波多野 ふひと

私はNOTEに「crossasia」という筆名でエッセイを書いている。ところで私にはエ…

波多野 ふひと

私はNOTEに「crossasia」という筆名でエッセイを書いている。ところで私にはエッセイと同時に、私が生まれて生きてきた時代を「千の点描」と名付けた短編小説群として描き尽くしたいというライフワークがある。人生は台本のない物語だが、「千夜一夜」にならって可能な限り描き続けたい。

最近の記事

「千の点描」をはじめて約1週間。noteから《200回達成おめでとうございます! 300回「スキ」を集めると次のバッジがもらえます!》のメッセージが届きました。みなさまが作品を読んでくださったおかげです。ありがとうございます。これからもいい作品を発表していけるよう努力します。

    • 「一国一城のおやじ」

      「千の点描」 <第三一話> 長春の空港にタラップで降り立った時には空は快晴で、厳冬の吉林省も思ったほど寒くはないと多寡(たか)を括ったその瞬間、空港を這うように一陣の風が駆け寄ってきて頬にピシッと痛みが走った。おそらくマイナス二〇度くらいの温度だったように記憶している。   北京で偶然にも、中国映画界の黒澤明と呼ばれていた年配の映画監督と知り合う機会があった。彼は国策的なプロパガンダ映画の大作を多く手掛けてきた監督だった。国も違えば年齢も離れていて、これまで生きてきた世界が

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      • この《波多野ふひと》のアカウントで「千の点描」の投稿をして約1週間。noteから「200回達成おめでとうございます! 300回「スキ」を集めると次のバッジがもらえます!」が届きました。みなさまに読んでいただいたおかげです。ありがとうございます!

        • カミキリムシのいた街路樹

          「千の点描」 <第二九話> 美しい昆虫は、必ず高い樹の上に棲んでいると、私は理由もなく信じていた。私は昆虫取りが得意で、小学校の高学年になった頃から、さまざまな高い樹に登っては昆虫を取っていた。今から思い返すと、昆虫そのものに格別の執着があったわけではなく、どんな高い樹にも自在に登れることが私の本当の自慢だったような気がする。そして高い樹に登った証明として昆虫が必要だったのだと思う。 あえて「昆虫採取」と言わず、いつも「昆虫取り」と呼んでいたことにも、そんな私の気持ちがその

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        「千の点描」をはじめて約1週間。noteから《200回達成おめでとうございます! 300回「スキ」を集めると次のバッジがもらえます!》のメッセージが届きました。みなさまが作品を読んでくださったおかげです。ありがとうございます。これからもいい作品を発表していけるよう努力します。

        • 「一国一城のおやじ」

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        • カミキリムシのいた街路樹

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          彷徨える淀川

          「千の点描」 <第二二話> “京阪電車”は、京都と大阪を結んで走る私鉄電車で、阪急電車と並んで関西人には馴染みが深い。京都と大阪の路線を軸に、京都から滋賀県の大津、また京都の比叡山、八瀬大原、宇治などにも延伸しているので、大阪から京都方面への移動には欠かせない路線といっていい。当時私は南大阪方面に住んでいたので、私が利用するのはせいぜい大阪、京都間だったが、テレビを見ながら移動できる電車としての印象が深かった。輸送機関としてはその通りなのだが、京阪電車の大阪、京都間の路線沿

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          最も美しい風景

          「千の点描」 <第九話> 列車はいま緩やかなカーブを描いて海岸沿いを走っていた。人が心に思い描く中で、最高の色合いをした青色が空いっぱいに溢れ、キャンパスに記された画家のサインのような小さな純白の雲が青空の一画にさりげなく配置されていた。 その圧倒的な青の世界の上を、横一線に水平線が走り、少し暗く、ぬめりを含んだ海の青が地平線から海岸へと迫ってきていた。列車が走る大地は、ところどころ海へとその舳先(へさき)を延ばし、舳先の周囲には、大地と海の間に生まれた私生児のような小さな

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          波多野ふひとで「千の点描」を投稿しはじめて4日目。「100回達成おめでとうございます! 」のメッセージががnoteから届きました。多くのみなさまがお読みくださり、感謝しています。短編小説を毎日投稿してまいります。よろしくお願いします。(投稿7日目と思っていましたが、4日目でした)

          波多野ふひとで「千の点描」を投稿しはじめて4日目。「100回達成おめでとうございます! 」のメッセージががnoteから届きました。多くのみなさまがお読みくださり、感謝しています。短編小説を毎日投稿してまいります。よろしくお願いします。(投稿7日目と思っていましたが、4日目でした)

          運命の腕立て伏せ

          「千の点描」 <第七話> 私の家は大所帯だった。父母に祖母、兄弟五人に、父方の従兄を加え合計九人。それに兄の友人が居候していて、それを加えると総勢一〇人になる。豊かな家でもないのに母が万事鷹揚(おうよう)で、食べるものでも、格式のある料亭に出入りしていた高級鮮魚屋から旬の魚を取り寄せるといったように、金に糸目をつけないというほどでもないが、美味しいものには目がなかった。私が幼い頃といえば、戦後一〇年も経っていなかったので、日本の食事情はかなり酷(ひど)いものだったが、私の家

          運命の腕立て伏せ

          わたしの記事「真夜中の訪問者」と「針千本の駅前」の2作品は、ほしの遥華さんのマガジン、《遥華の視点で選ぶ~ビュー増えるかも🎵》にコレクションいただきました。ほしのさん、ありがとうございます。これからも「千の点描」はどんどん短編小説を発表してまいります。よろしくお願いします。

          わたしの記事「真夜中の訪問者」と「針千本の駅前」の2作品は、ほしの遥華さんのマガジン、《遥華の視点で選ぶ~ビュー増えるかも🎵》にコレクションいただきました。ほしのさん、ありがとうございます。これからも「千の点描」はどんどん短編小説を発表してまいります。よろしくお願いします。

          短編小説群、「千の点描」をはじめて6日め。みなさまが投稿を読んでくださり、noteから「75回達成おめでとうございます! 」のメッセージが届きました。ありがとうございます。

          短編小説群、「千の点描」をはじめて6日め。みなさまが投稿を読んでくださり、noteから「75回達成おめでとうございます! 」のメッセージが届きました。ありがとうございます。

          影法師の頭部

          「千の点描」 <第一一話> 私はいつも、黄昏時に人と並んで歩くのを避けていた。なぜなら、私の影法師には頭部が無いからだ。同じくらいの背格好の人と横に並んで歩くと、私の影法師はその人の影法師より頭分だけ短く見えるのだ。今までそのことを人に気付かれたり、不自然さを指摘されたことはないが、その事実を自覚してからは、本能的とでもいうか、人に知られることは絶対に避けようと決意していた。しかしそれは簡単なことではなくて、子供の頃から悲しいくらい細かいことに気を配っていた。基本的には、出

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          兄弟たちの落とし穴

          「千の点描」 <第五話> 私たち四人兄弟には、それぞれ三、四歳の年齢差があった。長兄である兄も、その下の兄も、取り立てて腕力が強かったわけでも、抜きん出たリーダーシップを発揮していたわけでもない。しかし子供の世界では、兄弟の三年、四年の年齢差が、私たちの立場を有利に保ってくれた。つまり、長兄はさておいても、次兄の後ろには三歳年上の長兄が付いていて、私は四歳年上の兄の支援が期待できる。また弟には、三歳年上の私が付いているという具合に、いつも年上の兄が後ろに控えているという優位

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          ワンドのカピバラ

          「千の点描」 <第二四話> 琵琶湖を水源として、京都から大阪へと流れる淀川の両岸に、小さな池や湾が点在しているところがある。一般用語かどうかは知らないが、淀川の河川敷にある説明版によると、この小さな池や湾はワンド(湾処)と呼ばれているという。明治時代に京都、大阪の間を淀川で結んだ蒸気船の運航にその起源があるということだった。日本人には川を運航する蒸気船にあまり馴染みはない。しかしミッキーマウスの最初の短編アニメーション映画である「スティームボート・ウィリー」に登場するような

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          真夜中の訪問客

          「千の点描」 <第二〇話> 大阪から京都の下鴨にある新しい家に引っ越したその日の真夜中に、大胆にも大きな音を立てて塀を乗り越えてくる侵入者があった。   わが家はそこそこの大所帯で、引っ越しの荷物が大量にあった。当時はシステム化された引っ越し専門の業者が少なくて、大抵の場合は近在の運送屋に引っ越し荷物を運んでもらった。わが家の荷物は一〇トンのトラックで換算すれば、おそらく二台分くらいあったと思われる。これまでにもわが家は、何度か転居を経験していたので、気持ちの上では引っ越し

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          松ノ木町の食卓

          「千の点描」 <第一八話> 大阪は一代、東京は三代、京都は七代という言葉がある。大阪なら住んだ人の代から大阪人となり、東京なら親子、孫と三代住めば東京人と呼ばれる。ところが京都なら、七代にわたって住まないと京都人とはみなされないということのようだ。京都を外から見ている人は、落語の“京のぶぶ漬け”で語られるように、外部に閉鎖的で“しまり屋”の京都人気質を面白おかしく話題にする。実際に二〇年ほど京都に住んだ余所者の私の目から見ると、京都人の内と外を分ける意識は、確かに思った以上

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          ペニシリン軟膏

          「千の点描」 <第一二話> コンクリートの塀に向かって、そのまま激突するように真っ正面から一気に走り込み、壁に激突する直前に足を塀の壁面に乗せて垂直に駆け上がる。すると、助走で得た前方への運動エネルギーが上方に向かうので、易々と高い塀の縁に手を掛けることができた。そのまま懸垂するように、塀の縁をつかんだ手で体をグイと引き寄せて、片方の足を塀の上に絡ませると簡単に塀を乗り越えることができた。短距離のダッシュ力には一〇〇%の自信があり、助走に必要とするバックヤードはせいぜい一〇

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