カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#35 髙木大成編
髙木大成(たかぎ・たいせい)
捕手・内野手・外野手 右投げ・左打ち 1973年12月7日生まれ
ライオンズ在籍:1996~2005年
通算成績:720試合 2280打数 599安打 打率.263 56本塁打 319打点
背番号:10(96~05年)
福岡出身の父親が、西鉄時代からのライオンズファン。都内の自宅が近かったため、少年時代は西武ライオンズ球場(現ベルーナドーム)の土日のデーゲームに、よく連れてきてもらっていたという。
桐蔭学園高の1年夏はレフトを守っていたが、秋の新チームになってから捕手に専念。3年夏の甲子園では、打順1番を打つキャッチャーとして注目を集める。このとき3番を打っていたのが、1年生の高橋由伸だった。
慶應義塾大の推薦入試に無事合格すると、まだ入学前の2月から野球部のアメリカ遠征に参加する。これは慶大では異例のことで、それほど大きな期待が寄せられるなか、1年春からリーグ戦デビュー。秋にはクリーンナップを任された。
先輩捕手との兼ね合いで2年までは外野を守り、3年春から捕手に戻る。鋭い打球を広角に打ち分け、4年間通算27二塁打は、当時の東京六大学記録だった。
大学生ながら全日本入りして、多くの国際大会も経験。94年に広島で行われたアジア大会では、決勝の韓国戦で、のちに読売ジャイアンツでプレーする趙成珉からの2ランなど、4打点をあげる大活躍。95年のアトランタ五輪予選では、韓国戦のサヨナラ勝ちの口火となるヒットを打つなど、主に代打で本戦出場に貢献した。
大学・社会人の逆指名が認められていた時期で、複数球団から誘いのあるなか、「捕手として育てたい」との方針が決め手となって、ライオンズ入団を決める。
伊東勤が33歳となり、次世代の捕手育成の必要に迫られるなか、1年目から1軍入り。開幕からチームが1勝5敗と負けが先行するなか、7戦目の福岡ダイエーホークス戦で初めてスタメン出場すると、先発の西口文也を好リード。打っても決勝打を含むマルチ安打と、期待に応えた。
優勝争いから早々と脱落したこの96年、東尾修監督は世代交代を推し進める。6月5日日本ハムファイターズ戦では、髙木を「1番捕手」で先発起用。ライオンズの「1番捕手」は76年楠城徹以来、20年ぶりだった。
高校時代を思い出すかのように、髙木は4回裏に先制ソロを放ち、立ち上がり不安定だった新谷博を完封勝利に導いた。後半戦からは3番を打ち、打率.278、4本塁打。80試合に出場して、59試合でマスクをかぶった。
だが翌年4月30日の試合から、東尾監督は清原和博のFA移籍で空いた一塁のポジションで、髙木を使い始める。このときチームは5連敗中。伊東が健在のなか、髙木の打力をフルに活かそうとしての決断だった。すると、ここから5連勝して首位に浮上する。
捕手へのこだわりは強かったが、持ち前の野球センスを発揮して、転向1年目で一塁のゴールデングラブを受賞する。この年は打率295、64打点、24盗塁と、まさにチームスローガンの「Hit! Foot! Get!」を体現して、リーグ優勝したチームの中心選手となる。
続く98年は3番打者に定着して、シーズン135試合中134試合に出場。自身最多の17本塁打、84打点、2年連続のゴールデングラブ賞と「レオの貴公子」の称号にふさわしい活躍をみせた。
ところが、99年2月のキャンプ初日、練習メニュー最後のノック中に右足首靭帯断裂の大ケガをしてしまう。それでも4月下旬には復帰して5番に定着。54打点をあげたのだが、ケガのブランクの影響で「プロで3年間培ってきたものが、ゼロに近いところまで戻ってしまった」と、納得のいくバッティングができなくなっていた。
ここからの野球人生は、ケガとの戦いの連続となる。00年6月の試合中、本塁上で相手捕手と激突して、左ヒザの軟骨を傷める。それをかばいながらの出場を続けていると、今度は過度の負担のかかった右足太ももが肉離れを起こしてしまう。オフに左ヒザを手術して、巻き返しを図った翌シーズンは、カブレラの加入で定位置を失い、ケガ以外では初めてのファーム落ちを経験する。
続く02年はオープン戦で、左手首の剥離骨折と靭帯損傷と、年々出場機会が減っていく。一時はセカンドへのコンバートも検討された。
満身創痍のなか、03年シーズン初スタメンとなった4月29日の福岡ダイエーホークス戦で、松坂大輔と新垣渚の投げ合いに決着をつける決勝ソロ。翌日にも8回裏に代打で同点ソロなど、自身初となる4試合連続本塁打、7試合連続打点と、再び輝き始めたかに思えたが、今度は右腕の神経麻痺と右手首の靭帯断裂。オフには右前腕、右上腕、右手首の3ヶ所にメスを入れた。
「こんなに手術をした選手はいないと思う。だからこそ、ここから復活できたという前例をつくりたい」と、1シーズンをリハビリとトレーニングに費やして、05年には開幕1軍入りをする。
4月9日ホークス戦で、自身2年ぶりのヒットなどで3打点。翌日にも1安打するのだが、それが最後のヒットとなり、4月下旬に登録抹消。1軍に戻ることはなかった。
本人は右腕の機能の回復を実感していたが、シーズン終了後に、球団から戦力外を言い渡される。と同時に、球団職員への転身を打診された。「1ヶ月近く考えたのでしょうか。迷った末に」(「プロ野球チームの社員/髙木大成著」ワニブックス)ライオンズを裏から支える立場にまわることを決意する。
営業部ファンサービスチームからスタートして、現在は事業部に籍を置き、主に試合中継の放映権の管理、販売を担当しているそうだ。
23日に発表された今回の「LEGEND GAME 2024」のチーム分けでは、捕手が4人いる「チームLIONS」に振り分けされているが、もしヒジ、ヒザなどの状態が許すのなら、久々に“キャッチャー髙木大成”も観てみたい。
主なタイトルなど
ゴールデングラブ賞 2回(97、98年)
オールスター出場 3回(97~99年)
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