アライメント?
インドのエラい人が
「革の靴を履けば世界中が革で覆われる」
と言った。要するに世界のどこに行こうとも踏んでいるのは自分の靴の底でしかないくらいの意味だ。
ウチの師匠はヨガとは先ず
「掛けてる色付きのメガネを外して裸眼で世界を見ること」
から始まると言っていた。もちろんこれも比喩の話ね。
ハタ(ヨガ)というのはそのような「革の靴」や「色メガネ」を二元性に集約して、その思考回路を具体的に構造としてイメージして、その二元をお互いにぶつけて対消滅させるという戦略を骨子として、そこから様々な技法が展開している。
だけどそのぶつけるとか対消滅云々は内的な作業なので外から見るとわからない。実際そこはゴーラクナーティスの秘伝的な部分で、そこで外見だけから「アライメントが大事」とか、ちょっとズレた話が出てきてまるでそれが本質のように語られちゃったりする。
敢えてそのアライメントとやらで話をするなら、対概念(左右でも上下でもいいよもう)はお互いが寄りかかっているからバランスや静止が成立している。その時左右の力はゼロだ。アーサナも、トランプやマッチ棒をお互いに寄りかからせる(金八の云う‘人’のイメージ)くらいの繊細さでやればいいんじゃない。
ちなみに俺がアシュタンガをやってた時期にずっと意識していたのは、マットの中心に縦に薄っすいガラスの板が立っていて、それを二分割した自分の身体が挟んでいて、その薄いガラスを絶対に割らないように身体を動かすってこと。あまりの精神的負担で途中で気持ち悪くなってくるぜ。
後は、50分くらいは絶対に瞬きをしない事。そのくらい目を開けてられないで、バハイエドリスティ(開眼集中)なんて出来るわけねえじゃん。
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