石井四郎が罪を自覚できるような人物であった証はない 戦後、新宿区にある禅寺(臨済宗)に通い、そこの老師に参禅したらしいのだ 自分に向き合おうとしたのであろう しかしそんなことで大罪が浄化できるはずもない 老師は慈悲深い人であったが、石井の深い心の闇を理解できるはずはなかっただろう