今日、精神と呼ばれているものは、むしろ「精なる神」(清明心、ヌミノーゼ)に該当しない邪なる心:煩悩のほうではないか。 ゆえに、巷では精神疾患や神経発達症などという。 それらは全く精神らしくない。 精神を知らず、神経を知らず、神を知らずに、どうして人々の心に寄り添えられようか。
私の光の体験では、音楽は6次元と認識。すべてのありとあらゆる楽器の音が鳴っているようだったけれど、ラジオの波長を合わせるように、意識のチャンネルを変えると、誰もが知っている有名な曲が流れているという次元だった。一曲しか流れてないのではなく、同時にすべて平行であり同時だった。