1人でいることの喜び

自己防衛から人に自分の感情を見せなくなった私は、人間関係が自然と整理されていった。

ある日、部活仲間A(以下、A)と小学校時代からの同級生B(以下、B)と一緒に下校していた。会話の内容は覚えていないが部活仲間のAと話が弾み、つい部活中心の話をしてしまった。

同じ部活ではなかったBは話に入れないのが面白くなかったのか、突然立ち止まって叫んだ。
「そんな部活の話がしたいなら、ずっと、Aと一緒にいれば!!!」

走って遠ざかっていくBを、小学校時代の私であれば大慌てで追いかけてひたすら謝っただろう。そしてそれをBも期待していたからこそ、一旦自分の主張を叫んで去っていったのだろう。

でも私は追いかけなかった。そんな行動を取ったのは初めてだった。もちろん心の中は多少なりともモヤモヤとしていたが、その時の私は「孤独でいてもかまわない。」という気持ちの方が大きかった。

この事がきっかけで、今まで私に辛く当たっていた小学校時代からの同級生から離れる事ができた(正確には一旦絶交状態となり、中学卒業間近くらいに和解する)。そこから余分な枝葉を落とすように、苦手な人から進んで離れるようになった。
責められない毎日はこんなにも気楽なものなのかと晴れ晴れとした気持ちになり、同時に初めて自分の意思で行動できているのが誇らしかったのを覚えている。

ここから、中学〜高校卒業までは自分と関わる人を限定してその人たちだけに心を開くようになった。心を許した人以外とは態度が打って変わってほぼシャットアウト状態になり、必要最低限の事務連絡くらいしか言葉を交わさなくなった(仲がいい人の前ではニコニコするくせに、そうじゃない人に話しかけられると急に真顔になることもしばしば)。さらに心を許した人達は部活や習い事が一緒でも学校では別クラスのことが多かったため、教室ではほぼ1人で言葉を発することは少なかった。

1人になって感じたメリットは「圧倒的に人間関係のゴタゴタが減った」ことだった。クラス内で勃発する人間関係の争いに一切巻き込まれなくなったことがこの上なく快適だった。

また、今までは周りと同じ行動をせざるを得えなかった状態から自分の意思で行動することができるようになった。
「理科室に早めに移動する(友達の付き添いでギリギリになることが多かった)」「昼休みは課題をする(遊びに誘われると断れなかった)」など、些細なことでも自分の好きなように行動を選択できるようになることに喜びを感じた。そんな過ごしやすさから、進んでどんどん1人になることを選ぶようになった。

自分に分厚い鉄壁を作ることで、余計なしがらみから解放される。自分の弱さを知られなくて済む。壁は日を追う事に厚くなっていき、この選択は間違ってないとさえ思っていた。

中身は小学校時代の自分と全く変わっていないのに。

PS:ちなみに、1人でいること自体は悪くないと思っているし、今でも1人の時間は好きです。
でもコミュニケーションまで遮断していたことが、後々自分の足かせになっていくことを当時は知る由もなく、自分が楽になる道を選択し続けていました。


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