人類共有知ゲノム

得丸久文(デジタル言語学者)。人類は6万6千年前、南アフリカの洞窟で母音を獲得し、デジタル言語進化が始まった。その後の信号の三段階進化(音節、文字、Bit)に対応したホモサピエンスになるためには、生後に人類共有知ゲノムを取り込み、発現させる必要がある。

人類共有知ゲノム

得丸久文(デジタル言語学者)。人類は6万6千年前、南アフリカの洞窟で母音を獲得し、デジタル言語進化が始まった。その後の信号の三段階進化(音節、文字、Bit)に対応したホモサピエンスになるためには、生後に人類共有知ゲノムを取り込み、発現させる必要がある。

マガジン

  • アウストラロピテクス発見から99年目の南アフリカ

    1924年にレイモンド・ダートが、初期人類の化石を発見して来年で百年になる。300万年前の初期人類誕生から、7万年前の言語の獲得までを、人類学はどのように解明したのか。 一方、1994年に全人種選挙の行われた南アフリカで、まだアパルトヘイトが続いているという。この現実も見てきたい。

  • 人間は光から生まれてきた

最近の記事

人類の起源への旅日記 1.ヨハネスブルグとプレトリア

9月7日午前4時 忘備録として今回の旅を振り返る   8月27日午前4時  前日から何度もタクシー予約の電話を試みたのだが、台風10号が接近中ということで、タクシーが予約できなかった。仕方なく、スーツケースを自分の車に積んで大分駅まで運び、幸代と荷物を下ろして、いったん車を自宅のガレージに入庫する。それから駅まで歩くつもりだったのだが、帰りしなにトキハタクシーが走っているのを見かけたので、予約センターに電話して、自宅に配車してもらう。助かった。 5時12分のソニック2

    • 岡本太郎の「生命の樹」の前方誤り訂正 (4)  クロマニヨン人から先の人類進化

       高さ41メートルの生命の樹を上り詰めたところで見学者を待っているのは、原始生活を送るクロマニヨン人である。40億年の生命進化の最終段階に原始生活が置かれてあるのを見て、僕は「え、どうして?」と思った。  「人類の進歩と調和」をうたい文句に、世界から最先端の技術や知識を集めて展示が行われている万博で、なぜ岡本太郎はクロマニヨン人で進化を止めているのだろうか。疑問に思った。あとで、何人かの知り合いと話したが、同じ疑問を抱いた人がいた。  人類がどうやって文明を発展させたかは今

      • 岡本太郎の「生命の樹」の前方誤り訂正 (3)  間違っていたら訂正する

        大阪府庁に電話してください 太陽の塔の展示を見始めて、いきなり間違いに気づいた僕は、近くにいる係員に40億年前というのは20億年前の間違いであることを説明した。  すると係員は、どういう間違いか、なぜ間違っているのかということを深く考えることもなく、「これは当時の展示のママなのです。」と正当性を主張する。「だけど、もし太郎さんが今生きていたら、最新の科学知識を反映するように訂正すると思いませんか?」  少々お待ちくださいと事務室のほうにさがり、10分ほどして戻ってきた。「展示

        • 岡本太郎の「生命の樹」の前方誤り訂正 (2)  原生動物はいつ生まれたのか

           生命の樹は「岡本太郎が構想した高さ41メートルにおよぶ巨大造形」である。 「天空に伸びる1本の樹体に、単細胞生物からクロマニヨン人まで、生物進化をたどる33種もの”いきもの”がびっしりと貼りつく独創的なインスタレーションで、世界にも類がありません。」(「ようこそ太陽の塔へ 展示概要」より)    地球上にはたくさんの種が存在しているのだから、それを33種類で代表させようという企てを、「浅い」とか、「いい加減」と思ってはいけない。33という数字には、すべての生命という気持ち

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        • アウストラロピテクス発見から99年目の南アフリカ
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          岡本太郎の「生命の樹」の前方誤り訂正 (1) 岡本太郎の心に触れる

           大阪の万博記念公園(1970年の万博が行われた場所)にある岡本太郎の太陽の塔。その中に「生命の樹」という展示物があり、6年前から一般公開されている。いつかみたいと夢見ていたのだが、ようやく念願かなって、7月26日の午前中に訪れてきた。  大分から夜行バスで東梅田まで出て、そこから御堂筋線に乗って、モノレールに乗り換え。長旅の疲れをまったく感じさせないほど、空は見事に晴れ上がり、僕たちは太郎さんに会いにきたつもりで、ワクワクした気持ちで太陽の塔に近づいた。  妻はこの日のた

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          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(12) 偈頌89 雪の上に霜を加ふ

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全』の第七巻は、『道元和尚廣録』の最終巻、第十巻 真賛、自賛、偈頌である。主として七言絶句の漢詩である。 真賛は、釈迦、達磨、阿難、仏樹(明全)を頌した5首。(釈迦は2首) それから自分(道元)の肖像画のためにつくられた自賛が20首。 偈頌は125首で、中国留学中のものが50首、日本に帰国したあとのものが75首。 ひとつひとつの漢詩を、読み下し文、現代訳、そして語義と解説を合わせて読んだ。現代訳が非常にこなれていて、いわゆる「仏教的ナンセンス表

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(12) 偈頌89 雪の上に霜を加ふ

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(11) 「如何なるか是仏」、「麻三斤」

          大著である『永平廣録 大全』の第六巻は、「道元和尚廣録」の巻九にあたり、祖師たちの公案・古則を紹介し、それにちなんで道元が詠んだ漢詩「玄和尚頌古」が90首、掲載されている。 僕はこれまで、廣録を何度か通読しているつもりだが、この頌古のところは、読み飛ばしてきた。廣録のなかでは、もっとも魅力的ではないところだと思っていたから。 でも、せっかく大谷先生が漢詩について丁寧で、わかりやすく、まごころのこもった現代訳をつくられたのだから、できるだけ丁寧に読んでみようと今回は思ったの

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(11) 「如何なるか是仏」、「麻三斤」

          <ことば>をどう使うとホモサピエンスになるのか ー 没後40年、詩人山本陽子をふりかえる

          坂井信夫さんの「<ことば>を壊す詩人たち」の中核は、坂井さんが20世紀最高の詩人とみとめる山本陽子(1943-1984)にささげられている。今年、没後40年となり、人類の滅亡がいよいよ実感されているとき、山本陽子についての評論は貴重である。 僕は山本陽子のことを、毎日新聞の夕刊文化欄に掲載された坂井信夫さんの記事で知り、彼女の詩集を手に入れた。なんだかよくわからなかったけれど、気になり、惹きつけられらからだ。30年以上も前のことだ。 「朗読されることを根底から拒否している

          <ことば>をどう使うとホモサピエンスになるのか ー 没後40年、詩人山本陽子をふりかえる

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(10) 法語に登場する了然道者

          とりあえず531の上堂語を全部読んだ  大谷哲夫編著『永平廣録 大全』は、全部で8巻。前半の1~4巻は、道元が法堂で弟子たちに語った531の上堂語である。(全10巻ある道元の『廣録』では巻1から7に対応)  上堂語は、ほぼ年代順に編纂されていて、巻1が京都の深草興聖寺、巻2が越前・志比庄に新たに建てられた大仏寺、巻3が、大仏寺を永平寺に改称して鎌倉に行くまで、巻4から7が鎌倉から永平寺に戻ってきて示寂するまでである。  上堂語を繰り返し読んでいくと、道元の語る言葉から、そのと

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(10) 法語に登場する了然道者

          スターピープル

          天気がいいので、妻と天の川をみてきました。 思いつくまま、十首。   ★★★ スターピープル ★★★ 天の川見に行く?行こう七夕の空がとっても晴れているから 郊外に行けば灯火が途切れるよ勘に頼って夜間ドライブ 右の道真っ暗だから曲がろうかきっと夜空を見る場所あるよ 蛙鳴きコオロギ歌うキャンプ場人気途絶えた日曜の夜 見上げれば北斗七星北極星踵返せば蠍座みゆる 天の川雲に見まがう白き帯無数の星がその中にいる 星どもは言葉使わず語り合う君もできるよやってみなはれ

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(9) 道元の転機

           この大谷哲夫編著『永平廣録 大全』を読み進んでいて、これまでなんとなく気になっていたのだけど、今一つよくわからず、証拠が得られていなかったことが、氷解した。  巻3は、寛元4年6月に、大仏寺を永平寺に改称して、仏法を説くことに専念するのかと思いきや、道元の上堂語には、やる気のない弟子たちへの他人行儀な挨拶(上堂語196,206,218)が頻出し、君たちが弟子だと僕の評価も下がる(上堂語197)、居眠りばかりするのなら坐禅はやめなさい(上堂語205)の後に、突如として登場する

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(9) 道元の転機

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(8) 上堂語の時代区分

          道元和尚廣録の巻1は、興聖寺語録、巻2は大仏寺語録。巻3から7までの5冊が永平寺語録である。 興聖寺語録(32+94:達磨宗入門以前と以後) 興聖寺は、道元が建仁寺からひとり立ちして、京都の深草に開いた修行道場。道元はここで嘉禎二年(1236)10月に完成した僧堂で上堂を始める。興聖寺での上堂数は126。 うち32は、仁治二年(1241)春までに行われたもので、日本達磨宗が集団入門する以前の4年強いのもの。 残りの94は、日本達磨宗が入門し、二人の弟子が亡くなり、鎌倉武将で

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(8) 上堂語の時代区分

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(7) 世界をひと言でいうならば

           大谷『永平廣録 大全』をひもときながら、道元の上堂語を再読吟味してみよう。  上堂語2は、世界をひと言でいい表わすとすればどうなる? という問いかけで始まり、道元は最後に自分の考えをサラリと述べる。 「海底の蝦蟇(ガマ)が粥を食べ、天上の月が鉢を洗う」 (海底の蝦マ(虫篇に麻)喫粥(きっしゅく)し、天辺(てんぺん)の玉兎洗鉢(ぎょくとせんぱつ)す)  無門関の第七則にある「趙州洗鉢」を踏まえているところが、カッコいい。  海の底に住んでいる世間知らずなカエルも、一生懸

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(7) 世界をひと言でいうならば

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(6) 正法眼蔵の真筆を見極める

           道元の主要著作は、『正法眼蔵』と『道元和尚廣録』(=永平廣録)の二つです。    廣録には、祖山本と卍山本の2種の異本がありますが、道元が識語をつかって真筆の刻印を押したのは、祖山本。祖山本だけ読めば、道元の教えに触れられるので卍山本は、読まなくてよいということになります。  一方、『正法眼蔵』ですが、こちらは、28巻本、60巻本、95巻本、新草12巻本そして75巻本と、異本の数が多いのが特徴です。しかし、ズバリ、75巻本と弁道話だけが真筆で、その他の異本は読む必要がありま

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(6) 正法眼蔵の真筆を見極める

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(5) 人類初の誤り訂正符号の利用

           「興聖禅寺語録終 第一    現住門鶴老衲置之者   上堂語 三十四、頌古四十五首」  この識語はなんのために書き込まれているのか。  そもそも識語は何なのか。  なぜ上堂語は126あるのに、三十四と書かれているのか。  頌古45は、巻一に収められた漢詩の数と一致するのか。  道元和尚廣録(永平廣録)は、これまで何度か出版されているが、祖山本の各巻の末尾に「上堂数〇〇、頌古〇〇首」とある識語を掲載している編著者(大谷哲夫、寺田透)と、掲載していない編著者(鏡島元隆、木村

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(5) 人類初の誤り訂正符号の利用

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(4) 無言で無反応な弟子たちとの対話

          僕はこれまで、第一巻の上堂語のなかで、道元がなぜこのような話をするのか特にわからなかったのが、上堂語64である。 どんな話か、簡単に言うと。 世間の人たちが花見に行って楽しんでいるとき、七人の娘たちは「私たちは世間並の楽しみに耽るべきではない」と、屍者の埋葬所に行く。 そこで死体をみた娘が、「屍はここにあります。が、人は何処に行ってしまったのでしょう」というと、天から花が乱れ落ちてきて、帝釈天が姿を現して、「皆さんが、さとりを得たので、讃美したのです。」という。 そして帝

          大谷哲夫編著『永平廣録 大全 』読書ノート(4) 無言で無反応な弟子たちとの対話