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日本人の原罪意識とグリーフケア・大祓の祝詞より


私の知り合いで、ある悲惨な殺人事件によって身内を大勢亡くした女性がいる。

 有名な事件なので、彼女はその体験について著作に記している。
その中で、彼女のお母様が、その事件について罪の意識を感じていることが、どうしても受け入れられないと書かれている。大切な子どもや孫達を殺められた、まさに被害者である母親が罪障感のようなものを抱え苦しんでいることが、どうしても受け入れられないということらしい。現代人で、しかもモダンな知的教養の中で生きてきた人にとっては、当然の感じ方であろう。

 しかし、戦前、戦中までの日本で幼年期や青年期を過ごした人たちにとっては、それはまさに「穢れ」の事象であり、「祓う」べき必要のある忌まわしい出来事として受け止められることだろう。余りにも禍々しく恐ろしい事件に遭遇した時、古来より日本人はそれによって「穢れ」を受けたと感じ、「罪意識」に近い感情につながることが多かった。ユング心理学的に捉えると、「ヌミノース」な体験をしたということになるだろう。つまり、余りに圧倒的に恐ろしい、あるいは自分の力では如何ともしようがない、畏怖すべき出来事に巻き込まれたことになる。そういう時、古来より日本人はそこに「穢れ」を見出し、それが「祓われる」必要性を感じてきた。それが水無月(6月)晦日と師走(12月)晦日に神社であげられる「大祓の祝詞」の儀礼に列することであった。このこのことは、折口信夫の論から得られた知恵であるのだが、折口の内弟子であり、歌人、国文学者である元國學院大學教授の岡野弘彦先生が「源氏物語講義」のシリーズの中で論じておられる。

 現在のように化学肥料もない時代には、農民はより豊かな収穫を得るために、田に死んだ家畜を入れるというような「穢れ」を行わざるを得なかった。あるいは、水争いをして近隣の村の住人との間に、流血を見るような争いが起きたこともあった。漁民の場合は漁場の奪い合いが避けられず暴力的な争いに巻き込まれることもあった。とりわけ古代の日本人は流血を伴う事態を「穢れ」として避けようとしてきた。しかし、生きるため、食べていくためには、「きれいごと」だけでは済まず、「穢れ」を避けられないこともあった。そういう古来の人々の心の重荷を取り払ってくれるような「穢れを」払う儀式がどうしても必要であった。そのもっとも重要な祓いが、六月晦日の「大祓の祝詞」であった。
 ところが、この古代から続いた祓いの伝統は、明治維新以降、神道が国家神道化され、とりわけ中国での戦争が激しくなっていくにつれて、政治的な力によって、「大祓の祝詞」の最も重要な部分が省略されるようになった。中国で多くの流血を生み、殺戮をくりかえしている旧日本軍隊指導部や、内務官僚によって、「生き剥ぎ、死に剥ぎ」、あるいは「生き肌断ち、死に肌断ち」というような、大祓の祝詞の血なまぐさい行いに言及した言葉、その穢れを取り払う意味の言葉が語られる部分が削除されてしまった。
 しかも、戦後になっても、神社の神主たちが戦時中に削除された箇所を復活されることはなかった。それによって、現代においても我々が実際に生きていれば、避けて通れない、本来日本人なら「穢れ」が自覚されるてきた場面でも、それを意識することが無くなり、もちろんその「穢れ」を祓う手段も閉ざされたままになった。しかし、戦前、戦中を生きた人たちの中には、その「穢れ」への感受性を失っていない人たちもいた。件の知人の母上もそのような人の一人かもしれない。しかし、そのような感性を持たない戦後生まれの人々は、「穢れ」を感じることもなく、したがってそれが祓われる可能性も閉ざされてしまった。そういう「こと」や「もの」が現代では地底に埋没し、意識下、すなわち無意識の中に埋もれてしまっている。しかし、埋もれたものが沈黙を保ったままでいてくれるという保証はない。現代ではそれら形を変えて、人々の内の漠然とした罪障感や抑うつ気分として体験されたり、「心の悩み」「心の病」として体験されているのではないだろいうか。
 我々心理臨床家は、古代以来の神職によってになわれてきた「祓い」と等価の作業を担わされていると言ってもいいだろう。それを担うためには、我々が民族的に内に抱えている伝統に対する感性も意識的に養うことも意義あることになるだろう。とりわけ「悲嘆の仕事(グリーフケア)」に関わる際には必須のことかもしれない。

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https://www.youtube.com/watch?v=IUOUfrjHXE8&list=PLUnyZez1pKS50oDaLOgBDYpanoEEkb3jd


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