天文21年(1552)1月2日は南近江を治め幕府に影響力をもった六角定頼が亡くなった日。兄氏綱が病死すると禅僧だった定頼が還俗し家督を継いだ。幕府の中枢に関与して将軍足利義晴や義輝の擁立に貢献し管領代として後楯となる。定頼は六角氏の最盛期を築き畿内に進出してきた三好氏とも争った。
天文21年(1552)1月2日は南近江を治めた六角定頼が亡くなった日。将軍足利義晴の擁立に貢献し管領代として後楯となる。楽市楽座は信長の実施が有名だが定頼による記録が初見とされる。大河ドラマで取り上げられる人物の先を行く人たちが数多くいるのに私たちが知らないだけなのではないかと。