ヨーガスートラでおなじみの3つのグナについて
3つのグナとは「ラジャス(激質)・タマス(暗質)・サットヴァ(静質)(※カッコ内の漢字はあくまで参考。以下に出てくる漢字も同様。こういう字面のイメージに囚われると誤解する)」のことで、これらはいわゆる3すくみや正三角形のように3つそれぞれが対等な極として存在する関係ではない。そこがややこしいところだ。
これら3つの要素の関係は、
「2つの対立関係とそれらを媒介したり包括する1つ」
つまり2:1の関係が合計で3種類あるということになる。
詳しく見ていこう。
精神領域では、静的な原理であるサットヴァと情緒・情動の原理であるラジャスが対立し、タマスはそれらを否定する。
物質領域では、純粋・新鮮な原理であるサットヴァと腐敗・停滞の原理であるタマスが対立し、ラジャスが動力因や力能としてそれらを媒介する。
智慧の領域においては、ラジャスとタマスを2つの極として、サットヴァがそれらを観照する。
さらに詳しく解説する。
精神領域においては、心は乱れたり落ち着いたりと揺れ動くが、この一方の「落ち着き」であってもそれは心の揺れ幅の一方の極でしかなく、いわゆる「心の作用の止滅」ではない。それらを裏返してバランスの必要な極を消滅させる原理をここにおいて「タマス」と呼ぶ。
物質領域においては、モノの変化を起こさせる原理を「ラジャス」と呼ぶ。植物や動物が成長していく変化、死んで腐敗していく変化、食べ物の発酵、つまりサットヴァとタマスの二極間の往来、これらを説明する原理が「ラジャス」。したがって物質領域においてバランスを取るには、このラジャスが必要ということ(物質領域では極の消滅はない)。サットヴァもタマスも結果としてある状態であって、それ自体では変化すなわちバランスポイントに向かって動くことも出来ない。その状態を変化させる原理をラジャスと呼ぶ。
智慧の段階では、森羅万象を動と止の二極と捉え、そこから真の自己を引き剥がし関わりを断つ、その時それらの非一元の世界を眺めるモニターあるいは透明な窓を「サットヴァ」と呼ぶ。このサットヴァが精神原理と物質原理の媒介になっているので、それを分離するにもサットヴァが必要になる。
要するに、ヨーガスートラ的な目的を達する為には、ラジャスもタマスもサットヴァも必要だってこと。
よく、「サットヴァが一番エラくて、次がラジャスでタマス最悪」みたいに3グナに序列をつけて説明するヨガの人がいるけど、それこそまさしく文字通り
「3つのグナのバランスが崩壊している」
状態のものの見方だからね。
さて、なんでいきなりこんな話を書いたのかというと、この3グナの(2:1)×3という構図をテーマにしたヨガが出来ないかなと思ってね。
先日のインドで師匠が日替わりで色んなテーマのヨガをやってたみたいに。
もっともこれで「ナントカヨガ」みたいなヨガの一流派を立ち上げようなんて思ってはいない。
このようなインド思想の数理モデル(トリなんとかとかパンチャなんとかみたいなやつよ)を取り入れた5コーシャ(これは俺も師匠もたまにやってるけど)とか5エレメンツみたいなヨガはよくあるが、俺のこの3グナのアイデアも含め、こんなものは日替わりメニューのひとつ程度のものであって、わざわざ大袈裟に一流派名乗るほどのもんでもない。