たっきょ

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最近の記事

【珍しく】ハタヨーガのかな〜り重要な話【特に】

昨日のオンラインワークショップには(やったのよそういうの)、裏テーマとして「空」というのがあった。あの仏教の「空」ね。 世界にはそれそのものだけで確かに存在しているものは何ひとつなく、全ては他との関係性の中で約束事や錯覚やフィクションとして成立しているだけで、それに気づいてしまえばこの世界に執着すべきものも成さねばならないものも失ってはならないものも(自分自身を含めて)何ひとつないので、それはそれは楽になれるよ、みたいなやつ。 よく「ハタヨガは大乗仏教の影響を受けている」

    • ヨーガスートラ講座のご案内でございます

      俺の頭の中ではヨガ界のオジキ連、すなわちナーガアルジュナ、シャンカラ、パタンジャリ、パドマサンバヴァ、ツォンカパ、ゴーラクシャがヤクザの新年会よろしく胡蝶蘭に囲まれた座敷で常にふんぞり返って睨みを効かせている。 先日もシャンカラ叔父貴が 「ちゃうねん!気づきとかどうでもええねん!その気づいてるのがどこの誰やっちゅう話や!」とか、ゴーラク叔父貴が 「おんどれ、ワシの師匠のシグネチャーアーサナねじるポーズちゃうで!ワシらの流派で体といったら背骨だけであとはオマケや!背骨がね

      •  ヴェイユとバガヴァッドギーター〜手遅れなものを追認するための思想

        少し前にある本を読んでいたら、筆者がシモーヌ・ヴェイユとの出会いを 「哲学というものに触れてみたいと思った時に、少女の面影のあるこの人物に近づいてみたいと思った」 と語っていた。 ああ、やっぱり俺と同じじゃん。 俺は別にヴェイユから哲学に入ったわけでもないけど、信仰とか孤独とか恩寵とか重力とか、そのようなヴェイユお得意のタームに興味があったわけではなく、命短く死んだ文学少女(のイメージ)がどんなことを考えていたのか、あらゆる言葉、あらゆる行動が夭折フラグそのものだった人

        • RYT200へのお誘い

          この夏から始まる一連の講座、第一弾は全米ヨガアライアンス究極のRYT200のこれ。 https://tokyo-yoga.com/discount/KISHIKAWA200?redirect=%2Fproducts%2F20240507001 岸川卓巨の担当する講座、やろうと考えている内容を説明しておくと、メニュー的にはよくあるヨガの入門書、あれに書かれているお馴染みの基本的ないくつかの動きといくつかのプラーナヤーマをやるだけ。 具体的にメニューのさわりの部分だけ書くと

          T.C.RバガヴァッドギーターR.S

          川崎のツッパリ、哲太はかねてよりの抗争相手、名古屋の『阿頼尽』との決戦の場に向かうため、横浜の先輩の翔さんのケツに乗せてもらって多摩川の原っぱに向かっていた。 さきがけて翔さんは 「助っ人にオレひとりかオレの舎弟300人、どっちか選べ」 と言ってきた。 哲太は 「これは、300人よりも翔さんひとりっスよ、とか言わないとダメなやつじゃん。めんどくせえ」 と思いつつ「翔さんに来てほしいっス」と答えた。 現地に着いた哲太は、相手方に中学の時のツレや先輩がいるのを見て膝を落

          T.C.RバガヴァッドギーターR.S

          往復運動と円環運動

          今日は冬至だそうな。 天体的には冬の折り返し地点だが、人間の感覚としては 「え、もう折り返し?冬の本番はまだこれからだよね?」 ってな感じで体感とズレがある。 このズレのお陰で、季節は 『暑い⇔寒い』 の往復運動でなく円環のような 「巡るもの」 として感じられる。 そんな訳で、ヨガの呼吸法にもこれと同じように呼吸を『往復運動』から『円環運動』に変換するテクニックがある。 これはプラーナヤーマのワークショップをやる時にいつも解説しているけど、不思議な事にこれ

          往復運動と円環運動

          アライメント?

          インドのエラい人が 「革の靴を履けば世界中が革で覆われる」 と言った。要するに世界のどこに行こうとも踏んでいるのは自分の靴の底でしかないくらいの意味だ。 ウチの師匠はヨガとは先ず 「掛けてる色付きのメガネを外して裸眼で世界を見ること」 から始まると言っていた。もちろんこれも比喩の話ね。 ハタ(ヨガ)というのはそのような「革の靴」や「色メガネ」を二元性に集約して、その思考回路を具体的に構造としてイメージして、その二元をお互いにぶつけて対消滅させるという戦略を骨子とし

          アライメント?

          地水火風空の「空」って何?

          インド哲学における五大元素は 地 水 火 風 空 なんだけど、紛らわしいのは4つめの「風」と5つめの「空」 外国人のワークショップに出たりすると、たまにこの「風」をwindと訳し「空」をairと訳していたりする。そうすると、風と空気でその違いは動いているかいないかみたいな話になって、元素の話としてイマイチわからなくなる。手っ取り早く答えをいうならここでは「風」がairで「空」をspace とするのが正解だ。 ところがこの訳し方でも、「空気/真空」のイメージでspace

          地水火風空の「空」って何?

          魔術的呪術的神話的ヨーガを如何に現代的に解釈し直すか?(プラーナの説明の加筆あり)

          先日の続きとして、さらに魔術や呪術としてのヨーガの具体的な説明を試みる。以下の文章は相当に長いが、ここ数年でヨガについて書いたもののうちでも相当に本質的というか大事な内容になっている。最近色々書いていたものも、ここに書いたものに比べれば全て「余談」と言ってもいいくらいだ。だが内容は相当にマニアックで、この情報を必要とする人もほんとうに限られるだろう。それでも、ヨガの成り立ちというか原型を知る上で最重要なテーマで、しかも余談にもかなり大事な事を書いている。ちょっとでもヨガに関わ

          魔術的呪術的神話的ヨーガを如何に現代的に解釈し直すか?(プラーナの説明の加筆あり)

          インドのヨガと日本のヨガ

          先日のヨガの話を補足しておくと(Facebookやインスタの話なので失礼)、俺が学んだヨガが魔術や呪術に近いというのは、それらがマントラ(呪文)やムドラー(印法)、ヤントラ(図形)あるいはヒンドゥーの神のイコンを使用した儀式として行う技法という事なのだが、これらはインド人にとってのドメスティックなもので、これを言語も文化も世界観や宗教の全く違う日本人がそのまま行なっても当然ながらインド人と同じ効果は望めない。 例えば ASAT MA SAT GAMAYA という代表的な呪文が

          インドのヨガと日本のヨガ

          7月17日のヨガワークショップ

          明後日17日、16時30分からワークショップの後半です。 今回は瞑想・・瞑想というか、バンダやムドラーを補助にしたイメージングテクニックですね。そもそもハタヨーガ自体が本来は身体を補助にしたイメージングテクニックなので、そこからさらに一本進んだ場所、よくインドの年取って肥えたヨーガ行者が言う 「進んでくるともはやポーズなんか必要なくなるからだ」 ってアレですよ。 もちろん今 「ポーズなんか別に要らないんだよ」 なんて言うつもりはありませんが、ポーズ取る事がヨガの中心

          7月17日のヨガワークショップ

          6月11日、ハタヨーガ2番勝負その1@横浜

          6月11日と7月17日の16:30〜19:30 横浜の某所で久しぶりのヨガワークショップをやります。 今度のワークショップで扱う呼吸法は主に4つ。3つの高速呼吸とアヌローマヴィローマ。完全呼吸法は2回目にまわし、ウジャイは呼吸法とプラーナヤーマの分岐を確かめる重要な呼吸法ではあるけど、それはアヌローマヴィローマの5段階のステップにも組み込まれているのでその分岐に関してはそこで解説する。 アヌローマヴィローマにはプラーナヤーマの全てがあると云っても過言ではなくて、けっきょくの

          6月11日、ハタヨーガ2番勝負その1@横浜

          ヨガにおいて呼吸と動きを一致させるということ

          『呼吸と動きを一致させる事が大切』 なんて言うヨガインストラクターは多いが、何故一致させる事が大切なのかをちゃんと語れる人間はほんとに誰もいない。 あれは、呼吸と身体の動きを一致させていくと、「身体はプラーナのふくろ」という意識や感覚が育っていって、骨と肉の「つくり」が身体意識を縛り上げてる条件を解除できるからなのだ。 にもかかわらず、せっかく肉体内の関節やら可動域やら構成物の意識を消してヨガ的身体観に置き換える基本行法を行っているのに、多くの指導者はわざわざそこに解剖

          ヨガにおいて呼吸と動きを一致させるということ

          ロックンロールの自殺者

          昔インドで勉強してた頃、俺の師匠がインストラクターとティーチャーの違いみたいな事を話した事があった。 インストラクターは、自分の立ち位置や経験に関係なくシステムとしてのヨガのテクニックを教えるだけの存在だが、ティーチャーは自分が歩いて経験して来た道を、ほんの少し先から 「自分もこの道を来たんだ。だから安心して、信頼して、付いて来てくれ」 と云う存在だと。 だから、ティーチャーは正しい道を歩まなければらならない。そして君は、インストラクターではなくヨガティーチャーになり

          ロックンロールの自殺者

          ヨーガスートラでおなじみの3つのグナについて

          3つのグナとは「ラジャス(激質)・タマス(暗質)・サットヴァ(静質)(※カッコ内の漢字はあくまで参考。以下に出てくる漢字も同様。こういう字面のイメージに囚われると誤解する)」のことで、これらはいわゆる3すくみや正三角形のように3つそれぞれが対等な極として存在する関係ではない。そこがややこしいところだ。 これら3つの要素の関係は、 「2つの対立関係とそれらを媒介したり包括する1つ」 つまり2:1の関係が合計で3種類あるということになる。 詳しく見ていこう。 精神領域で

          ヨーガスートラでおなじみの3つのグナについて

          ビンヤサヨガ

          ちょっと思うことあり、現代ヨガの代表格?でもあるビンヤサヨガについて書いてみる。 俺がいつもハタ・ヨーガと題してやっているヨガセッションでは、5時間あったらそのうちの4時間近くをかけて、最後の数十分でやる3つのムドラーという行法(といっても見た目だけでは初心者がやるような簡単なアーサナでしかない)をやるための身体のモードを作っていく。つまり8割がたの時間が、たった3つのポーズのためだけの準備に充てられるのだ。 こういう何かの行法に対する身体の準備の事をヨガでは「ニヤーサ」

          ビンヤサヨガ