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ヌミノース体験 79億人の私

この記事を読んで、不思議な体験をしたのを思い出しました。

それをヌミノースというのだと知ったのは
つい最近、心理学でユングを学んだときでした。

それよりも二年前、洗濯物を干しながら、その朝に見た悲惨なNEWSのことを考えていました。ある女性が、名誉殺人で父親と兄に焼き殺されたという事件でした。

彼女は望んで、この時代にその土地に惨殺されるために生まれてきたのではないと悲しくなりました。

それと同じように、私も選んで日本に生まれてきたわけではないと思いました。
もし望んで生まれるのであれば、みんな平和な国に生まれたい。そう考えました。

そんなことを考えていたらふと一瞬VISIONが現れました。最初真っ暗になり以前読んだことがある量子の世界が現れました。

粒子が現れたり消滅したりしながら物質はなりたっていると書いてあったのがVISIONで見えただけだと思うのですが、消えたり現れたりする粒子に支えられている主役の粒子がいます。

 そこにはエネルギーの強さによって分子化して物体になるものもあれば、消えていくようなものもありました。

人間も波に乗ると活躍して、多くの人があつまってきて、大きなことを成し遂げられる人もいます。

それを周りでサポートする人も必要です。

波に乗れないで消えてしまう人もいます。

人間の形として生きているだけですごいことなんだなと思います。

そしてその人生は、また量子の世界と同じように無常です。

量子の世界では磁場や重力やエネルギーによって粒子たちは限りなく相関関係をもっています。

強い関係、弱い関係、反発する関係

関係がない量子は吸収されるか、消えていきます。

消えていくもの、生成されるものが力のバランスをもって繋がり、支えになったり、共に消えたり

そのすべてのとが繋がっていることを感じ、
同じもので物質は成り立っているのだと
視えました。

海の波の水しぶきが同じ物質であるように
少なくともホモ・サピエンスサピエンスという記憶によって少し違いがある形作られた個体はすべて「私」と同じで量子なのだと理解しました。

それは思念というエネルギーも同じで、
量子の原理からすると
AとBとは情報のテレボートテーションができるので、同じものが存在しているような振る舞いをするのです。

その様子をみていたら
79億個体は「私であったかもしれない私」という概念が一気に目の前に繰り広げられました。いろんな国の人々の姿が押し寄せるように、生死も含め、すべて人が私のもうひとりの私の存在。

「私」とは今ここまで経験してきた自分であって、今、この「私」が殺されたわけでありません。

ただし、同じ量子を持つ、私だったかもしれない彼女が殺されたことで、私の一部も殺されたことに代わりわなく、殺した父親や兄の所業も私の一部なのだと理解しました。

殺された女性も、殺した父兄も、私
生まれも育ちも違うだけの私。

腑に落ちました。

不思議な体験でしたし、
今でも「他人だから判らない」と思います。

それは生育環境、文化を体験していないから、わからないのです。

経験という記憶を共有できたなら
もっと私は理解できると思います
今は、狭い経験の中で認識できうる私の想像範囲しかできません。

そのかわり、自分自身を知ろうとするように、判らないからこそ、知ろうとすることができるのたと思います。

それでも79億人を整合性をもって見ることは難しいです。
隣の人のことも家族のことも
自分のことさえも「あれ?」と思うこともあります。

ただ、その不思議なヌミノース体験をしてから
息子とも繋がりをより感じられるようになりました。

量子のことまで考えなくても
私達は同じ人間なんだって、
誰でも知ってることですよね。。

抜粋「彼らを自分の身に置き換えて考えなければなりません。自分があの16歳のシリア人だったかもしれない。あの42歳のシリア人だったかもしれない。自分だったかもしれないのです。それが倫理の形だと私は思います。

つまり、他者について考えるときは、他者を自分とまったく同じように考えなければなりません。自分があの人だったかもしれない。すると相手との接し方がまったく変わってきます。本気で相手の身になるのです。外見の違いなどどうでもいいことです。向こうから見れば私だって違うのですから。」 
  

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戦争は終わりにしましょう。

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