=女性性の真の強さたるものが本当に嫌悪でしかない= ということを認識して数日。何でなのか分からない、幼少の何かかバイアスか??という靄靄と超絶胸糞悪くて発狂寸前の怒りみたいなのもあってどうしたものかと。で、身体が整ったら謎はありつつも靄靄と怒りは霧散。え、何処へ?→
今日のスイムは「空いているところを狙う」でした。ウォーミングアップで「今日は何をしたいのか」を確認するのがいの一番にやることなんだなとわかりました。そうすると、その後の食べたいものも比較的わかりやすいような氣がします。肉肉肉だったので鶏肉の唐揚げ(胸とモモ)300g。
本来使わなくていい筋肉を使うてことは、本来の仕事ではないから負担大きいよね。人の仕事で残業しすぎて過労死寸前みたいなことを肉体にさせているんだよなぁ。ーと弟と話した後に氣付く。過去の修行系の動きは正にそれじゃん。イージー系は私にとってのイージーなのだという根本的なことを思い出す。
寒くなったのに布団を変えずにいたので筋肉固まる、眠れていないから疲れ取れない。それに加え、筋肉固まる→思考も固まる。特に仙骨周りが固まると思考優位になる。思考優位かつ停止って、強烈だったなぁ。固定されたのが久々なので食らった感半端ない。氣をつけよう。
コロナで相当なデトックスができて、それ以来、赤身肉と果物を食べ、少しずつ食べる種類を増やしてきたのだけれど、舌が敏感になったようで。 舌全体何かに纏われて氣持ち悪くなる、舌の真ん中に多数の針が刺さったり等々。コレ系を食べるとこうなる、とデータ収集中。
追記 空いたスペースに向かって泳ぐのでプールを縦横無尽に泳ぐわけです。長年、レーンを真っ直ぐ泳いできたのでその思い込みがありましたが、好きに泳ぐって楽しいな!おい!!!!ってなってウハウハウハハと泳いでいました。
『主語が変わると目に入るものが変わる』と言うことを今朝のプールで体得。まだちょと納得したくない私と体得しといて何言ってんのと言う私の会話が繰り広げられています。時間の問題ですけども。
骨盤の中の丸っ玉、丸っ玉は何か??わかるようで分からないのでトレーナーに質問。どうやら「中心」らしい。ここから動くと心地よい。動きの起点のような。あ、起点で中心なら、能(魂)じゃないの。能動的に動く=魂から動くわけだから、そりゃ心地良いし物事は上手く回るわけだ。
『生活基盤を自分のリズムにしたい』これが私の切なる願いということは長いことわかっていたけど出来なくて。で、今やっと起動したんだけど『初めてその事に氣が付きました✨』という鮮度で感じている。おめでたいな。
=眼精疲労= 目周りの筋肉を日々申し訳なく思うくらい酷使しているなぁと思う。 今朝、目覚めた時に「おや?目の奥の筋肉が緊張しているぞ?」と氣付く。そう言えば目の奥の筋肉を緩ませることを全然していなかったなと思った。久々すぎて上手くいかなかった笑。 てか、何で氣付いたんだ?→
=追記= 姿勢を正すことが悪いわけではないけれど、それだと使わなくていい筋肉を使うことになる=筋肉の硬化になってしまうので、あまりお勧めはしない。筋肉が固まると感情思考も固まってしまうから。 それと思考の良い姿勢は思い込みの姿勢になっておることもある
→そしたら靄靄怒りは霧散。【からだ・こころ・ことば】の連動性を凄まじく感じている。姿勢は大事だけれど枠に収まりにいくのではなく、その姿勢に『なっている状態』に出来るしなやかな筋肉を育てることが大事な事を立証した。 依然として謎は解明していないけど思わぬ副産物以上のものがきた。
→と、言うくらい霧散、何なら雨の中のサイクリングで「は〜しあわせフヘヘ」とか笑っている。霧散した理由は確信できないけど姿勢。姿勢を良くするのではなく、筋肉の質をずっと変えてきて、【その筋肉の活かし方を数日前に分かって、それをやっていたら私の本来のポジションに入るようになった】→
あー、硬いと衝撃で簡単にブレるから問題を抱えているとグラっとなり倒れそうになってぐはっとかなるんだ。そっかそっか。で、そよいでいると、そもそもソヨソヨしてブレるとかないから問題は問題として客観的に見ることが出来るのか。なんだよ、硬くなって問題と睨めっこして苦しむよりいいじゃないの
本日調整を受ける前に仙骨の具合を感じてみた、ここ数日の痛さがない。あれ?落ち着いた?と思ったけど何か懐かしい安定感。もしや、、固まって過去の状態に戻った?はい、そうでした。どう考えても丸っ玉が機能していないし意識が上に上がっていたのだ。https://note.com/niwayuko/n/nbbaccfeb49db
『自分のことを置いといて、良かれと思って人のために動くと碌なことが起きないんだな』と言うことを人を見てまじまじと思う。「良かれと」がかなりの隠し味となって返ってくるんだなぁ…。ずっとやっていたのはコレか〜…笑。氣をつけよ。
「選択→手放す→ 選択→手放す…の繰り返しが続くよ」と言われていたことを思い出した。昨日の、古いやり方「試練/修行系」と新規「イージー楽しい系」との⚖️比較はこれだったのかぁとそのまま眠りに突入。これが終わり新しいものが来たのか、まだなのか。起きたら左の肩がまた痛くなっている〜
今朝見た夢「誰かに絶対的に信頼され愛されていることがわかると、その人が何をしていても全然へっちゃらで、それは私も相手に絶対的に信頼しているからだ」ということを感じた。それは他者へもだけど、何より私自身に対して。あんなに楽しくて心地よく味わわせてもらえてよかった、と今思い出した。
凡ゆる垣根を越えるとか超越してとか言われても氣負っちゃうからムズイし無理だよと思っていたのだけど、そもそも論、私何も無いじゃん。だから越えようがないじゃんて事に立ち返った。立脚点に戻るって大事だわ。 己の世界観を満たしているんだなぁと思った、焦るな焦るでない。
→ 「案ずるなかれ、全てはうまくいっているby大日如来」 自分を信じ切って委ねるってなかなかになかなかだな。
過去の修行モード方法と新しいイージーで楽しい方法、どちらを選ぶかの際にいます。イージー楽しいは体験済みで断然そっちなんだけど、未練なのか何なのか過去のやり方を選ぼうとしちゃうわけ嫌んなるんだけどさー。古い方を選んだら待っているのは確実にしんどい世界なのは知っている→
→丸っ玉(トトロが乗っている独楽)に任せていたら、最適化され最善な流れが出る。それに委ねる??え、委ねるの?ひー怖っ!って氣持ちもあるけれど、これで上手くいくのは知っている、再度うまくいったらやはりサイコーだなって思ったので、何も考えず丸っ玉。実証しよう。
先日、調整を受けたらトレーナーが首を傾げるほどの背中〜腰の硬さだった。あそこまでの硬さは相当だろうなぁ…と、その通り守りに入っていました。私の中では大きな動きになるし過去の恐怖も出てくるから、怖くて固まるし守りで固まるし。連動するなぁ。でも、まぁ、そんな時は→
定期的に行う調整、前回同様表側の筋肉の硬さが凄まじい。原因は「仕事モード」になったからだろうな。その方が慣れているからやりやすいけれど身体はノーサンキューな方法ということで、「私の休息・活動」を探求して行くタイミングだなと思った正午。
続き→でも本当は寝てゴロゴロしていたい、が、休めない仕事があるので致し方ない、今回は意識の使い方でどう過ごせるか実験しようと思う、他者に飲まれて枠に収まるのが常なので常に丸っ玉で『その時のベストな私でいたら完全調和が生まれる』を再現する練習
続き→昨日から引き続き不調「絶対的不調+氣のもちよう=現象」の氣〜 が抜けるとかなり楽になり絶対的不調による辛さとの差がよくわかる、また無理をすると意識が病の方へ向かうので丸っ玉に意識をおろしておく、そうすることで全ての連動性が取れ無茶をしないので結果的に楽な状態でいられる→
→続き、つまり、外からの刺激で変えられても自分の意識で変えられる。ということなので外的要因のせいには出来ないと言うのはこういうことなんだなとわかった次第。氣の持ちよう。てことか。
てことは、枠から抜けたら良いだけなのだ。枠からの抜け方は人それぞれですが、私は丸っ玉(本質、能)で動く。そりゃそうだ、能動的であれば枠も何もないし、全ては付属品なんだと言うことを思い出しました。
暑さか寝不足か食べ過ぎか疲れか、一日ダウン。頭が痛い胃が変氣持ち悪い。はたと氣付く、仕事先の枠に収まっていたことに。丸っ玉に意識を落とすと…あら不思議。痛みや氣持ち悪さが消えていく。そうそうそうでした、生理痛もそれで消えていたんだった。枠に収まると不具合が体に症状として出る。→
今日も朝から泳ぐ。先に丸っ玉に何をしたいのか確認したら良いことがわかりました。今日は空いているスペースを探して泳ぎまくるということだったので、スピードが落ちたら立ち止まり空いているスペースめがけて泳ぐ。そしたら意識がそちらへ行ったので背中が緩みスピードのあるドルフィンになりました
丸っ玉をですね、「骨盤の中の」という修飾語?を外したらデスね、丸っ玉が大きくなったり小さくなったりするんですね。枠のなくなった中心は如何様にもなることがわかりました。
→とりま昨日最大値を発揮したもよう。あの震えと発狂がそういうことだったのか。ユウコハ、車内デ一人静カニ発狂スル術ヲ身ニツケタ。何のスキルよ、これ。
つくづく体は教えてくれる事を感じているところ。取りこぼしや不要なものをチェックするため筋肉硬化中。逸る氣持ちを全力で制止、申し訳ないくらいにアクセルとブレーキ全開。これまで抑えてきた中での拮抗だったので、解放状態での最大値を確認していたかのよう。→
なんか、とても休んでいる氣がする。バイオリズムからいくと徹底的に休んだ方が良い月に入りました。だから、私が休んだ方が回りも含めて万事うまくいくということだ。仕事をしてないような氣がして罪悪感とかソワソワしたけど、これでいいのだ。大手を振って全力で休もう。