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禅の道(16)参禅とは

参禅堂のはじまり

念水庵の新しい小さな坐禅堂「参禅堂」は、仲間たちと共に協力して作り上げた、禅の道を深めるための静寂な空間です。このお堂は大きさにこそ限りがあるものの(単の数が六)、その中には無限の深さと心の広がりを感じられる場所となっています。質素でありながら、細部まで心を込めて作り上げられた参禅堂は、訪れる人々が日常を離れ、内面と向き合うための特別な場を提供しています。

参禅堂の魅力

参禅堂の魅力は、その「シンプルさ」にあります。装飾を控え、自然の素材を活かした建築によって、ここでは外界の喧騒が薄れ、ただ「坐る」ことだけに意識を集中できる環境が整っています。また、仲間と共に協力して建てたという背景があることで、このお堂には一人一人の思いと祈りがしみ込んでおり、共に坐る者に安らぎと一体感をもたらします。

「共に坐る」ことの深い意義

禅の世界では、「坐る」という行為がただの行動ではなく、心の静けさを保ち、心身の調和を図る重要な実践です。そして、参禅堂で「共に坐る」という行為は、ただ一人で坐禅をする時には味わえない、共に存在することの意味を見出す体験となります。禅の教えにある「共にいることで自他が一つになる」という思想は、他者と共に坐ることで、より深く感じ取ることができるのです。

例えば、静寂の中で互いの呼吸や心のリズムを感じ取ることで、自分だけではない「全体としての調和」を感じる瞬間が訪れます。参禅堂において、仲間と共に坐ることは、自分自身の心だけでなく、他者や自然の流れと繋がっていることを実感できる貴重な時間です。

参禅堂にこめた思い

参禅堂は、禅の道を歩む仲間たちが集い、日々の生活の中で心の静けさを取り戻すための場所でありたいと願っています。この小さな坐禅堂での時間が、それぞれの日常に深い影響をもたらし、静かな心と共に歩む道へと繋がっていくことを願っています。


禅の教えに「自他一如」という考えがあります。これは、自と他を区別せず、一体として捉える思想です。修行道場のことを私たちは「叢林」と呼んでいます。叢林において、皆とともに坐ることが「参禅」であり、自分が坐っているようで、久遠の昔から仏祖とともに坐っていると実感できます。

参禅堂では線香をたて燈明をつけ花を生けます。向かって左から花立・香炉・燭台を三具足と申しますが、仏教用語で「物事が十分に備わっている」という意味があります。佛菩薩や祖師方と共に坐ることが「参禅の本義」であるため、参禅堂全部を荘厳しょうごんするのであります。

仏のおいのちは永遠であります。ゆえに「不生」であり「不死」と申します。身の出家・在家にかかわらず、自ら進んで坐禅することは、仏の命そのものであり、仏のお姿に他なりません。これが参禅することの深い意味であり、参禅こそが「禅の道」の真髄と信じて疑いません。

来週の金曜日11月15日には、念水庵の開単を記念して、参禅会を開きます。ちょうど私の満70歳の誕生日です。数え年で来年正月71歳、すでに古希を超えていました。「古来希なり」は昔の話。いまの70代は現役真っ盛り。なんの心配も要りません。やりたいことが山ほどあるからです。

ご覧いただき有難うございます。
念水庵

山裾の参禅堂は簡素にして堅牢なり。

山ほど成るほど。

参禅堂に至る道(2024/11/6撮影)



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