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サッコ・ディ・ローマの痕跡を追って(後編)
ようやく今回で、このテーマは最終回になります。
この「後編」だけ、ご覧になっている方もおられるでしょうから、ローマ劫掠とは何だったかを、簡単にお伝えしておきますね。
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上の写真は参考文献のカバーですが、この書名や、帯に記載されていることで、大体察せられるかと思います。
この書籍は現在増版されていないので、私はネット注文で手にしました。
運よく?帯が付いてまして、この記載が印象に残りました。
「ルネサンスの9・11」
「ニューヨークの9・11と同様に一世代の集団心理を一変させてしまった出来事」
確かにその通りですね。私はまだまだ勉強不足で、目にしていない著書も多いと思いますが、ここまで触れて来て「アフター(after)サッコ・ディ・ローマ」と「ビフォワー(before)サッコ・ディ・ローマ」を、意識してしまうようになりました。
美術館や博物館を訪れ、ルネサンスの作品を目にする時など、それが1527年以前(以降)かをです。
【参考・引用文献】
『教皇たちのローマ』 石鍋真澄著 平凡社(2020年)
『ローマ劫掠 1527年聖都の悲劇』 アンドレ・シャステル著 越川倫明他訳 筑摩書房(2006年)
『ローマ ある都市の伝記』 クリストファー・ヒバート著 横山徳爾訳 朝日新聞社(1991年)
サッコ・ディ・ローマによる聖画・聖像の損失
「教皇たちのローマ」の中で、1580-81年にローマを訪れた時のことが記されている、ミシェル・ド・モンテーニュの『旅日記』の内容が載っていました。サッコ・ディ・ローマの事件から半世紀が経ってます。
モンテーニュはカトリック信者ですが、プロテスタントにも理解を示し、融和に努めたそうです。
金持ちと馬車と馬、そしてとくに人が多いという点で、ローマはどの都市よりもパリを思い出させる。しかし市街地の大きさはパリの三分の一にも達しないだろう。城壁内の三分の二は空き地で、あとの三分の一が市街地だが、建物や広場はパリよりも立派だ。
(中略)
小作人のように額に汗して働くものは無く、郊外の土地はやせ地で耕作されていない。だが、ここは気候が良く、そのためブドウ畑や庭園には不思議な美しさがある。
(彼の目には、ローマの人々は信仰深いというより、儀式好きと映った)
この都は世界で最も万人共有の都であり、国籍の相違などを最も問題にしないところだ
もともとここは諸処の外国人が寄り集まって出来た都なので、誰でもここでは自国にいるような気がする
私はそれ(ローマ市民の称号)を頂戴して、ひじょうな喜びを受けた
かたや、こういうことも述べられているそうです。
ローマの聖堂はイタリアの多くの都市のそれに比べて美しくない。
ローマにはフランスのごく小さな村よりも鐘が少ない。
最近造られたものを除いて、聖画・聖像が全然ない。多くの古い聖堂にはそれが一つもない。
良いことを語ってくれていることに関しては「なるほど、その通りだろうな」と共感しましたが、悪いことというか、マイナス的なことを言われると「それはあなたの感想でしょ」「見落としてるんじゃないの~」と言いたくなりました(笑)。
ちなみにサン・ピエトロ大聖堂に行った時、帰りがけに鐘の音、しっかり聞きましたよ~!
さらに石鍋真澄氏がこう述べています。
さいわいなことに、ミケランジェロやラファエロの宗教作品などは残された。しかし、ローマ中の聖堂にあったはずの礼拝用の聖母子像や磔刑像、祭壇画などの多くが破壊されたり、持ち去られたりしたことは間違いないだろう。…(中略)ローマの聖堂を訪ねてみればわかる通り、十三世紀や十四世紀、そして十五世紀に制作された聖像や祭壇画を見ることは極めてまれである。それらのうち、奇跡の聖母像などとしてまつられている聖画は、たいてい大掛かりな額や装飾の中におさめられているが、画像そのものは断片に過ぎない。フィレンツェなど他の都市の場合と比べれば、その欠如は歴然としている。
つまり中世や、ルネサンス時代など、サッコ・ディ・ローマ以前の作品がローマには少ないということですね。
これまで考えたこともありませんでしたが、本当にそうなのか、今回の旅行で、出来る範囲ですが検証してみました。
ここでは「壁画」は述べられていないので、壁画は除外のようです。
ローマと他の都市にある聖画・聖像
まずローマにある作品などを挙げますが、ルネサンス時代の壁画も、たくさん目にしました。せっかくなので、それらもアップします。
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ミケランジェロ・ブオナローティ作「ピエタ」コピー
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過去何度も見ましたが、サッコ・ディ・ローマで攻撃されなかった貴重な作品と分かった今、是非とも目にしたかったです……
まずサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ・ブオナローティ作「ピエタ」は、1499年完成してます!
ビフォワーサッコ・ディ・ローマはもちろん、15世紀ですよ。
モンテーニュさんは、なぜピエタのことを触れないのですかね?例外?主祭壇(内陣)にないから?
そんなことは書いてないし、これ明らかに見落とし!?と思ってしまいました。
それかこの方、美術品にあまり関心はなかったということだし、もしピエタを見ているのなら、今みたいに解説なんてあるわけないので、作品の見事さから「最近造られたもの」(当時から80年以上前)と思ったとか…。
いずれも推測の域なのですが(笑)。
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ミケランジェロ・ブオナローティ、ピエトロ・ウルバーノ・デ・ピストイア共作「復活のキリスト」1519-1521年主祭壇の側にあります!
上の作品は、ほとんど弟子のウルバーノが手掛け、当時出来が悪くて、ミケランジェロが直した直さなかったというエピソードがあり、専門家によると、作品としては評価が低いようですが、明らかにビフォワーサッコ・ディ・ローマに完成してます。
そういう意味では貴重ですね。
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中央の天使やマリアが描かれている絵は祭壇画?
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これは「断片に過ぎない」ってやつですかね?
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ラファエロやミケランジェロの、ビフォワーサッコ・ディ・ローマの作品は、運良く?残されていると石鍋氏は述べています。
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天井(アプシス)にかけての絵はバロックと思わせますが、中央がルネサンス期のようにも見えます。
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主祭壇の壁から天井(アプシス)にかけて中世のモザイクがありました。
「マリアの戴冠」
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セバスティアーノ・デル・ビヨンポ作「キリストの鞭打ち」1527年
サッコ・ディ・ローマが起きた、直前の作品。
フレスコ画ですが、外せない作品です。
ここから先はスポレート(1枚)とプラート(2枚)です。
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フィリッポ・リッピ最後の作品の壁画が有名。
祭壇画は無し。
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時間が過ぎたので暗いが(鑑賞は有料)、フィリッポ・リッピのフレスコ画で覆われている。
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近くで撮影出来なかったため、年代等詳細不明だが、祭壇画がある。壁を覆うフレスコ画は無い。
ここから下はフィレンツェです。
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フィリッピーノ・リッピ作「聖ベルナルドの幻視」1485年
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ドゥオモー内部は上記の絵の他、絵画や彫刻が数点あるだけです。
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この両脇や他の場所にもジョットやドナテッロなど、たくさんの聖画・聖像がありました。
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以上がフィレンツェでの、聖画・聖像などの写真ですが、実はサン・スピリト教会も訪れています。
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ここはミケランジェロが若い頃作成したという「十字架にかけられたキリスト」像もあるのですが、残念ながら内部は全て撮影禁止でした。
「地球の歩き方 フィレンツェ編」にも載っていますが、記憶の限りでは、側面壁にフィリッピーノ・リッピ作(バディア・フィオレンティーナ教会の聖ベルナルドの幻視ような)他、祭壇画が複数ありました。
またローマに戻ります。
実際、フィレンツェを後にし、ローマに戻り、帰国前日、1日周りました。
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全体的にバロック以降の装飾というイメージですね。
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スペイン広場の側にあります。サッコ・ディ・ローマ以前のサンタンジェロ橋を描いた絵画があるということで入りましたが、残念ながら内部のすぐ手前に仕切りがあり、奥に入れませんでした。
ここは皇帝と敵対していたフランスゆかりの教会だったので、特に酷く襲撃されたとシャステル氏が述べています。
以上から、モンテーニュの「(ローマにはルネサンス時代迄の)聖画・聖像が全然ない。多くの古い聖堂にはそれが一つもない」には反論したくなりますが、これは日記であって、当初他人に読んでもらう、つまり出版を目的として書かれたものではなかったということです。
なので、きちんと検証したわけではないということで、それに関しては単なる感想と解釈しました。
私からは「一つもないなんてことはないので、ぜひ皆さま、ローマを訪れることがありましたら、ミケランジェロの彫刻や、ルネサンス時代までの壁画とかも、ご覧いただき満喫してください!」と申し上げておきます。
一方で、専門家の石鍋氏が述べられていることですが、プラートのような小さな都市との比較は難しいかもしれませんが、フィレンツェと比べたら、私の限られた視察だけでも、同じくそれらは少ないというのは感じました。
フィレンツェと比べたらですが、確かにローマには、サッコ・ディ・ローマ以前の作品(壁画を除く)が多く存在する教会というのは、私が足を運んだ限りではありませんでした。
当事者の皇帝軍ランツクネヒトによる、殺戮、略奪、放火などの手記もあり、聖具、聖遺物、芸術作品の多くが失われたことは、当時の証言からも間違いないです。
ただ、その中でミケランジェロやラファエロの作品、特にミケランジェロのピエタなどは、皇帝軍にとって、憎きフランス人の枢機卿の注文だし、宗教的復讐という解釈がある中で、何故これらの代表作が、やられなかったのかは疑問です。
失われた金銀細工品
また失われた聖具、芸術作品の中で、金銀細工がよく取り上げられています。
破壊された建物、聖堂、モニュメント、聖具、祭壇画、本、資料、聖遺物などの被害は甚大としか言いようがない。
…ローマの金工、つまり金銀細工の歴史は、略奪以前の物は無に帰したといっていい。
――また、「割礼の聖遺物」として知られる宝物は、ラテラーノ宮殿のサンクタ・サンクトールム礼拝堂でドイツ傭兵隊に盗まれ、その後カルカータ(ローマの北方約30キロ)で見つかった。再発見時に修繕不可能な状態であったため、新しい精錬された聖遺物容器に安置しなおされた…(中略)元の金銀細工は当然消失したものの…新しい聖遺物容器は、オリジナルの意匠を反映している可能性もある。
近年開催されたある展覧会(1975年)によって、こうした宝物のうち残存する作例がいかに少数であるかが、確証されている。
ローマ劫掠は、カトリック教会が所有していた金銀細工品の大半を、事実上壊滅させたのだった。今日、中部イタリアの金工美術について我々が極めて知識に乏しいのは、この理由ゆえである。
私がこれまで訪れたローマとトスカーナ州の間の街というと、ウンブリア州のスポレートとアッシジくらいなのですが、「ローマ劫掠 1527年、聖都の悲劇」で言及されている「中部イタリア」に…おそらく含まれますね。
ローマ劫掠のことを調べるまで、私は金銀細工にはあまり興味がなかったため、これまで美術館にそのコーナーがあっても、ほとんど素通りしてましたし、地方都市を訪れた時などは、なおさらそれらを見に博物館へ行こうなどとは考えませんでした。
少なくとも今回訪れた、スポレートには金銀細工展示の博物館はありませんでしたし、おそらくアッシジもそうですね。
また過去にローマを何度か訪れてますが、それが展示してある美術館、博物館に行った記憶がありません。
でもベンヴェヌート・チェッリーニは自身の自伝で、サッコ・ディ・ローマ以前も以後も、ローマで活躍して作品を制作していたと述べています。アフターサッコ・ディ・ローマのベンヴェヌートの作品がローマのどこかで展示されているのかいないのか、結局わかりませんでした。
なので今回の旅行では、サン・ピエトロ大聖堂に「宝物館(Museo del Tesoro di S.Pietro)」があり、そこに数少ない作品があると、ガイドブック「地球の歩き方」に記載されてましたので、そこへ行くことにしました。
そこで見た作品で、ビフォワーサッコ・ディ・ローマと分かるものを撮影したつもりなのですが――見直すとよくわからないのもあり――数点アップしました。
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(バックにピエタのコピーがあります)
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ここから下はフィレンツェのバルジェロ博物館に展示されていた、16世紀までの作品をアップしました。
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以上がバルジェロ博物館に展示されていたもので、出来るだけ該当の年代の部分を取り上げました。
このローマの宝物館と、フィレンツェのバルジェロ博物館とを、ここに挙げていない写真を含め、比べたところ、明らかにバルジェロの方が種類、数からして豊富ですね。
私も知識不足で、宝物館の方を視察しただけでは、どれが金銀細工?と思ってしまったり、写真の性能もあって、作成年代がはっきりしないなどもあったり―――また、それがはっきりしたとしても、その作品がサッコ・ディ・ローマ当時、ローマにあったのかということも疑問でした。
何しろ専門家のお二方が「略奪以前の物は無に帰した」と仰ってますからね…。
一方でバルジェロの方は、一目見ただけで素人の私でも、これが金銀細工なんだ〜と思ってしまいました(笑)。
品数はもちろん、年代もわかりやすく表記されていたこともありますが、何よりも直感で「その土地の職人の手作り感」が伝わって来るんですよね。
バチカンの宝物館で展示されていた作品は、前述したようにサッコ・ディ・ローマ以前の作品であっても、当時ローマにあったのか、後から献上でもされたものなのか、疑問でしたが、バルジェロのは偉い人に捧げるような代物とか、評価が高い低いは関係なく、地元のたくさんの職人から作られたという、貴重な作品がたくさん保存されているのだということが、わかりました。
(バルジェロ博物館の作品は、アフターサッコ・ディ・ローマ以降のものも含まれますが)
また最後の手段で、ChatGPTに確認しました。
私:「ローマ劫掠 1527年聖都の悲劇」アンドレ・シャステル著、によると 「ローマ劫掠は、カトリック教会が所有していた金銀細工品の大半を、事実上壊滅させたのだった」とあり、石鍋真澄の著書でも同様に述べられてますが、本当でしょうか? バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の宝物館に行きましたが、フィレンツェの博物館に展示されていたような、ルネサンス迄の金銀細工は、殆どありませんでした。
アンドレ・シャステルと石鍋真澄の著書に記載されているように、サッコ・ディ・ローマ(ローマ劫掠)は、カトリック教会が所有していた金銀細工品に対して甚大な被害をもたらしたことは、歴史的に広く認識されています。この事件では、神聖ローマ帝国軍、特にランツクネヒトたちによる略奪と破壊が行われ、ローマ中の教会や修道院、聖堂などに保管されていた貴重な金銀細工や宝物が奪われたり、破壊されたりしました。
ローマ劫掠の影響
1.金銀細工の損失: サッコ・ディ・ローマにおいて、特に金銀細工品が標的となり、多くが略奪されました。これらの貴重な品々は当時の教会の財産の一部であり、宗教的・文化的価値も高いものでした。略奪された金銀細工の多くは溶かされて売却されたり、敵軍によって持ち去られたとされています。
2.バチカンの宝物館: 現在バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の宝物館に展示されているものは、サッコ・ディ・ローマで失われたものではなく、その後の時代に再び集められたものや、後に寄贈されたものである可能性が高いです。ルネサンス期のオリジナルの金銀細工が少ない理由の一つとして、サッコ・ディ・ローマでの略奪と破壊が大きく関係していると考えられます。
3.他地域の保存状況: 一方で、フィレンツェなど他の都市に保存されているルネサンス期の金銀細工が残っているのは、これらの都市がサッコ・ディ・ローマのような甚大な略奪や破壊を受けなかったためです。そのため、フィレンツェなどの博物館には比較的多くのルネサンス期の金銀細工が残されています。
結論
サッコ・ディ・ローマによるローマの金銀細工品の壊滅的な被害は、確かに歴史的な事実と見なされます。そのため、現在のバチカンにおいてルネサンス期の金銀細工がほとんど見られないのは、サッコ・ディ・ローマによる略奪がその主な原因と考えられます。歴史的に残されている文献や証言は、この出来事がローマの文化遺産に与えた壊滅的な影響を示しています。
Aiもこういう回答だったし、やはり専門家の方々がおっしゃる通り、現地で探してみても、無いものは無いのですかね…。
当時、フィレンツェ並みに作品が存在し、それが失われたとするならば、サッコ・ディ・ローマの大きな損失の一つですね。
ただ、希望を込めて…かもしれませんが、金銀細工の作品が、フィレンツェと同じくらい存在したのか、その辺りもよくわかりません。どれくらいの損害、損失があったのかの具体的な証明がないからです。
また、金細工師のベンヴェヌート・チェッリーニは自伝によると、サッコ・ディ・ローマの2,3年後には、造幣所で働いたり、工房を開いて活躍したと述べています。
サッコ・ディ・ローマ以降のベンヴェヌートの作品なども、目にすることが出来なかったので、もともと展示・公開されていないのか、作品自体が少ないのか、あるいは別の理由で消失したか…想像するしかないのですが。
私も限られた日数だったので、足を運べなかった教会、博物館、美術館もたくさんあります。もし皆様の中で、ローマで「1527年以前の祭壇画が豊富にある教会」「B.チェッリーニ作など、金銀細工が展示してある場所」をご存じでしたら、コメントいただけたら幸いです(最後の旅行と決めていたのに、また行きたくなりそう…)。
失われた中世の街並み
サッコ・ディ・ローマが起きる前の街の様子が詳しく記載された著書がありましたので、抜粋します。
ローマは確かに大部隊の略奪者にとっては格好の餌食であった。不規則に伸びる城壁は、絶えず修復されていたものの、今では到底堅固とは言えない状態で、当時もなお古代ローマ帝国の首都と同じ広大な地域を取り囲んでいた。16世紀初頭におけるイタリアの他の大都市とは違って、市壁の内側に葡萄園や菜園、鹿や猪が潜んでいる原野や藪が存在し、蔦や茨で覆われた屋敷や崩壊した遺跡があって、葉の茂みから何百羽の鳩が騒々しく泣きながら飛び出す有様であった。(中略)
カピトリーノの丘には塔や銃眼付胸壁が所狭しと林立し、また麓の平地には要塞の廃墟があって、それほど遠い過去ではない中世の無法状態と貴族間の確執を不気味な姿で思い起こさせた。事実、ローマは今なお本質的には中世都市であった。(中略)
しかし当時もなお住民の大半が居住していた地域である、コルソ通りとテヴェレ川の間、そして川向こうのトラステヴェレ地区に見られるローマは、中世のローマそのままであり、路地裏と暗い細道、袋小路や抜け道が迷路のようになり、ところどころ教会や要塞が小さな蚊帳の上にそびえ、家並みはテヴェレ川岸迄ごたごたと続き、川の泥水の上に張り出し、川から船で入ることが出来た。
文章だけだとイメージが付きにくいところもありますが、16世紀のローマの風景の版画が載っている書籍もあります。
当時からの居住地区であるトラステヴェレの路地は、現在もそれに近いかなと、思いました。
この「中世のローマ」が失われ、他のイタリアの都市とは違和感がある要因を、石鍋氏はこう述べています。
中世のローマが失われることになった要因
・サッコ・ディ・ローマによる破壊
・16世紀末に、シクストゥス5世以降の教皇たちが進めた、怒涛のごときローマ再建築事業。いわゆる「ウラガーノ・バロッコ(バロックの嵐)」これによって、それまであった中世の街並みや聖堂、絵画や彫刻などが、バロック期の都市建設や聖堂の改築によって失われてしまった。
専門家の方が仰っていることでもあるので、「ウラガーノ・バロッコ」という改築が、実際に年月をかけて行われたのでしょう。
サッコ・ディ・ローマの傷跡を消し去るために、それが行われたというのであれば、これも二次的、間接的な破壊、犠牲ですね。
確かにフィレンツェなどのトスカーナの都市、さらに中世の面影が残るスポレートやアッシジなどと比べたら、ローマは違和感があります。
でもローマが大好きな私にとっては、自分が訪れた限りですが、ミラノと比べたら違和感がなかったので、単なるその都市、街の特徴だと思っていました。
ウラガーノ・バロッコが行われたのはサッコ・ディ・ローマが要因だけではないのでしょうし、その後の目覚ましいく発展したバロック時代の過程の一つとも考えられますね。
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冒涜された聖遺物の行方
サッコ・ディ・ローマに関する著書を目にした時から、気になったことがありました。
前編でも取り上げましたが、被害にあった聖遺物のことです。
サン・ピエトロ大聖堂で、聖遺物として大切にまつられていた聖アンデレの首は地面に放り投げられ、一方ヴェロニカの布は持ち去られて居酒屋で売られた。また聖ロンギヌスの槍の穂は、ランツクネヒトの槍につけられて、ボルゴ(サン・ピエトロ大聖堂からサンタンジェロ城にかけての主要道路)を引き回され、物笑いの種にされた。
コンスタンティヌス帝の黄金の十字架やニコラウス五世の三重冠は、この時に奪われ、以後消息を絶った。
………
皇帝軍は聖ヨハネ、聖ペトロ、聖パウロの頭蓋を強奪した。彼らは頭蓋を覆っていた金銀の布を盗んでしまうと、頭蓋を街路に放り出してボール遊びの道具にした。彼らが見つけ出したあらゆる聖人・聖女の遺物は、嘲笑的な遊具にされたのだった
黄金の十字架などは、溶かされてしまったんでしょうね…。
無いものを嘆いても仕方がないし、史実に対してこういうことを申し上げても、ナンセンスなのでしょうけど、せめてこれら聖遺物や芸術作品などの物資を犠牲にする代わりに、一般市民、聖職者への危害をやめて欲しかったです。
そういう思いはあるのですが、失われたと記載のない遺骨などは、今でも無事に存在しているのかが、気になりました。
その答えは、モンテーニュの日記の中にも記されているようです。
――カトリックを信仰したモンテーニュは、教皇グレゴリウス十三世に謁見して足に接吻したほか、サン・ピエトロ大聖堂にまつられている聖遺物、ヴェロニカの布やロンギヌスの槍の穂を拝見し、鐘を鳴らして信者を集めてから幕を下ろして開陳したという、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂のペテロとパウロの頭部などを拝観している。
遺骨に関しては、以前鑑定したとかいう報道を耳にしたことがありましたし、ご存じの方も多いと思いますが、調べたことを挙げておきます。
*ベルニーニは、聖堂中心の4つの柱に、4つの聖遺物(ロンギヌスの槍の穂、聖女ヘレナの聖十字架の断片、聖ヴェロニカの布、聖アンデレの頭部)を安置する祭壇を設け、その下に縁の人物像を配した。
*ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini, 1598年12月7日 - 1680年11月28日)は、バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家。
(サン・ピエトロ大聖堂の改築の際)槍の穂先の聖遺物のためにはベルニーニの〈聖ロンギヌス〉、聖アンデレの頭蓋のためにはデュケノワの〈聖アンデレ〉(この聖遺物は15世紀にパトラスから移されたものだが、1964年にギリシア正教会に敬意を表して同地に返還された)、聖顔布のためにはフランチェスコ・モーキの〈聖女ヴェロニカ〉、そして真の十字架の聖遺物のためにはアンドレア・ボルジの〈聖女ヘレナ〉が制作されたのである。
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サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂は初めて足を運びました。
友人とのツアー参加を含め、5回くらいローマを訪れているのですが、テルミニ駅から少し離れていることもあり、行く機会がありませんでした。
旅行中、半日ほど地下鉄が閉鎖されてしまったトラブルもあり、予定の日に行けなかったのですが、何としても行かねばと思い(頭部の拝観なんて出来るわけないのですが)最終日に訪れることが出来ました。
サッコ・ディ・ローマがなかったら
ところで16世紀までの「中世の街並みのローマ」がどんなだったのかも気になって、Copilotに描かせたところ、下記のような映像が出て来ました。
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ペルッツィ作「遠近法の間」1515年頃
当時のローマの街が描かれているが、サッコ・ディ・ローマの際、皇帝軍ランツクネヒトの「刻まれた落書き」が残されている。
全体的にはウソだ、違うだろと思いましたが、ところどころはわからなくもないような…私の場合、ファルネジーナ荘の絵から、想像するだけなのですが(笑)。
史実に対して「もし」「たられば」はNGと言いますが、サッコ・ディ・ローマがなかったローマの姿、見たかったなと思います。
中世の街並みとバロック建築が混在し、教会にはベルニーニやカラヴァッジョなどの作品もある傍ら、ルネサンスの祭壇画や彫刻も溢れている。
博物館、美術館には絵画、彫刻はもちろん、フィレンツェ並みに金銀細工品も溢れるように展示されている、など。
想像するのは自由ですから。
そんなことを考えながら訪れていたのは、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂です。
こちらはローマを代表する大聖堂の一つで、テルミニ駅からも近く、お薦めです。また博物館や、地下遺構のツアーもあるようですね。
私は残念ながら、足を運べませんでしたが、代わりにちょうど鐘が鳴る時間だったようで、帰りがけ、心地よい音を聞くことが出来ました。
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