「私とサッカーボール」で感じたこと伝えたかったこと。
感じたこと、伝えたかったこと
最近はスポーツにおいて”奇跡”を祈ることが、選手に対し失礼なのではないかと思うようになってきた。
奇跡(奇蹟、きせき、英: miracle)は、人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごと。
サッカーのみならず、一流のアスリートが本当に競技中に奇跡を祈っているだろうか?
例えば、サッカーの試合で相手チームの打ったシュートがゴールに入りそうだとして、たまたま飛んできた鳥がボールにぶつかりノーゴールになる。
この場合、主審の裁量でゴール判定もあるかもしれないが、
では、たまたま突風が吹いてきて不自然な軌道を描きゴールポストから逸れてノーゴールになる。
そんな超自然な奇跡。
有神論などを語るつもりはないが、仮に神が居て奇跡を起こせるならば、その起こした奇跡は2チームのうち、どちらかのチームに肩入れをしたということになる。
そんな神の奇跡。
奇跡は何回起きるものだろうか?何度連続で起きるものだろうか?
そんなことは考えずに毎試合奇跡を祈ればいいのだろうか?
かといって、奇跡は本当に起きるのか?なんて論じるつもりもない。
一つだけ思うことは選手は敵に勝つために、また自身に勝つために血の滲むような努力を重ね、ケガをしてもメンタルが壊れそうでも必死に乗り越えて、そうしてピッチに立っている。
奇跡を祈るよりも選手の努力、その軌跡を信じるべきではないだろうか?
選手が努力して努力して手にした勝利を奇跡と呼んでしまっては、選手の努力を無視しているような気がする。
逆に言うと、奇跡を祈るということは心の奥底ではやれることをやった、十分に努力をしたと思っていないのではないだろうか?
繰り返すが、奇跡を祈るよりも選手の努力、その軌跡を信じる方が良いと思うのだ。
なお、自分のことについても奇跡を祈らず、自身の努力の軌跡を信じれるように生きていくのが良いと思う。それが自信にもつながると思う。
私の学び
奇跡を祈るよりも努力。その軌跡を信じる方が良い。
おすすめの本
2大会連続優勝。奇跡にかぎりなく近い「必然」。ほかにも選手とファンとの信頼関係が大事だということを気づかせてくれます。
もう一度読んでみてください
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