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マスクを外してみたら
最近少し心が疲れていて、
どんなに涙で洗い流してみても、
嫌な気持ちが内側に籠って、
いつもモヤがかかったまま晴れなかった。
おまけにこんなご時世だから、マスクは手放せず。
身体の熱は逃げず、口周りに留まって私の気持ちをさらに重くさせた。
そんなことを考えていた今日、買い物を済ませて広場を歩いている時、
あまりにいい天気で気持ちが良くて、
思わず立ち止まった。
自然の光を浴びたくて、誰も近く
自分が自分らしくありながら生きるために、
今何ができるのだろうか。
今はそうやって生きているのだろうか。
すぐ見失ってわからなくなってしまうのだけど。
休みながら頼りながら労りながら。
そうやって振り返って自分のために生きていることを思い出す。
立て直せなくなる前に。
暗い気持ちが続いてたけど、久しぶりにとある方とお話したらとても元気をもらえた。
特別なことは何も言われていないのに、言葉を交わすだけで元気をあげられる人って素敵。
言葉だけで人の元気を奪う人もいるから、
私も誰かに元気をあげられる人になりたいなぁ。
会話の仕方がわからない・目を合わせるのが怖い
大学生になり、まずは自分から声をかけてみることを目標にした私は、ありがたいことに7人グループの中の一員になることができた。
みんなユーモアがあって優しい人達ばかりで、常に行動を共にするようになっていた。
7人で昼休みにご飯を食べながら話をしていた時に、とある違和感に気づいた。
あれ、私、全然会話に入れてない。
もちろん7人もいるので皆がいっぺんに話すことはないし、聞き役と話し役がそれぞれ交
言葉を知るということは
言葉を知るということは、単に気持ちを誰かに伝えるためだけではなく、自分の感情を正確に把握することでもあると思う。
なぜ嬉しいのか、なぜ楽しいのか、
なぜ涙が出るのか、なぜ悲しいのか、
なぜ辛いのか、なぜイライラするのか、
なぜ妬ましいのか、なぜ苦しいのか。
自分のことをよく知っているのは自分なようで、湧き出る感情にちゃんと名前をつけることができないことも多い。
〇〇〇〇だから、私は嬉しい。
落ち込んだ気持ちの穴から見えている視野は思ってる以上に狭い。
なんでも言えることだと思うけれども、
「気持ち」という精神論に引っ張られてしまうと驚くほど視野が狭くなる上に抜け出すのに相当な時間を要することが多い。
負けてたまるか自分はやれると周りを見ずに気持ちばかり保っていたところで、がむしゃらになればなるほど上手くいかないことの多いこと多いこと。
見事に玉砕して自分の不甲斐なさにすっかり自信を無くしてしまう。
そこでまた立て直したところで結局視野は狭
夢中という名の処方箋
普段何気なく日常を過ごしていると、
ふっと虚しい気持ちに苛まれる時がある。
なぜ自分は生きているのだろうか。
私は一体誰の役に立っているのだろうか。
私なんかいない方がいいのではないだろうか。
あと何十年と生きていかなきゃならないのか。
この思考は仕事で行き詰まってる時や思うように物事が進まない時だけではなく、幸せを感じている瞬間でさえ訪れる。
病むと言うよりは素朴な疑問に近い。
実際今死ん
ここで変わらなければ、一生変われない
”人に感情を見せない”自分は、辛いこともある反面、自我を保つ上では便利な鎧でもあった。
しかしこれは、18年間同じ土地で過ごしてきたからこそ許された行為でもあった。高校卒業後は大学進学することが決まり、地元を初めて離れることになった。初めての場所でイチからスタートを切ることは今までの人生ではない経験だった。
自分のことを全く知らない場所へ行くことへの期待感がある一方で、このままの自分でいていい
タマゴのような自分と対照的な親友
感情を見せず、ポーカーフェイスで周囲と距離を取って、1人を好んでいた自分だったが、全く平気だったのかと言われればそうではなかった。
どんどんと作られていく周囲から見た”自分”と自分が隠している”自分”との差が広がっていくばかりで、帳尻を合わせるのに精一杯だった。
授業の内容を”○○(私)ならわかっているから大丈夫だ”と思われることや、クラスでグループの輪に入らなくても”1人でも問題ないのだろう
1人でいることの喜び
自己防衛から人に自分の感情を見せなくなった私は、人間関係が自然と整理されていった。
ある日、部活仲間A(以下、A)と小学校時代からの同級生B(以下、B)と一緒に下校していた。会話の内容は覚えていないが部活仲間のAと話が弾み、つい部活中心の話をしてしまった。
同じ部活ではなかったBは話に入れないのが面白くなかったのか、突然立ち止まって叫んだ。
「そんな部活の話がしたいなら、ずっと、Aと一緒にいれ
自己防衛からの”無表情・沈黙”
そんな”自分と他人の違い”を”自分にはない=自己嫌悪・自己否定”へと変換する思考回路が身についてしまった私は、徐々に人と関わることへ恐怖心を覚えるようになった。
「何もない自分を無条件で受け入れてくれる人などいない。」「腹の中では笑われているのかもしれない。」という考えばかりが過ぎり、人と話すたびに「馬鹿にされてはいけない」「笑われてはいけない」「失敗してはいけない」といった自己防衛的な感情が湧
きっかけは、「自分への嫌悪感」
小学生の頃、周りの同級生たちに「ハッキリしろ」と何度言われたかわからない。
気の弱い私の周りには、気の強い同級生がたくさんいた。自分の主張が通らなければ気が済まない、自分の思うままに行動したいという人が運の悪いことに多かった。
「誰と遊びたいのか」「誰が好きで一緒にいたいのか」と、小学生ながらにこんなことを日々友人たち(友人と呼ぶべきなのか)に責め立てられていた。
周りの意見が上手く調和され