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ゆるめると湧くチカラとか

失敗なく、することは全て予定通りうまくいって、やさしい良き人でありたいと思っていた。

毎日少しずつでも自分を考えて修正して、経験を重ねて学んでいけば少しずつそんな人に近づける。完璧は目指さなくていい。けど、そうしたいという心持ちで生きていけばきっと穏やかなわたしになれるんだろうなってところで落ち着いてた。

56年生きてきた。
わたしが経験した結果が、どうも思ってたのと違う。失敗やアクシデントがある時に「ぐんっ!」と状況が良くなる。出来事と、自分の努力や幸運は分けていたので気がつかなかったけど、「うまくいかない」っていうのは悪いことに分類するのはおかしい。

そう思ってからは、気分が暗くなるような出来事が起きても謎を解いていくような冒険に思えることが増えてきた。

何が起きとったかというと、いつのまにか今の不足を自分に責め立てられるような気持ちになってた。アクシデントを乗り越えても、乗り越えた素晴らしさとその時手に入れたものよりも、失敗をしてしまった自分を責めるのに忙しい。責め立てられ自分をダメだと戒め続けていると、生きるエネルギーが弱くなってしまう。うまくいくよりもわたしは活躍し豊作だったにもかかわらず。

ああそうか、ってすぐリセットできればいいんやけど結構ズタズタだった。自分に対する虐待が続いてたぐらいのショックは残ってるんよね。だからわたしは切り替える方法はうんと優しいのがいい。自分にも他人にも「何にもならんでもええよ。今のままでええよ。もし困ったら力を合わせて何とかしよまい。」って思う時、すんごい楽。安らぐ。すると、生きる力が湧いてくる。

自分も人もこの世の全ては「今の状態から変わらなきゃいけない」という「直していく、戒めていく」という考え方ではないのかもしれんと思う。

今足元にぴったりくっついてイヌが寝転がっている。机を倒してコーヒーをこぼし叱られたところ。イヌは何で叱られたのかよくわからないけど、何か逆鱗に触れることをしたのだとしっぽを下げて良い子をアピールしている。
確かにコーヒーはこぼれた。それは机にリードが絡まったからで、わたしが人の都合でつけたリードがなければ起きなかったアクシデント。

「コーヒーをこぼさないで」じゃなかった。リードを外せるように環境を整えれば「犬にもわたしにも幸せが増えてコーヒーもこぼれない」という素敵が起きる。そのトンチの効いた仕組みを見つけていくのがわたしには今とても楽しい。

今だからと思う。

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柚木ミサト+きゅうりちゃん
描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ