困っていても、相談するなんて死ぬより恐ろしいという癖。 〈ゆぎ毛のひみつ〉
相談できない
自分に危機が来ても相談できない。
相談するなんて恐ろしい。
そんな思いをするなら、死んだほうがいい。
母がお金に困ると父は怒った。
母が「困る」と父に怒られた。
そんな困る状況になったのはお前のせいだ。
励ましや労り合いや相談のない家に育った。
それで、私は誰にも困ったと言えなくなったのだと思う。
助けたかった。
母の叱られた心をなんとか助けたかった。
私が「母が困っている」とおばあちゃんに助けを求めた時、
母は真っ先に私を叱った。
おばあちゃんに話すなと。
私の経験は
困ったら、ひどく叱られるだけで助けられない。
助けを求めても叱られもっと悲しい気持ちになる。
困った人を誰も助けない。
でも毎日は繰り返される。
私は大人を馬鹿にした。
嘘つきで都合が良くて臆病でいばりたがる。
何をされても嫌だと言わない。
子どもは、望まず影響されていく。
心を予測して都合よく振る舞えると思った。
素直なまま触れたら酷い目に遭うもん。
なんとなく感じる
私は、いろんな人の心の奥底にたまるエネルギーを感じるようになった。
「なんとなく」わかって、大丈夫なテレパシーを飛ばす。
「いいよ」って信号を送る。
それで人間関係は自然に流れた。
嫌われなくなった。
気に入られるようになった。
好かれすぎなければ。
嫌われることは減らなくていいけど、
過度に好かれすぎたり助けられない体験が重なると心が不自由を感じ冷えてくる。
けれども、
この世界はそんな浅くもないので本腰入れた大変な目に遭うことになる。
色々な経験をして私の心はメチャメチャになった。
この経験を通してわたしは私に気がついた。
わたしは確かに幼い子どもではあったけれど、
大人が避ける問題に勇敢にも挑んだ。
頑張った。
これは、高く抱き上げられて頬が擦りむけるぐらい顔を擦り合わせて「すごいねえ!頑張ったねえ!でも、報われんかったねえ!悲しかったねえ!ショックだったねぇ!人生を素敵に生きてきたと思うよ!」って祝福されるとこだ。
この勇敢で素晴らしい私を。
いったい誰に祝福されたいのか?
わたしが私と。
このことで私は一生誇らしげに自分を賞賛したい。
いやぁ〜!
でも、怖すぎたね。
いやぁ〜!
ほんと、辛すぎたね。
いやぁ〜!
まいった、一生分の挑戦したね。
他人にとってどうであろうが、自分がそう思うならそう思うのが必要だから、じゃんじゃん労って誉めて喜ぶ。
(そもそも他人に認められたい心根だって、その太鼓判を自分が求めているからだ。他人に認められた自分を経験して、自分に認められたいからだ。
何万人に認められたって自分が認めるまで心は満ちない。)
そして、たっぷり元気が出たらまた冒険をするのだと思う。
自分にだいじょうぶを飛ばす。
知ってるよ、だいじょうぶだよ。
わたしを私がずっと見てる。
ザクザクはみんなで山分け
勇敢な選択をしてしっかりと冒険する。
宝物もちゃっかりいただいてて
秘密の扉の中には全てがザクザクしてる。
扉の呪文が見つかったら
わたしはそれをすっかりみんなで分けるだろう。
困ったも嬉しいも、全部分あってだいじょうぶらしい。
たぶん。
とかなんとか。
これも記録していく。
人類すぐ忘れる。