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短編小説集: 昔語り : バブル期の日本の片隅で

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バブル期という日本が経済的に盛り上った時代。その時代、日本は海外をどのように見ていたのでしょうか。アメリカ礼賛が讃えられ、英語学習が未曽有のブームになったバブルの最後の数年間の事…
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記事一覧

短編小説:バブル期の海外:留学挑戦と他力本願

短編小説:バブル期の海外:留学挑戦と他力本願

「ね~。稲葉さん。南オーストラリア大学には行かないんですかあ~」

また始まった。
 
交換留学の面接を一か月後に控えた今頃になっても、サークルの後輩の茂木若菜は私がどこの大学の留学試験を受けるかを訊ねてくる。漏れ聞こえてくる情報では、茂木は私と同じ大学に留学で行きたがっているという。
 
「違うよー。シドニー大学だよー」
 
私は答えた。
 
「でもお~。留学課では稲葉先輩が南オーストラリア大学

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短編小説:バブル期の日本:帰国子女の間違った処世術

短編小説:バブル期の日本:帰国子女の間違った処世術

私がその子に気が付いたのは、1987年10月に東京の鷲知(しょうち)大学で行われた入試の面接の時だった。

英語学を学ぶその学科には筆記試験と面接があり、筆記試験をパスした私の所には面接の通知が届いた。

5年間イギリスの北西部で中学生と高校生時代を過ごした私は帰国子女枠で入試に臨んだ。言語学を学んで本気で英語と言う言語に正面から向き合いたい。将来は教員免許を取って教師になるか、または翻訳家か通訳

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小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい

小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい

あたしは人に負けない。絶対。

小さなころからあたしはアメリカに憧れてた。

昭和の時代、日本はアメリカの情報で溢れていた。

 

アメリカはやっぱりすごい。

何においてもすべての分野で世界で抜きん出て優れている国。

スケールが日本の何倍も大きくて、自由がある国。

世界一強くて影響力のある国。

豊かで、一流の物が数限りなくある国。

模範にすべき国。

追いつけ、追い越せの国。

素晴ら

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短編小説:バブル期の異国の片隅で

短編小説:バブル期の異国の片隅で

1987年6月の土曜の朝七時。イギリスの6月の朝は明けるのが早い。

もうすでに日は上り,窓を開けると目の前には晴れ上がった空が広がっていた。

慌ただしく朝食を済ませると、私は鞄を持って出かける準備をした。

「美穂、今日は遅くなる?」母が尋ねる。
「ううん、今日は多分寄り道しないから早く帰れると思うよ」
「帰りに牛乳買ってきて」
「じゃあお金ちょうだい」

母は1ポンドのコインを手渡した。

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短編小説 : バブル期の華やかな表と裏

短編小説 : バブル期の華やかな表と裏

「何よあんた!さっさと注ぎなさいよ!」

その女性は血走った眼でカップをこちらに差し出してきた。

面倒くさいお客さんにあたったなあ・・・

その日マネキンのバイトで新商品のビールを販売していた私は、夜になってこのスーパーにやって来た女性客を目の前にして、どのように対処するか考えあぐねていた。

マネキンとは、スーパーや百貨店で試食販売をする仕事の事だ。

新商品のキャンペーンや、特価販売の時に、

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短編小説 :バブル期日本・留学生からの眼差し

短編小説 :バブル期日本・留学生からの眼差し

「Hey, let's ditch this stupid tour! Let's get outa here!おい、皆、こんなもんフケようぜ!さっさと行こう!」
 
またか。
 
大勢の留学生を連れて大学のキャンパスを歩いていた私は、三々五々に散らばっていく留学生たちを眺めてそう思った。
 
その年、交換留学が決まった私は、大学から半強制的なボランティアを命じられていた。
 
曰く、大学に海外か

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短編小説 : バブル期の日本・留学生からの眼差し - 海外編

短編小説 : バブル期の日本・留学生からの眼差し - 海外編

「もしもし」

つたない日本語を喋る人から電話があったのは、留学を目前としたある日の週末だった。

大学四年となると、履修する授業がどんどん少なくなっていく。私の場合は専門の授業がすべて定員割れしてキャンセルとなり、大学に足を延ばすのは週に三回ほどになっていた。

せっかく大学まで行って何もしないよりも、他の学科の授業でこれからの勉強に役に立ちそうなものに単位を取らないという約束で聴講させてもらっ

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短編小説:バブル期の小さなアメリカン・ラプソディ

短編小説:バブル期の小さなアメリカン・ラプソディ

1990年。私は憧れていた東京の大学に進学した。専攻はもちろん英文学。将来は英語教師になることも決めていた。

英語教育に熱心な母と祖母に育てられた私は、幼いころから私立の学校で学び、常に英語と触れる生活をしてきた。

「麗子さん、英語が出来れば将来とても役に立つのよ。アメリカ人の様に英語を話せるようになれば素敵な人になれるし、英語の先生になれば職業として安定して仕事を続けられるのよ。将来は豊かな

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