これまで解いてきたこと。
このnoteに書いてあるのは、これまで解いてきたこと。
私は1965年に産まれた。
地域の文化は都会よりもクラシック。
女の子であったのと、持って生まれた感受性がはっきりしていて、自分の意思に反して望まないことが多く起きていた。それを嫌だとはねのけていいのかわからないうちに積み重ねられる。わたしはわからないまま、なんとか工夫して育った。
別にそれでもいいわけよ。わたしがそれでいいなら。けど、私はずっと「何かが違う」と思ってきたんだから、そこを忘れないでいちいち気にしてきたんだから、この人生後半で半世紀の経験を生かししっかり追求したいと思ったわけよ。
ところがだわ、今の社会に違和感を感じているけれど、考える元となる「わたし」が育っていなかった。気にしてたんだけどな。自分の無防備さにびっくりやて。
この文化には、みな無意識のまま作れてしまったピラミッド構造があって、本質を考えることを邪魔している。周りに合わせようとしかしていないのに、からっぽの自分に気がつかない。
おかげさまの、大人のとんまと勘違いで半世紀も右往左往している。
問題が長引くのは悪くない。じっくり考える必要があるからだと解釈している。解決していかないのは悪が邪魔をするのではなく、何かどこかで抑えるツボが違っているからだと、私の経験は言う。
わたしにぴったりの方法はわたししかチャッチできない。わたしと全く同じ人生を歩む人はいない。わたしだけにわかる事がある。
今まで生きていろいろな体験をして、物事は10年、20年、30年、時間をかけて成される事がとても多いと知った。わたしがもっと望むなら、そんなときめく発見の種はこの世界にびっしり埋まっている。
御馳走のありかを探す
ほかの誰もが、ほかのすべては、思うまま体験して自分で解いていく道中にすばらしい体験のご馳走を食べられる。たぶん結果はおまけなんだ。皆の冒険がいいものであるよう祈りながら待てるよう、喜べるよう、分け合えるよう。そういう自分にわたしはなりたい。
わたしが一人なのはわたしがみんなを愛してるからだと思った。わたしが愛だの口走るようになったのは、自分も他人もほかの全ても愛せるようになるからだと思った。(たぶんこれから)
この文化が「これが愛ですよ」と示すものはわたしの望む愛ではない。わたしの愛で感じてみたい。
ほら、しっくりくるね。自由だね。うれしいね。
ここまで来るにもいろいろあった。
この絵はねえ、10年近く前に描いたさ。自分を後回しにして、一生懸命頑張ってきた。結構極端なので自己犠牲は厭わなくて、盛大にやらかした。その後、我慢と辛抱は恨みの妖怪になってわたしを苦しめた。ちょっと物分かりの良かった私は、「自分で選んだ事、結果で落胆するなんて、ましてや恨みに思うなんて最悪だ」と自分を責めた。「こんな苦しいのは、何かわたしに致命的な間違いがあったに違いない」自分に原因を求めるのは主導する力になるはずなんだけど、ツボが外れているのでただ自分に虐待を重ねてきてしまった。
それでも自分を研究し実験を続けた。んで気がついていく。「わたしだから」起きたことは「この社会の文化」が強く関わってた。環境。
この文化がわたしに教えてきた「AならばBであなたへの評価はCだ」とかね、なんの根拠もないことに気がついた。根拠のないことを根拠に採用できるわたしの設定所に入れるのは自分だけだから好きに変えていいことも、最近になって知った。だから自分や他人への評価は重要なものでなくなった。いろんなところでパタパタと認識がひっくり返る。「悪い状態」「良い状態」の定義が書き変わってしまった。てか、そんなものはない。
だとしたら、わたしの今はすごく面白い状態だった。わたしの生きる世界を解釈を変えて作っていけるやん。自由自在なはずだから。まるでハリーポッターみたいだよ。自分が魔法使いで、これからその魔法を使えるようになるなんて。(ハリーポッターの第1話を何回も見ちゃったがな)
いままでの実験をSNSや大量の絵札にメモしてきた。考え込めているのか鬱になってるのか、「いったいわたしどこいっちゃうんだろう」と安らぐ方法を探して不安になりながら。(とっとと安らがんかい)
もう辛抱なんかするもんか、我慢なんかするもんか。いっぱいしてきたからわかることもあるぞ。そっちの熱血は誰かに任せて、わたしは喜ぶのと満喫することで追求する。さあ、安らごうではないか。(どこによびかける)
これからも描き散らかしながら、有料のマガジン Manis Pedas Pedas にまとめていこうと思う。