人生の転機となったり、建設的な方向へと目を向けさせてくれるヌミノース
「ヌミノース」とは、「宗教体験における非合理的なもの」を指し、もともとはドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが提唱した宗教学の用語です。宗教体験における倫理や道徳の要素を差し引いた非合理的で説明しがたく、自我の力を超えているものを「ヌミノース体験」と呼び、神の声を聞いたり、神や観音の姿やまばゆい光を見るなど、その本質を言語化できないような要素を指します。
さらに、「宗教」と直接に関係するような体験だけではなく、音楽や絵画、舞台などの芸術に触れ、身体の深いところから揺さぶられるような深遠な体験や、大自然のなかで木々のざわめきや海の波の音を聞くなど、大自然との一体感を通じて感動するなどの体験もヌミノース体験だと考えられています。また、目覚めた時に泣いてしまうほど深い情動を伴った夢体験もヌミノース体験と呼ぶことができます。
ヌミノース体験を経験したときには、時間が止まっていると同時に悠久の時を生きているような感覚や、何か大いなる力に守られているような感覚が生じる場合が多いようです。また、魅惑的であると同時に、戦慄を感じるような二律背反的な側面が特徴的なのです。
こうした「ヌミノース体験」は、ただ単に感動的な体験であるというだけでなく、人生の転機となったり、建設的な方向へと目を向けさせてくれる体験にもつながり得ます。
大自然の中で深い感動を味わった時に、心が晴れ晴れし、それまでずっと苦しめられていた悩みから開放され、新たな視野が開けるような体験をされたことはありませんか?
学生の時、進学という人生の岐路に立ち、どの道に行くかを迷って、夜の海辺に立っていると、言葉では表現し尽せないような深い感動を覚え、涙がなぜか流れて迷いがふっきれ、なにものかに背中を押されるような感じで、今の道を進む選択をしていました。また、社会人として疲弊して、しがらみから離れようと登山をしていると、大自然との一体感と神の姿ようなまばゆい光を見るような感動を何度か経験したことがあり、そのあと何事もなかったようにすっきりと仕事に没頭した日々に戻れました。
また、疲労の蓄積が限界を超えて体を壊したことからカウンセリングの勉強を始めて、興味を持つようになった統合失調症というのがありますが、2002年まで精神分裂病と呼ばれていた病で、だいたい100人に1人の割合で発症します。その症状には二種類があり、幻覚、妄想などの陽性症状と、感情が平坦化し自分の中に閉じこもる陰性症状とがあります。神の声を聞いたり、神の姿を見るなど、統合失調症者の体験する幻聴や幻視は、健常者の体験するヌミノース体験と似ている部分があるのだそうです。病気で、入院中や退院後にも、幻聴や幻視を経験しましたので、わかるわかると思って惹かれてしまいます。健常者のヌミノース体験には、何か大いなるものに包まれているような安心感を伴うことが多いそうです。また、健常者の場合は宗教に関する内容だけではなく、芸術活動や大自然に触れることによってヌミノース体験を経ることがあり、日本人が古来より培ってきたあらゆる事物の中に神を見る汎神論的感性の反映を見ることが多いのですが、ヌミノース体験のある統合失調症の方の場合は、体験の殆どが神や宗祖にまつわる体験であることが特徴としてあげられています。統合失調症を、もう少し深堀してみると深層心理的なところが理解できるようになるのかもしれません。
ヌミノース体験は、最初は戸惑うことがあっても、体験がその後の人生の転機となったり、またヌミノース体験を自分の中に取り込んで建設的な方向につなげていく場合が多く見られることを知ってほしいと思います。そして、人生を生きやすい方向へと展開させていく契機として活かしてみてはいかがでしょうか。
大きな手術を続けて二回した後、ヌミノース体験的な感覚になることがあったり、幻聴や幻視などの幻覚を経験してから、若いころに自然からいろいろと感じていた懐かしさを思い出しました。最近、週末になると自然のなかで木々のざわめきや虫の鳴き声、川の音を聞きながら、何とも言えない自然との一体感を感じながら、時間の過ぎる心地良さが、あらためて大変好きになりました。
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