判の兵庫 memo
一、 永禄 十 二 年 己 巳 の 歳 より 翌年 午 の 七月 まで、 天 に 煙 の 出る 星 出来す。 また、 信玄 公 三十 一 歳 の 時分 より 召し 置 る ゝ 江州 石 寺 の 博士、 昔 の 晴 明 が 流れ にて 易者 なり。 なかにも 判 を よく 占 ひ 申す に つき て 判 の 兵庫 と 名乗る。 余 の 占 ひ をも 正法 に 仕り、 内典・外典 ともに 携 はり、 邪気 なる こと 聊か も なけれ ば、 信濃 国 水 内 郡 において、 百貫