ネコのことイヌのこと
家にいる。
目を凝らせば、何処かに生き物がいる。田舎家あるある。
わたしはできれば、飼いたくない。飼うなら避妊のための手術をせねばならない。増えたら困るからだ。誰が困るんだ。人間が困るからだ。
自分が困るから他の生き物の一生をコントロールする。とても恐ろしい話だ。ある日捕まえられて病院で手術。自分が変わったことも知らないで。「慣れていく」と、説明される。長生きだから、幸せだから。
あるひ宇宙船がやってきて、テクノロジーや豊かな生活を与えてくれた。そして宇宙から来たたくさんを与えてくれる者は言う。「このまま生かすとすぐに滅亡させる技術を人類は信仰する。優良な思考をする遺伝子を組み込んだ子どもを皆に与え、セックスで増えないように去勢するしか幸せへの道はないな。」と、勝手にされたらどんな気分か。人類が永遠に続くのだから幸せだろうと。
いやだよな。イヌだからいいのか、ネコだからいいのか。飼わないなら餌をあげちゃならんと思う。その生き物の一生を引き受ける気がないなら(実際引き受けてもらってもいやかも知れんが)そこに引き止めちゃならん。命を奪われるほど嫌われる手伝いをしちゃいかん。
人の行動はエゴだ。エゴが悪いとは思わん。
ウンチは臭いからいやだし、聞きたくない時にニャーニャー大騒ぎされるんもいやだ。だいじな花壇の双葉におしっこかけられ枯れちゃうのもいやだし、手に負えないほど子猫が増えていくのはカンベン。まったく身勝手な話だ。
イヌもネコも、そして人間でさえ。私たちが望むのは、欲しい時にちょうどいいだけ在ればいい命なのよ。(いじわる)
命をコントロールすることは、ある。けど、していいなんて、みじんも思っちゃいけない。自然にこぼれた生き物は見殺しにするような気持ちになっても、ペット産業を許したエゴ地震の津波。気持ちが引き裂かれても、できるかぎり自分以外の生命を、自分が生きるため以外に制限しちゃいかんと思う。増えすぎて困って、追い立てられ、命を落としていく。その様子を心が引きちぎれるほど悲しめばいいと思う。ネコやイヌには、なんのためにもならんが。
話し合えたらいいのに。「や、俺はご飯もらえるならめっちゃしあわせなんで、もうなんでもOKっすよ!」って言うかも知れんけど。
いま、動物フードの棚がどれほどの売り場を占めているか。「ドライフードこそ栄養成分が適性」「臭くないウンチ」「朝晩決まった時間のお散歩を」
わたしらは気が違っておらんか。
桜猫の他にもすることがあるとわたしは思っている。
わたしたちは不自然な家族。成り行きと身勝手でイマココに。
せめて君らの自由をなんとしても。