグで申し訳程度にSDGsを謳うの凄いね。厚顔無恥だよ、行政もメーカーも。
何故日本の学者は素っ頓狂な美談しか語らないのか。ロマン主義が基軸ならば、今一度資料文献だけでなく、政府の発表する資料にもキチンと目を通して、リアルを知った上で言論を展開して欲しいなと切に願う。
何故数学が嫌いであった自分が物理には夢中になれたのかいざ考えてみると、小林節先生の『何故タカ派改憲論者が自説を変えたのか』を読んだら判った気がする。小林先生も慶應で名講義を連発し、受講者の半分が先生の本を買った記録から鑑みるに、やっぱり法則が人は好きという処に帰着するのだ。
考えてる事を表現するって、世間体とか常識に必ず照らし合わされる。ヒット作を見て、あれ俺も考えてたのにって思う人って大勢いるんだけど、そもそもその表現できる立場に就く事が大変難しい。ヒットしても思わぬ方向から叩かれる事もあるし。だから私みたいな消費者は座して観るのが一番いい。
朝っぱらから何作ろうか考えたとき、ふと明太子が昨日の残っているので、茶漬けにすることにする、大人しく。手の込んだものは夜に極力回す。ご飯炊いて、お茶沸かして食べるだけだし、いいじゃないか。
問いに応えるとは最初の一回目では分かりにくい。それは、難解な文章を一読して理解出来ない事に等しい。一回目取りあえず考えて、全く理解出来なかったときが勝負だ。解説読んで更に判らなかったら、先生に訊くネタが出来たと思えば良い。過去問を解き続けて、訊くネタを五、六個程ストックしておこう
高橋洋一さんの本や動画をメディアも注目してるというが、表立って参照してるというと行政と事を構える事になってしまい、色々資料が貰えない等の不利益を被るであろう。メディアのヘビーユーザーは解らないかもしれないが、行政は色々データをネットに挙げてる。だから国土省の不正統計もよくない。
学部時代に大前研一さんの著書を読んだ。その当時から世俗的通説を尤もらしく唱える方だなと思っていたが、日本の論点筆頭に議論の構築が時代の潜在的要望に掠りもしないのはどうかと思う。具体的に論文やリポート、リサーチをアンテナ拡げて見ているのか問いただしたい。