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「200字の書評」(361) 2024.5.25



こんにちは。

爽やかな皐月は飄然と走り去ろうとしています。満々と水の張られた田んぼは、いつしか青い穂先が出そろい、風に揺れ始めています。短い春は桜の鮮烈な印象を残して初夏の装いになってしまいました。季節は平たんな道を提供してはくれません。初夏の翌日は晩春が戻り、時には冬物を引っ張り出させるような悪戯さえしてくれます。寒暖差の振れ幅は大きく、老残の身には堪える日々です。国会で民法改正が議決され、共同親権が現実化します。反対したのは共産党とれいわ新選組だけでした。共同親権には是とする面と、否定的な側面があります。一般に弱い側に立つ女性にとっては危うさがあり、同時にこの課題は子供の側にとってどのような意味を持つのか十分に論議されたのか疑念が残ります。急ぎすぎのように感じます。背景に何があったのでしょうか。統一教会の影はなかったのでしょうか。

ガザ、ウクライナ、ミャンマーその他、流血はいつまで続くのでしょう。平和の希求はないものねだりなのでしょうか。人間の愚かしさにため息が出ます。「歴史から学ばない者は、歴史に復讐される」という箴言を思い出します。現代を見つめていきたいと思います。

さて、今回の書評は民俗学の泰斗宮本常一に迫ってみました。




若林恵・畑中章宏「『忘れられた日本人』をひらく」黒鳥社 2023年

「忘れられた日本人」とは私たち自身ではなかろうか。家族や周囲の人々とのつながりや息遣い、経てきた道筋、生活文化などを忘れてしまっている。宮本常一はひたすら歩き、市井の人達の話に耳を傾けて記録し続ける。生活技術の伝承があり、村の寄り合いには粗削りな西欧流ではない民主主義さえ感得する。川沿いの家に住んでいた昭和20年代の幼き日の生活と近所の人達、埃っぽい道路が私の目に浮かんだ。民俗とは生活誌でもある。




<今月の本棚>


内田樹「だからあれほど言ったのに」マガジンハウス新書 2024年

題名にひかれてこの本を手に取った時から、すでにウチダ先生の術中にはまっている。「貧乏」と「貧乏くささ」とは大違い、富裕層に属する人々程貧乏くさいと喝破する。ご自分が建てた「凱風館」道場の意味をゲゼルシャフトとゲマインシャフトとして説明しているのも面白い。社会教育を学んだ立場からすると、戦後の一時期に民主主義の一つの提起として成立した公民館のイメージに近いような気がする。また、図書館を己の無知を可視化する装置と表現している。これまた共感する。


沢木耕太郎「夢ノ町本通り ブックエッセイ」新潮社 2023年

沢木の深夜特急を心震わせて読んだものでした。あの冒険は自分にはできないなぁ、と思いながら。それ以来気になる書き手の一人です。本書を読んでつくづく感じるのは、文章の上手さと着眼点の確かさ、加えて人脈の広さです。「テロルの決算」「一瞬の夏」など読ませる迫真性に満ちていた。雑文を書き散らしている己の菲才さを思い知らされる。沢木は自分の本読みの原点は幼少のころ近所の貸本屋にあるという。自分にとっての図書館は古本屋だとさえ再三記している。深夜特急ならぬ各駅停車に乗って、人間という荒野を探訪し続けているのかもしれない。


松本清張「火の路」(全集50巻) 文藝春秋 1983年

教育テレビの「3か月でマスターする世界史」を見ている。視点がアジア中心になっていて、ともすれば西欧中心の世界史とは趣を異にしている。学校での世界史ではゲルマン民族大移動を教えられたが、その要因は気候変動による寒冷化だと指摘された。オリエント世界の治乱興亡を取り上げた回ではアラブ、ペルシャ系民族が東漸し遊牧民族や漢民族などと交易交流、時には衝突を繰り返していた歴史が語られる。その際宗教も持ち込まれるのだが、ゾロアスター教の名があった。中国では祆教、拝火教などとして知られる。そこで思い出したのが清張のこの本。早速本棚から探し出した。

一人の女性研究者が飛鳥を訪れ、酒舟石、岩船石などの巨石群を熱心に調査するところから物語は始まる。その巨石群は斉明天皇の治下に企図されその後放置されたと推定される。斉明天皇に関する文書類の叙述の偏頗さから斉明天皇はゾロアスター教に傾倒し、巨石群はその名残ではないのか。それへの反発からの記述ではないかと疑問を深める。彼女はその説を確認するためにイランへ調査に赴く。そこに学界主流からの冷笑と狭隘さ、古墳盗掘、美術品鑑定疑惑などの要素を加えて、清張一流の推理が展開される。歴史小説としても推理小説としても面白い。学界の醜悪さへの批判は痛烈。昔単行本で読んだ時とは違う感慨があった。全集版二段組み500頁は長いものの、読ませるのはさすがの筆力であり古代史に一家言を持つ著者らしい力作。続いて姉妹編に当たる「眩人」(全集51巻)も読んでしまった。中国は唐の時代、ペルシャなど西域との交流交易は盛んで、碧眼紅毛の西域人が多数居住していた。日本にも少なからぬペルシャ人、唐人などが渡来していた。そこで展開されるのは清張流歴史譚である。歴史教科書とは別な歴史の底流があるのかもしれない。「古代史疑」をまた開こうかな、清張に引き込まれそう。




【皐月雑感】


▼ 人口戦略会議が消滅可能性自治体を公表した。全国744自治体が2020年から50年の間に消滅するという。10年ほど前にも同様の提起があった。その時に調査分析は精緻なのだろうが、そこに生まれ暮らしている人への思いはあるのだろうか、そんな意味の感想を持ったものだ。今回の会議の構成は知らないが人口減少が加速しつつある日本、政治と経済の活力が失われ国力の低下が深刻なこの国にとって、有効な処方箋の一助になるのであろうか。有識者と称するメンバー(大企業経営者、御用学者によって構成されているのでは?)の真意は何処にあるのだろうか。地方都市の疲弊は止まらず、わが郷里も昔日の栄華の面影は忍ぶ由もない。消滅可能性などという表現には思いやりが感じられないのだが、如何なものだろう。


▼ ガザにおけるジェノサイドは止まらない。イスラエルの暴虐とそれに援助を続ける米国政府への抗議が全国の大学に拡大している。高名な1流大学での学生の反イスラエル行動に注目が集まっている。日本に目を転じると、敏感にして活発であるはずの大学での運動が見えてこない。ベトナム反戦の火が燃え滾った1960年代70年代のあのエネルギーは、歴史の濃霧の彼方に消えてしまったのだろうか。


▼ 水俣病当事者と環境大臣との懇談会では、醜く悲しい場面を見せられました。切々と苦難の実体験を訴える患者家族の声を聴こうとはしない。わずか3分の発言時間を与えてあげる、それが過ぎたらマイクを切断するよ。そんな無情があろうとは。ただただ慨嘆する。愚かな大臣と、上から目線で取り仕切り懇談の実績をつくろうとしただけのヒラメ官僚。情けない。環境省(当時は環境庁)の設置の契機となった事件のはず、それはもう忘れられたのだろうか。


▼ 原発回帰の動きが露骨になってきた。そもそも原子力行政を経済産業省の外局に所管させるのが間違い。福島原発事故の教訓は忘れ去られたのだろうか。例によって政官財学の原子力村が蠢いている。原子力の火は未だ神の手にあり、人間がコントロールする段階ではないのだ。神話は崩壊したはず、何が可能か真摯に考えたい。


▼ 介護保険料があげられるという。年金天引きで徴収されている。ささやかな年金が目減りする。ますます住みにくくなる、老人はお荷物なのだろうか。


▼ 海の向こうのベースボールの国では日本人選手の活躍が報じられている。同胞の躍動はうれしいこと。半面日本のプロ野球は一流選手の草刈り場なのか、そう思うこともある。


▼ 名門慶應義塾大学の塾長が「国立大学の学費を今の約3倍、150万円くらいまで上げるべき」と発言した。庶民感覚からかけ離れていると批判されている。学びたい者に高等教育の門戸を開いているのが国立大学だと思う。今でも50数万円の学費は高い。すでに東京工業大学などでは値上げしている。教育予算の貧困さを象徴している。奨学金という名の教育ローンに呻吟している者は多い。我が国の学問教育研究の地盤沈下は深刻。件の塾長は慶應幼稚舎からの生粋の慶應ボーイ、育ちの良い順調な道を歩み、浮世離れをしている人物を想像してしまう。貧しき者、弱き者への感性欠如を感じる。
学費値上げに関しては一つの思い出がよみがえる。それは私が大学入学した年に勃発した大闘争である。もう60年近くも前の話だが、鮮明に思い出すシーンがある。大学当局が学費値上げを提起したことにより、各学部自治会がストを決議し直ちに全学ストに突入した。数か月にわたりバリケードが築かれて授業はなし(それを成績不良の言い訳にしている)。入試の迫った2月に機動隊が導入され落城。深夜、導入間近の報に学生寮の同期生5人でタクシーを拾い大学に駆けつけた。冴え冴えとした月が消え残る冷たい朝だった。各学部自治会・セクトが正門と本部前にピケを張ったが、抵抗空しく屈強な機動隊の前にはなすすべなく排除された。消え残る未明の月光が、隊伍を組み迫ってくる機動隊の青いヘルメットをキラキラさせていた。それが妙に印象的だった。18歳の少年たちを支えていたのは正義感だけだった。行動を共にし、逃げずに腕を組んだ寮の仲間たちとは信頼感で結ばれ、今でも親しい。



☆徘徊老人日誌☆


4月某日 熊野三山と高野山ツアーに参加する。2泊3日の旅。ゆっくり出発、早め帰宅の高齢者御誂えの設定で、往復飛行機利用。もう30年近く前に那智の滝で名高い那智大社には参拝していた。かねてから、ほかの二山本宮大社と速玉大社には行っていないのが気になっていた。何しろ信心深いのが取り柄。高野山金剛峰寺のお参りもできて、よき旅でした。歴史を紐解くと、南北朝の抗争時代後醍醐天皇方はこの地にこもって北朝方に抗していた。熊野地方は山深く険しい地形で、大軍を擁して一気に片を付けるのは困難であることが実感できた。戦力的には優勢な北朝軍が攻めきれなかったのはこの地形に理由があったと思われる。地形を知悉した地元の武士や悪党、修験者たちに翻弄されたのだろう。現地を見て兵要地誌を整備することは軍事の要諦なのであろうことがわかる。


5月某日 憲法集会が久しぶりに開催された。不本意ながら不参加。いつも行動を共にする友人が所用により行かれず。「孤掌難鳴」の感あり。やや疲労感もあり足は駅に向かわず。気力体力の衰えは隠し難し。来年こそは!!


5月某日 首都高速道路で死亡事故が朝と晩に発生。悪いことは重なるものだ。車を運転する者にとって他人事ではない。拙宅の近くには関越自動車道と圏央道が通り、時折利用している。双方とも交通量は激増し渋滞は日常的で、事故は多発している。特に関越道と圏央道が交わる鶴ヶ島ジャンクションでの事故発生件数は相当数に上る。合流時の事故なのだろう、構造的に合流車線が短いことにもその一因があるのかもしれない。速度超過、安全確認、運転技術など運転者側のモラル向上も求められる。適切な車間距離と、合流しようとする車への譲り合いの心は大切だと思う。


5月某日 散髪をする。以前にも言ったような気がするが、床屋難民になっている。以前の床屋さんは長く通っていたので馴染みになり、政治のこと、社会風潮、地域の出来事などいわゆる床屋談義によって地域性を知ることができた。已む無く行っているチェーン店は料金1/2、時間1/3、技術1/5といったところ。しかも毎回理容師が入れ代わっていて、会話もほとんどなし。味気無さを感じてしまう。


5月某日 観劇で感激。地元の劇団がコロナ禍を乗り越え4年ぶりの公演でした。認知症の人物像が迫真の演技で展開されていました。真実と仮想現実が入り混じり、誰が誰なのか、何が本当のことなのか、こちらの方が混乱しそう。笑いの中にこの社会の偽装性が浮き上がってくるような気がしました。劇団創立期から中心的メンバーとして活動し、今は代表者を務めている知人が入場券を送ってくれたのです。図書館勤務時の同僚でした。正義感が強くリーダーシップがあり、頼りになる人物でした。感謝です。




梅雨が近づいています。庭の紫陽花が色づく時期です。雨に揺れるあの紫色は人を引き付ける不思議な色合いです。土壌のペーハー値によって色を変えるところから、花言葉には冷酷、移り気などがあるそうです。私は紫色に惹かれます。北海道ではこの時期リラ冷えという表現を聞くことがあります。ライラックの咲く時期に冷え込みが強まることがあるからです。リラ冷えの街札幌、情感が伝わります。
どうぞご健康でお過ごしください。


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