おったまげた~ヒポクラテス~
今まで、ギリシャ神話を読まなかった理由にカタカナが苦手だということがあった。当然受験にはカタカナのないものを選ぶわけだけれど、半世紀を超えて、仏教にであったら、自然にギリシャ哲学につながってカタカナを読むようになる。
ヘラクレスヘラクレスというカブトムシがいるので、ギリシャの名前だぐらいのイメージだった。ソクラテスもプラトンも有名だったけれど、どういう関係かわからなかった。アリストテレスも聞いたことがあったけれど、いったい何者かわからなかった。
それが、釈迦との出会いで、その三人の関係性を理解することができただでなく、何を言っていた人なのか少しずつ分かり始めると、その当時の賢人たちの知性に魅了されてしまうことになった。
そして、先日のニューロフィードバックを相変わらず調べていると、「てんかん」という病気に出会い、てんかんを調べて行ったら、古代ギリシャのヒポクラテスにまでたどり着いた。
ヒッポクラテス。。。。「ヒッポ」と言えば「カバ(ヒッポパダマス/ヒポポタマス)」で止まっていたので、久々にいい感じの脳神経の電流が流れたのを感じた。
2500年以上前に、すでに「てんかん」は知られていて、それまで、「神聖病(巫女の病)」と言われていた、症状を、当時はそれらを憑き物など考えられており、祈祷師や呪術師などが対応したとされるが、ヒポクラテスは、神秘的な現象ではなく、感覚、運動、知性の座 である、脳に注目した。デカルトは松果体を「精神の座」としたが、現代医学では松果体とスピリチュアルな機能は、日光を感知すること。
心理学の祖アリストテレスは、「心の座」は心臓にあるとし、脳の働きについては異説を唱えた。
仮説とはいえ2500年前に、体のことを理解できる人がいたわけだから、その後のそうした直観のような予知のような推論が数多くある理由は、この脳の働きによるところだと感じる。
ケトン食の開発にもてんかんが関係していたそうだ。
食事制限、適度なスポーツ。
てんかんの発作が抑えるならば、健康的な生活するしかないのだ。
世の中の人も、ストレスによって脳が異常に興奮し、てんかんの症状が出たとしてもおかしくない。
ヒッポクラテスは、てんかんの患者を断食で治療をしたことが記録に残っているようだ。
2500年前、ヒポクラテス、プラトン、タレス、アナクサゴラス、アリストテレス、ギリシャの哲学者たちの残された知識は膨大である。そして、インド哲学からの流れでは釈迦やそのほかの思想家たちの誕生も100年の差はあっても同時代に生まれている。
神をみる人々。
デジタル時代になって神も心機一転したのかもしれない。
産業革命という大きな時代を超え、指数関数的に人口は増え、テクノロジーも発達している現在、命を懸けて好きなことに取り組める人が増えたのかもしれない。
その中で、気づかない「てんかん」によって閃き得ている人たちがいるのではないか。
ヌミノースとてんかん。
なぜ、修行者たちは苦行を耐えられるのかと考えてみた。
彼らは脳を、独立させ暴走状態にすることで、自我や超自我では抑えきれない無意識世界が表出するのを待っているのかもしれない。
エス(無意識の自己)さえ越えた世界を体験したいという願望が、そこにはあるからなのかもしれない。
と、想像してみた。
計算されたストレスならば良いのだけれど、人生を掛けた運試しになりかねない。
結果、神を体感できたと語れたものは聖者と見なされ
創造する者は天才と呼ばれ
言葉を失ったものは廃人と見なされたのかもしれない。
そして、その神秘的出会いに意味を見出せなかった凡人たちは
「てんかん」や「統合失調症」患者と呼ばれたのかもしれない。
これから先は、お金を払えば誰でも体験できるようになるだろう。
それらの体験は、かつて「幻」と言われ今ではよく見かける深海生物(ダイオウイカやリュウグウノツカイ)のように、一般的な事象になっていくのかもしれない。
不可思議な神秘を暴き続けている人類は、
この先も神秘を追い求め、暴き続けるだろう。
いつか「てんかん発作」などで観られる神秘体験の風景が、IMAXシアターなどの巨大スクリーンで他の人と共有できるようになったなら、また新しい集合知識のネットワークの装置ができるだろう。
その時また知性のビッグバンが起きるかもしれない。
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