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生まれたときは皆まっさらの赤ちゃん
こうだろうと思っていた「つもり」が違ってたことがたくさん見つかっている。私の発見の覚え書き。
赤ちゃんはいつから許されぬ大人になるのか
生まれた時はこの世のことを何も知らないまっさらな赤ちゃん。
生まれた環境や状況が全く同じ子どもはいない。
育つ環境や状況も同じじゃない。
体の能力も同じではない。
私にいろんな癖がついたように
私にいろんなことがあったように、
他の赤ちゃんにもいろんなことがあったんだと思う。
私はいま58歳で、ずいぶん大人になった。
よく見渡して自分のことも振り返って、たった10年考えてきた。
個人を大人だからと責めるほど、
この世は子どもを育ててきていない。
個人を大人だからと責めるほど、
この世は子どもを育ててきていない。
しかも、赤ちゃんの私たちは育つうちに自分で身につけるものを選べたか。
自分じゃない赤ちゃんが歩んできた環境はどんなだったかわからない。
みんな同じじゃない。みんな違う。
厳しく頑張っていけるほど心の体力が残ってなかったり、
いったい自分に何が起きてるのかわからなかったり、
大人になった赤ちゃんたちの状況は複雑。
赤ちゃんだったころからいままで、いったい何がありましたか。
それなのに
だめだだめだ、足りない足りない、もっともっとと責めてしまう。
他人も自分も。
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大人の私たちは育ち終わってない子ども。
人間は芋虫の子どもから羽を持つ成虫に変わるわけではない。
大人になったからとて身体の能力は昆虫みたいに変わらない。
足が遅けりゃ遅いまま。目が見えなければ多くは見えないまま。
そして、人は死ぬまで育ち合う。
出会うまませっせと身につけた、すっかり固まってくっついてしまった癖を、補い合ったり気が向くなら溶かしあったり、わいわいと生きていきたい。
実は、誰かにはここからが育ちの本番じゃないのか。
10年の観察で発見した人類の特徴がある。
精神力や慈悲の心とかじゃなく、生物的特徴として喜びが好物。
お互いが満足して生きていくのを喜び合える。(自分が満ちてれば)
ひとまず、生きて今ここにいる「あんたはそのままでなかなかいい感じだよ」って言い合いたい。
他人から責められようが褒められようが、それを受けても自分を責めているのは自分。自分が自分を責めていたら、赤ちゃんの頃から何もわからないなか生きてきた自分は、この理不尽に悲しくて寂しくて落ち込んだり癇癪を起こしたりもすると思う。人目にどう映るかはわからんけど、本人とすればずいぶん生真面目なことと思う。
って、私はわたしに思ったのだよ。
すまんかった、知らないでいて。
誰になんと言われようが、
ここでは手伝いあって、いったん安らごうではないか。
安心したら、思わぬ力が出るもんだて。
自分が満ちれば喜び合える
そうしていると、自分の中のたくましくやさしい好奇心を呼び覚ましていくことができる。他の人がどんなでも自分を満たすことができる。
好物の喜びがたくさんテーブルに並ぶ。
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我慢や辛抱の先に満足がある?
そうじゃなくてもいいじゃない。
わたしは、この世の条件から自由になって人生を冒険したい。
そしてみんな言うのだよ
「手伝うから、お好きにどうぞ」
+++
でも、これは生き方の一つ。
私が私のために追求してる。
書いているのはこう伝えたいから。
「誰にも自分にピッタリがある。
そのピッタリを自分が作ることができる。」
ここが本当に肝心なとこ。
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