スッタモンダヴォーズ 災いの観念は勘弁
『やれやれ。また判断しておる。心地良くない観念など手放せばラクになるのに。それとも自分自身を赦せていないのか。現世に生きているがゆえ』
〈愛だけを、つまり本当の自己だけを観続けることができていない証〉
「へ?」
『真理には判断する者はいない。花子が魂でも聖心でも空でも何でもよいが、それらは思考しないということだ。現実世界とはまったく関係ないところにあるソレは完全充足し唯一無二。ソレはすべてを照らすことしかせぬ。よくよく考えてもいい。花子のいう魂とは思考の産物ではないだろうか。それは幻想世界にほかならない。つまり、花子の内側にあるホントの太陽はまだ顕れていない!』
「ハ!・・私はまだ真理を知らない??」
〈まだ自己認識できていない段階ですから仕方のない事とも云えますが〉
『何も起きていない、で止まるな。自己がすべては愛であることを腑落ちできていないのなら。花子はまだ人間とは何かを、つまりまだ心を超えていない。一瞥体験でぬか喜びせず、次の段階へ。というところだろう。如来やシヴァとまだひとつになれていないのなら人間は現状に留まらず、次の段階へ進まねばならない。ひとつに。それがイエスの願いでもある』
『言っておくが、観念は本当のあなたではないぞ🎵』
「思考、感情、想念、観念、精神、身体。それらは私じゃないってことね」
〈不要な観念を解除すれば見たこともない景色が花子さんの前に顕れます。感じたことなきエネルギーを感じます。すべてがジブンだった。どうぞ、その至福の領域へ♡〉
ある御方には執着か、手放しか。またある御方には執着か、赦しか。とも云えます。どちらでも。どのように生きても自由💚
夢を追いかけてもよし。
縛っていた自分を解放してもよし。
ただ、ここでは花子は解放へ向かいますので、原初からあった真理へ戻ります。
人間本来の姿へ。
人間のある意味。
理では、人間とは何かを知るためにある。即ち、神を知るために人生はあります。愛を知るために人生はあります。そのための観念解放であり、現世。あなたの内側が外側に顕れる鏡の世。本当のジブンではないものを掴んでいますよ、と。実相では、あなたの為にならないことは起きない。
この”神を知るためのヒト”という理を理解していないと、ここでの花子の物語、つまりあなたの物語はまったく意味のない物語となるかもしれません。とはいえ、深く考え込む必要はございません。考えないところに本当のあなたはいるのですから。まさに愛と奇跡の冗談です🤣
You must unlearn what you have learned.
先入観に惑わされ、固定観念で物事を捉えては新しいことを学ぶことはできません。ゆえに、聖人や成熟した者は観念を手放すことの重要さを説いてます。それは過去を棄てると同じ。過去は幻想ですから今には存在しません。
人間はその人生においていつでもいつからでも自由に描けます。つまり、今ここからあなたは真っ新な在り方♡
では、よろしいでしょうか。
あらゆる宗教でもスピリチュアルでもなく人間そのもののオハナシです。それでもすべては人間を知るために起きております👏あなたが真に目覚めれば、生命のそれであるひとつながりにも気づかれましょう。身体はあなたではないけども、地球の細胞であり、中心力に生かされていることにも気づく。真の健康体。ノーストレス。自然免疫も極まります👍✨
ワンネス。赦し。至福。平和。
何も起きてなくすべては愛。
真理において、すべては赦されてます。なぜなら、本当のあなたは生まれても死んでもいないのですから。時間も空間も次元もございません。
「聖人さんたちとひとつ。同じ域へ・・👀✨」
〈花子さんのはやるお気持ちはよく理解ります。それでも在るに留まることをせず、幻想世界へ戻るならまた苦しむことに。いくらあなたが魂が~、心が~と言ったところで、それは思考です。頭の中です。それらはあなたではなく、本当のあなたは何かを求めている者ではありません〉
『全イチの域では、全と個が逆のままを”在るがまま”という。全イチに成りきらねば、世界の完全完璧さを知ったとは云えぬ。自我が残っているなら、まだ完全なる解脱を成し遂げていない。また、本当のあなたは”私”とは言わない』
「あ・・。そ、そうだわ。外側に世界があるのではなく、私がいない領域・・ってことね。最初から人間とはすべて」
〈もちろん、在るでなくとも問題はどこにもありません。しかしせっかく一瞥体験という知識を得ながら、また幻想世界で苦しむ必要はありません。あなたが本当に求めているもの。それは求めなくとも完璧にやってきます。逆に求めてしまうと”無い現実”がやってくる〉
『花子はまだ無意識に答え合わせをしておる。ひとりきりの世界で一体誰と答え合わせをしているのか。ひとりきりの世界で問題などどこにあるのか。フン。まったく冗談にも程がある。モーホー、もっと内観するといい。気合を入れてやるのが瞑想ではないぞ。瞑想は日常と共にある』
「さ、さらに内観を・・?」
〈言い換えると、あなたは一体何者なのか?という段階です。聖人、神、天使、高次などと呼ばれるそれらをいつまでも外側に置いていては自己を知ったまま在れません。それでは本当の平和や本当の自由でなく、まだプログラムの思考、つまり自分自身に束縛されたまま〉
『花子は人間か。それとも、なんでもない者か。または、神の子か。誰であれ選択は自由だ』
〈自己が何者であるかを知ってから、知識を介さず伝える。または知識で伝える。それが花子さんの求めていた心地良さでしょう。中心が現れ、誰もが洗われる表現。言葉でなく、言のまま世界へ顕してください〉
「思考を通さず!?」
『一過性のものに捕われ、体調まで崩していては神の子とは呼べぬであろう。全体の一部を切り取って決めつけている今の花子は幻想そのものであろう。今ここにおいて選ぶがいい。さぁ、花子は何者か?』
〈ソコでは魂という分離の概念すらありません。神や愛や在るという言葉すら消えます。同時に在るとは愛であり至福です。在るとはすべてのすべてです。宇宙そのもの。愛そのもの。原初の状態。そこには本当のあなたしか存在できない。事実、すでにそこにある本当のあなたはすべてを超越して在るのですから。実在と共に〉
May the Vose be with you.
(ヴォーズと共にあらんことを)
May God be with you.
(神と共にあらんことを)
I am That I am Vose.
(私は在る。私は実在である)
花子はいつかの小力子との会話を思い出していた。
〔あら花子。今日はジョニー宿題きちんとしたの?〕
「ダメ。いくら言ってもダメ。まったく言うこと聞きやしないわ💢あー、また担任の先生から怒られるわ。私がよ!もう困ったものよ💧」
〔Hmm. In the end, cowards are those who follow the dark side. (ふーん。結局、ダークサイドに進んだ者は臆病なんだ)〕
「えっ!?い、いま何て言ったの??😨」
〔え?何も言ってないわよ。変な子ね・・。宿題なんてやってもやらなくてもいいのよ。知識なんかより、社会的観念の犠牲になって患ったりヒトを殺めたりするほうがよっぽどコワイわ。抑え込むとトンデモない方向へ爆発するわよ。それにしても、花子は愛も変わらず何を恐れてるのかしらね〕
「恐れてる?私が・・?」
〔子供に完璧さを求めず、自身の完璧さを知りなさい。在るがままに観ることで。ジョニーがダメなんかじゃなく、あなたがジョニーを縛っていることに気づいていないだけよ〕
「私がジョニーを縛ってる・・?」
〔あなたの大好きなスマホの液晶画面にでもなったつもりで自分の顔を見てごらん。そこに広がる世界には何が映ってるかしら?そこに映るあなたは笑ってる?液晶画面のあなたはそうね、我の消えた液晶仮面でもいいわ💚〕
花子は液晶仮面になりきり、
画面側から世界を見てみた。
「・・・・・ハッ!」
〔映るものすべてあなたよ。見えないものも。そこに全愛が観えなければ、在ってみなさい。すべての境界が消え去るまで〕
本当の自分に会えたトキ。あなたは惑星ムチュウに在ることのいとおしさに慈愛の涙を流すだろう。
汝自身を知れ。
世界はあなたの内側にある。
「わかった。わかったわ!私は思考じゃない。私は真我よ!私は宇宙そのもの。私は神の子。私は聖心にいて、すべては愛ってこと💫」
『そうだ。そのように言っているのが思考なのだ』
「❗❗」
〈頭の中で理解してもまったく意味はありません。意味付け、判断してもまったく意味はありません。スケベイダー卿の絵と同じくガラクタです。ソレがソレを認識するまで在ってください。己の完全さを認識してまた世界で遊んでください。遊び方もまた理解るでしょう〉
『観念を手放せば災いは消える。不要な学びも起きなくなる。自己を認識すれば問題はすべて解決する。さて、ガラクタ絵をもひとつ置いておこう🎨』
〈スケベイダー卿。残念ながら文字数が増えすぎました💦次回ラストでのガラクタ絵掲示となりそうです🧔👏〉
『あ、そう😰・・。仕方ない。すべては決まっていたことだ👍』