論語に学ぶ部下との接し方
リーダーの立場にある皆さんは部下の方に対して日頃どんな態度で接しているでしょうか。今回は論語を紐解きながら部下との接し方について考えてみて頂きたいと思います。
・優しくニコニコしながら話を聞くようにしている
・威厳を保ちたいためにあえて威圧的に話すようにしている
・デキる上司と思われたくて、ロジカルな会話を心がけている
・自分の言うことが正解だと信じて、部下の話も聞かずに結論だけ言うようにしている
・部下はどうせ下らないことしか言わないと思ってぞんざいな態度で接している
人によって考え方は異なるでしょうし、その時の状況次第で異なる場合もあるかもしれません。
どんな接し方が正解かは一概には言えませんが、もし部下との関係性がうまくいっていないと感じているようなら、今回ご紹介する論語の一節が役に立つと思います。
論語が説く九思とは
自分のバイアスに注意を払うこと
君子九思に書いてあることを簡単に言うと、他人や物事に対する受け止め方です。平穏な表現で書かれていますが、人間関係を円滑にするコツが凝縮されていて、とりわけ、強調されているのは自分が持っている価値観、バイアスに関することです。
●視るは明(めい)を思い、聴くは聡(そう)を思う
額面通りに受け止めるならしっかりと物事を見る、しっかりと聴くことです。「聡明」という言葉があるように、それ自体は物事を正確に早く理解ができ、判断力に優れた賢い様子のことを意味します。
ただ、論語で述べていることはより深くて、明という漢字は古くは「窓から月を見る」という意味を持っていて、「窓」という自分が持っている価値観を通して自分がどのように物事を受け止めているかということに気づくことが大事だと言っています。
当たり前ですが、人は自身の経験、知識、育った環境によってそれぞれに価値観を持っています。物事や他人に対して虚心坦懐で臨もうとしても無意識に自分の価値観に基づいて、つい、それは良い、悪いと判断をしてしまうものです。
部下という自分とは異なる価値観を持った存在に接する時、一旦は自分の考えは脇に置いて、部下の言うことに耳を傾けようと思っていても自分の意見を受け入れさせようとしていることになかなか気づけないものです。
自分の持っている「窓」という価値観を通して物事や他人を偏見や先入観で見ていないかと論語では注意を促しています。
●色は温を思い、貌(かたち)は恭を思う
これは少し解説が必要かもしれません。色とは顔色、つまり表情を指し、貌とは態度のことを表しています。そして恭とは恭しいことで、言い換えれば相手を尊重するという意味です。要するに、「穏やかな表情で相手を尊重する態度」ということです。
部下を自分より格下の存在だと思って、尊重ではなく尊大に振舞えば相手である部下は萎縮したり、反発します。そういう態度では相手は自分を信頼したり、心を開くことはないでしょう。
相手が思わしくない反応を見せたら、穏やかさと相手を尊重することが足りなかったのかと自分を振り返り、自分はどんな状況になると温と恭でなかったのかを振り返ってみなさいと論語は言っているのです。
●言は忠を思い、事は敬を思う
また難解な言葉の登場です。言は話すこと、忠は心の真ん中という意味です。人によって心の中心に置いている価値観はさまざまかもしれませんが、
心の真ん中に持つものは誠実さであると論語は説いています。
自分の成功体験に酔って自分の考えこそが正しいと思い込んだり、斜に構えて下らないと一蹴するのではやはり相手は萎縮したり、反発します。
そして、事は何かを行うこと、敬は敬虔さを表しています。敬虔さというと深い愛情や忠誠心という意味が一般的ですが、ここでは心を静めて対象としっかり向き合うという意味で解釈されます。
要約すると、話す時には誠実であること、何かをする時に対象としっかり向き合うという意味で、部下との関わりにおいては、そのままの意味になります。
●疑わしきは問うを思い、忿り(いかり)には難を思う
本節において最も大切な教えかもしれません。疑わしきは問うとは、わからないことがあれば質問をしなさいという意味ですが、さらに言えば、なるべく多くの人からいろんなことを聞くのが望ましいのだという意味を含んでいます。
私たちは疑念を抱いた時に自分に近しい人の意見ばかりに耳を傾けてしまうものですが、異なる立場の人の意見を聞いてみると当初思っていたのとまるで違う印象を受けることがあります。
例えば、自分にとっては指示や命令を聞かない問題のある部下だと思っていたところ、一方では周囲に対する気配りのできる良い評判が多いということもあります。これも自分の「窓」や接する際の態度や言動が原因で部下の反発を買い、その部下の本当の姿を見ていないことに気づく場合もあります。
忿り(いかり)には難を思うは、怒りに任せて怒鳴ったりすればどんな問題が生じるかを想像することで、もう少し踏み込むと、相手が怒っている場合においてもその相手が怒っている背景には何があるのかを想像せよという意味も含んでいます。
昨今ではパワハラ問題が取り上げられることも多いので、怒鳴るという行為自体は減っているかもしれませんが、相変わらずそうした行為が常態化している職場というも多いのが実態ではないでしょうか。
声を荒げたりすると、職場の雰囲気を悪くさせ、離職者を増やし、場合によっては訴訟などもありますし、愛情をもってあえて厳しく接しているのだと考えていても相手はその気持ちには気づくことはなく、恨みや反発に繋がるだけです。
相手が怒っている場合のその背景を想像するというのも大切な要素です。例えばコンビニで態度が悪い従業員がいたとしましょう。自分は普通にしているつもりでも、その従業員が何に対して怒っているかを想像すると対人能力の幅が広がります。
ワンオペで限界を超えていて気持ちの余裕がない、忙しいのに面倒くさいことをお願いしてしまった、想像の域かもしれませんが、大変なんだなと思うと怒りではなく、冷静に相手を見ることができます。
部下の態度が気に入らないと感じる時、家族と喧嘩して機嫌が悪いのかもしれない、自分の言い方が悪かったのかもしれないと一歩引いて考えてみると無用な怒りを抑えることができるのではないでしょうか。
●得るを見ては義を思う
何かを得る場合にそれが正しいことなのかどうかを考えるという意味です。組織で働いていれば、昇進、昇給と自分の評価が高まるのは嬉しいことでしょう。ただ、それが部下の頑張りや成果であった場合に単純に喜べないかもしれません。中には、部下の手柄を取り上げてしまうような人もいます。
論語では不当に得たものに対しては拒否をしろ、他人を陥れて得たものなど何の価値もないと明確に論じています。
部下を率いる立場であれば、部下もその様子を見ています。自分の手柄を取り上げておいて、自分だけいい思いをしようとする人間やそれを良しとする会社に在籍したいとは思いません。
部下を育てよう、信頼関係を築こうと思うのであれば自分が得る対価についても慎重に考えなければならないと説いています。
まとめ
現代的に訳すると以下のような意味になります。
言われてみれば特別なことではないものばかりです。ただ、それができていない人が多いからこそ論語は今も読み継がれている訳で、かくも人というのは当たり前のことを当たり前にできない弱い存在なのだと思います。
部下といい関係性がなかなか築けないと悩まれているとしたら、相手のあら探しをする前に日々の自分の態度、姿勢、言葉を振り返ってみると改善のきっかけが生まれるかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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