他人が何をどんなふうに言ってこようが、自分の生き方は自分の選択によってしか決定できないって忘れないよう叩き込んでおく。すると、他人の行動に過敏になることがない。認めてもらえないとか賛成されないとか、邪魔してくるとか他人を自分の制約に設定しちゃうクセが解ける。\( ・◇・ )/
自己肯定感とかなんとかのまえに、日本って(他の国はわからん)文化的成熟がクッソ未熟なところが日常に残ってる。うっかり成熟済みだと信じてて無自覚に虐待や精神的暴力が存在するのに、自己肯定感とかで超えられんこともないけど問題が違う気がする。男性とか都会育ちだとピンとこんかも知れんが。
気を抜くと何かを直そうとする。直すところを探している。今より良き私に。では、いつ味わうのか人生。すぐに忘れ不足を探して死んでいく。ほら、今も。けっこうウケます。癖になってる。
気に入った記事には、気軽にうっかり100円お布施する。私の想像する未来の社会で私がしていることを今始める。「スキ」とクリックるすのと同じくらい気軽に小銭が飛び交う。この気軽なチカラが社会を支える仕組みは、ちっとも新しいことでなく今までを作ってきた仕組みと同じ。ただ質を変えただけ。
みんな色々な実験をしているから、自分は自分の気に入った実験を進めてけばいいんだ。気を散らしすぎるんだ。
テーマを持って生まれてきてるかも。テーマを意識しないで生きるってテーマもあるかも。そう思って一旦落ち着くとわたしには好い。
子どもの頃から、自分は常に間違えてる気がしてる。これ結構厄介で、手がかかる。いまになって自分へのお手入れの作業を「お楽しみ化」してるんだわよ。その手があったか!って感じ。 + 今日は湿度と鳥の鳴き声がサイコー。色は霞がかってとても好きな感じ。5時くらいがすべてに美しいです。
なんで、死んじゃダメなの?
だいじなので繰り返してみる 「問題への取り組みは添削でなく、満喫。」
望むのであれば、思うように生きることも、思うようにして死ぬことも、同じに幸せではないかなと思う節がある。私は。