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#日記

2021年にする6つのこと

2021年にする6つのこと

2020年をひとことで例えるなら、「いちごの乗っていないショートケーキ」。

いちばん楽しみにしているものがないと分かりながら、食べ切っても満足感がないと諦めながら、ケーキをくるくる回したり、美味しい紅茶をいれてみたりしながら過ごしました。

毎日にこにこしながら中指をたてて過ごす生活でしたが、2021年は最悪の事態になって迎えるのが初めてではない分、まだましな年になると思っています。本当に、やん

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” 上手く生きられない ”っていうのが ” 生きてる ”ってことだ

” 上手く生きられない ”っていうのが ” 生きてる ”ってことだ

人間向いてないなぁと思うことが何度もあるので、前世は猫だったのかもしれない。

大晦日に何言ってんの?って思われるかもしれませんね。

でも大晦日だからこそ、したい話があります。

人間向いてそうな人って、多分前世も人間だったと思うんですよね。
一度人間を経験してるからなのか、なんかこう、要領が良いというか。

そういう人いるじゃないですか。集団の場にすぐ馴染めたり、仕事を効率よくこなしたり、

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否定するということ|「ということ。」第24回

否定するということ|「ということ。」第24回

近頃、大変うんざりしていることがある。他人、とりわけ私のことをよく知りもしない年配に、否定されることだ。「葉さん、海外行ったことないでしょう」だとか「葉さんが分かっていないだけで、これは普通だよ」だとか。ああ、もう、心底うんざりする。はたして、人は歳をとれば勝手にものを知り、えらくなれる生き物だっただろうか。

我が家では、「罪を悪んで人を悪まず」の教えだった。これは、単に人の言動における善悪の話

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世界がひらける言葉の話

世界がひらける言葉の話

中島みゆきさんの歌に、こういう歌詞がある。

『失えばそのぶんの、何か恵みがあるのかと、つい思う期待のあさましさ』

はじめて聴いたとき、わたしは心の中で膝をちいさくかかえるようにして過ごしていた。「あのときこうしていれば何か違ったのか」「そもそもわたしの道は全て間違えていたのだろうか」なんて思考をぐるぐる回して、半ばふてくされながら世界を恨めしい目で見つめ、実家の近くにある川をよく眺めていた。ま

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矢印はどこへ

矢印はどこへ

自動ドアが開くと、静かに雨が降っていた。

夜勤明けの朝。夜の暗さに慣れたせいで、天気が悪くても外の世界はまぶしい。短く息を吐いて、「やっと出てこれた」と思う。長い長い夜勤だった。社会人一年目の私は緊張しっぱなしで、仮眠時間もろくに眠れず朝を迎えた。

傘は持っていなかったが、小雨だったためそのままバス停に並ぶ。なんかもう、濡れたってどうでもいい気分だ。夜中の長時間勤務で疲れ切った体は重く、眠れて

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ドレミの日記_20190320.zip

10:27。貴重な遅起きできる休みだーーと思って目覚ましをかけずに寝たらしっかり寝坊する。12:00に恵比寿。電車でおそらく30分。

洗濯したかったんだよな〜〜と悔しい気持ちを金平糖くらいの大きさにぎゅっと.zipに圧縮する。夜、忘れずに解凍しよう。

11:12。割と急がなきゃいけない。急がねば。はやくはやく!自分の所動の遅さに脳が慌てる。食べるのも動くのも、自分がイメージしているよりいつも遅

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SNSで死なないで

SNSで死なないで

中学生がヒッチハイクでアメリカ横断を試みて、ツイッター上でちょっとした騒ぎになっていた。ふつうに常識があればありえないほど危険な話だし、そもそも本人のツイッターやInstagramの投稿を遡るとまるで勇気と無謀を履き違えていて、どうしてこんな歪んだ認識をするに至ってしまったのか…とうろたえてしまう。

彼が正しいとか間違っているとか、それは一旦置いておいて(彼がしていることは間違っていると思うのだ

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運命論があるならば

運命論があるならば

運命の赤い糸が小指に結ばれていて、つたっていけばいつかその人に出会える。そんな迷信はどこで知ったのだろう。

運命とは往々にしてあらかじめ決められていることを指す。もちろん、大人になると大抵のことは「結果」にすぎないこともよくわかる。

でも何かに迷った時に「運命」は「これは決まっていたことだから」と自分を納得させる強制力を持つ。起こるべくして起きた「必然」よりも、「運命」はもっと強く人生に作用す

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3.11を忘れる

被災していない人なんて、いない。

映画のような、街を津波が飲み込む光景。壊れたラジオのように毎回流れる同じCM。

余震がある度緊迫したスタジオに切り替わる画面、アナウンサーと点滅した日本地図。

同じ揺れを体感していなくても、誰もが7年前のあの日の鬱屈した日々を忘れることはない。東北に限らず、日本国民全員が被災者になった日だったと思う。

7年前の今日、わたしは茨城の実家にいた。現役で志望大学

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