民族精神は現実に存在する。 日本民族に託された課題はもうじき終わろうとしている。 だが、その課題は流産しかけている。 私は50年近く活動してきたが、民族の課題を自覚している人物は皆無に等しい。 可能性を持った人物は一歩手前で斃れた。 今後、日本民族に何が起きても不思議ではない、、
私も一時期1000人以上の人物を施術したことがある。事故で怪我したり者も含め、医者に見放された人物も6人ほどいた。ところが「ただほど怖いものは無い」と考えたのか治ったら二度と私の前に姿を見せなくなった。(2)
気の乱れとは思考の乱れである。気の実体は生命であり、思考・叡智でもある。 健全な思考を徹底的に錬磨し、血肉化体得せぬ限りは気の乱れが肉体の弱ったところに滞る。 世に居る自称気功師と称している人物等は単なる商売にすぎぬ。(1)
美とは灼熱する倫理である。
アマゾンで電子書籍として出版した「小林秀雄論」を検索すると小林秀雄著作と並んでいる。電子書籍を作成してくれた栗焼直彦氏に感謝です。 「小林秀雄論」 https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%80%8C%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84%E8%AB%96%E3%80%8D&i=digital-text&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_
空間と時間がクロスする地点が抽象表現の原点であり、それを個人が体得してから真の創造が始まる。 物質界に命を吹き込み高次の次元へと高める行為が真の芸術である。