古事記・天皇制・スピリチュアリティ
昨今、「日本とは」を考えるリベラルアーツ系の知識人たちが、神道・古事記・日本書紀について学び直している。
彼らは区別しながら戦前戦中の神道と古代神道を学んでいるのだと信じたい。
復古神道として始まったナショナリズムから、国家神道の歪んだ神道と、生活の中にある「日本人あるある」的な行動をうむ 純粋なスピリチュアリティを含んだ神道とでは大きく異なる。
新しく出てきた 参政党も いわゆる「本来の日本」を銘打って政治介入を目指している。
その中では、国家神道の「天照大神の直系の子孫」ということを強調した、天皇を中心とした国家論を唱えている。
神道の死生観では、人は死んだら氏神になり子孫を守ると考えられていた。
そとそも神の認識が違うのだ。
「遺伝子的に、神武天皇と今の天皇が繋がっている」というデマを言った保守系の国会議員がツイートをした。
勉強ばかりしてきた人が、不思議なスピリチュアルな世界を研究し始めると、なぜか妙なはまり方をする。
純粋なのかもしれないけれど、高学歴な人と知的関心が薄い人と行き着くところが同じだという現象が興味深い。
アメリカの共和党も、古い差別的な観念を持ち、キリスト教の白人至上主義を掲げながら、統一協会から資金提供などの経済活動の基盤として蜜月関係を持っている。しかし、本当に人種を越えた繫がりがあるのだろうか。
古事記の神話を神話として読み、神話の中に日本の歴史の一面が隠れている。すべて書いた人の主観であり、読む人の主観は異なる。
天皇の歴史は血塗られた権力争いだったことは学校でも習う。
擬人化した神々や、異国からやってきた神々。
日本はすべてを包含しながら区別して、そのままうやむやが得意だ。
大陸から侵略を免れた私たちの中に、もともと縄文時代に培った自然との調和を基礎とした生き方が影響しているのかもしれない。
土着信仰と渡来系の宗教とが、渾然一体ではなく、互いを残しつつ矛盾を抱えつつ仏教ともつながりつつ、儒教の要素も取り入れつつ。。。
そんな日本で、本当の神道とは、やはり自然信仰なのではないかという
結論に達した。
多くの知識人や知的関心が少ない人であっても、共通項としての神道の定義というのを一言で表せる 言の葉があればよいと思う。
私にとって、神道とは 愛し愛されることではないか?
天皇
日本の天皇制はある意味、対欧米に対する権威付けになっていることは確かだ。 歴史と実績と権威。 キリストもモハメッドも神からの啓示を受け聖書崇拝しているのだ。
日本の天皇は「神」であった。人間になったのは77年前ということになっているが、私は平安時代の天皇が神だったとは理解していない。いつから神になったのか。もともと、天皇は一族の長として支配者として君臨していた。
そもそもは「神」という意味が、一神教とは異なるのは間違いない。
それが、国家神道に置いて、一神教のような意味合いを持たせたのだ。
政教分離だったにも関わらず、政祭一致という手法だったのだ。
本来、明治9年、神仏分離の決定からGHQの国家神道廃止まで、アマテラスは神なのか?それとも祭祀だったのか? 神の概念がいつの間にかに西洋的な立ち位置になっていた。
それが明治のグローバル化であり、対外(欧米諸国・キリスト教圏)には理解しやすい、宗教観になったことは間違いがない。
アマテラスという神がいて=ゼウスという神がいて=ヤハウェという神がいて。とイコールになってしまった。
アマテラスは大日如来となり、人々を救う存在になった。
アマテラスは異国から来た支配者だったのではないか?
アマテラスは日本の土から生まれたものではない。
伊弉諾の目から生まれたのだ。
それならば、肉体を持たないアマテラスを擬人化させた概念ではないか?
古事記の神話をもっと読み解いてみるのも面白いかもしれない。
ギリシャ神話の共通項を探してみたくなった。
戦後、人となった天皇家をどのように位置づけするかとても大切だと思う。
国民あっての天皇家だから。
一度失ったら、もう戻ってこない絶滅危惧種なのだから。
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