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曖昧という美学

私のスタート地点は「胎児」のようなところ。360度全方向なにもないし持ってもいない。そりゃそうだ、お腹の中にいるんだから。お腹の中にいるので、人間だけど生まれていない、けれど人間ではあるという絶妙〜に微妙なところです。この胎児、何も持っていないし身につけてもいない。

私の美学、それは「曖昧」


美意識、美学である曖昧はスタート地点からあります。わたし自身が曖昧なところからスタートしているからなのかもしれない。なので凡ゆることが「曖昧」かどうかで精査されていき、そして持って生まれた性質とコラボレーションされていく、そんな感じ。


例えば、季節の移り変わり。はっきりとは変わらず、様々な物事がそれぞれのタイミングと速さで変わっていきますよね。これがいい。人間はモノを作ることができ色々な可能性がある、でも自然には到底太刀打ちできない。このジャンケンのような感じ。


勧善懲悪では成立できないけれど、曖昧だと成り立つ完全調和の世界。答えが出ないのが楽しい。だから、人は宇宙や身体を解明したいと考える。


これが私の美学。


そこから見ると、私のジェンダーやセクシャリティ、パートナーシップに対する考え方も納得できるようになりました。


私が男か女か、相手が男か女か、付き合うか結婚するか。曖昧なままがいい。はい!喜んで!!


自分に立ち返るまでは、そうではありませんでした。刷り込み、思い込み、自分で身につけ学習してきたものが山ほど。歩荷の如く、毎日大量の荷物を背負い、暑いのに脱げない着ぐるみを着て生きてきました。かなり修行モード。


曖昧とは真逆の「はっきりさせたい!0か100だろ!!」と思っている私。色々と誤差が生じて溜まっていく。あぁぁ重い。


他者と自分を、本来の自分と今の自分を秤に乗せ比較の毎日。


スタートが素っ裸なので、荷を下ろすだけでなく脱ぐものも沢山。全て無くなって出てきたものが「曖昧を大切にしていた私」でした。










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