3.11を忘れる
被災していない人なんて、いない。
映画のような、街を津波が飲み込む光景。壊れたラジオのように毎回流れる同じCM。
余震がある度緊迫したスタジオに切り替わる画面、アナウンサーと点滅した日本地図。
同じ揺れを体感していなくても、誰もが7年前のあの日の鬱屈した日々を忘れることはない。東北に限らず、日本国民全員が被災者になった日だったと思う。
7年前の今日、わたしは茨城の実家にいた。現役で志望大学に合格できず、ふてくされていた時期だった。
かなり揺れた。電気も止まったし、ガスや水道も一時は止まったかもしれない。
だけど、正直もうよく覚えてない。
思い出す必要があるのかどうかも、分からない。
ただ、地震に対する恐怖よりも、あの日を境に家族の歪みがますます大きくなったことの方がはっきりと覚えている。
震災を忘れるな、風化させるな、とメディアは声を大きくして語りかけ続けるかもしれない。
語り継ぐことは、大切なのかもしれない。
それでも、忘れることが復興だと言ったら、不謹慎だろうか。
364日はあの日のことを思い、今日だけは7年前の3月11日を思い出したくないと思っている人も、きっといる。
忘れたいことほど、簡単には忘れられない。
*
7年前の今日から約5ヶ月後、高校の同級生が亡くなった。
2年生の頃に同じグループで過ごしたけれど、クラスが変わってから一度廊下ですれ違い、挨拶程度の会話をしたのが最後だった。
棺に収まるその子の顔はまだ魂が抜けていなくて、寝ているみたいだった。
「化粧してるの、初めて見たね」と同じグループだった友人がぽつりと言って、7月なのに少しひんやりした風が通って、全部が夢みたいだなと思った。
それから毎日、忘れちゃいけない、と自分に呪いをかけた。
寝る前に、朝歯を磨く時に、予備校でたくさんの人とすれ違う度に、その子の最後の顔を思い出した。
忘れちゃいけない、忘れちゃいけない、と。
だけど、とうとう泣き方も分からず受験勉強も手につかなくなり、中学時代の恩師に助けを求めに行った。
先生は、顔を見るなり泣き出すわたしに生徒だった時と変わらない様子で話し出すのを待ってくれた。
「忘れたくないって、そりゃ忘れられるわけねぇよ。忘れられるわけない」
時間が経って、今の悲しい気持ちが薄らいでしまうことの罪悪感に耐えられなかった。その子のことを忘れてしまうのが怖かった。忘れちゃいけないと思った。
でも、ほんとうは忘れられるはずがなかった。
忘れたいと思うような辛いことほど、忘れるなんてできなかった。
一番良くないのは、忘れちゃいけないと自分自身を脅して、呪いをかけて、前に進めないように縛り上げてしまうことだった。
7年経っても、わたしはあの夏のあの日を忘れられないままでいる。
それだけでも過去の自分に伝えられたら、どんなに良かっただろう。
*
あれだけの揺れを体感しても、幸い震災で身近な人を失くすことはなかった。
だけどその5ヶ月後、数十キロ離れた地から届いた静かな訃報に、足元が崩れていくような感覚に襲われた。
物理的な距離と心理的な距離は必ずしも比例しない。
日本で起きた出来事だからといって日本国民全員に忘れるな、風化させるな、と同じ痛みを擦りつけるような行為は、何だか悲しい。
7年前の今日の記憶が日常の中に溶け込んでいっても、責める社会であってほしくない。
わたし自身、どういう立ち位置で震災を受け止めていいのか未だに分からないけれど、無理やり毎年3月11日を悲しい記憶で綴じてしまうのはもったいないと思う。
未来の3月11日は自分にとって特別な日かもしれない。
幸せな日になるかもしれない。
忘れることなんてできないから、
もう「忘れるな」なんて言わなくていい。