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涙の理由

 電車通勤がなくなってから、イヤホンを耳にしなくなった。私はいつもラジオを通勤中に聞いていたのだけれども、イヤホンは耳に悪いし、そもそもベビーカーで子供を連れながらのイヤホンは危なくてしていられない。なのでここ2年ぐらいはずっと、自分の聞こえるレベルの音量でラジオをかけ、流しっぱなしでバッグの中に忍ばせている。近所を歩くときだけだけれども、迷惑だろうか。自分としては、そんなに喧しいラジオを聞いているつもりはないので、迷惑にならない程度にかけていると思っている。それに私は歩くのが早いので、救急車みたいに、すれ違う人は何か音が過ぎ去ったぐらいにしか思わないであろう。とにかく私のラジオの聞き方はこうである。クラッシック番組などは、息子の耳にも届いているだろう。

 NHKの子供科学相談室を聞いていたら(ヘビーリスナー)、

「ご飯を食べると涙が出るのはどうしてですか?」という小学校低学年の女の子の質問が聞こえてきた。

先生は色々と彼女に質問して、色々と検証していたけれど、うーーんと悩んだ結果、

「わっかんないなー」

と一言。結局お手上げで、明確な回答は得られなかった。いつもはなんでも答えてしまう先生であるのに、これはなかなか見られない珍しい一幕であった。

 彼女に起こる事象は私には心当たりはないが、しかしなんとなく気持ちはわかる気がする。

 そんなに琴線に触れているとは思っていなかったのに、話しているとつい網膜が涙で覆われることが私は度々ある。ボロボロ泣くほどでもないが、少し我慢するために力んでいる。そしてなんで私はそんな事我慢しているのだろうと時たまボーッとする。

 たとえば、話していて本当に疲れたーと思って涙がぽろぽろでてしまったり。

 つい先日は友達と能町みね子の「私以外みんな不潔」という本が良かったという話を話しているだけで、涙が下瞼から溢れそうだった。しかもまだ読了していなかった本なのに。友達の前だし、読了もしていないのにそれはいかんいかんって、自分でクッとこらえた。

 私は小学校低学年以下の記憶はほとんど無いのに、この本を読んだら急に自身の幼稚園の頃の記憶が蘇ったのだ。自分の、あの幼稚園でいつも孤独で、いたたまれない気持ちでずっといたこと。すでにませたエロガキ大将に対して、満更でもなさそうにスカートをめくられてきゃーきゃー言う女の子たち。(私もああゆう風にならなきゃいけないのかなって、おろかにも迷ってた)怖かったねずみばあさんの部屋から、園庭の壁の材質、変なピンクの手すりの錆びつき具合、サイズがゆるかったアンパンマンのデザインの上履き、みんな女の子はピンクなのに私だけ青い幼稚園指定のお弁当袋、よく喋る子を贔屓するお化粧の濃い色気丸出しの先生まで。私も喋ってみようと思って、裏声になっちゃうぐらい大きい声で話しかけたのに、あまり相手にされなかったこと。男の先生に(たぶん少し目をひきたくて)母が作ったチョコレートケーキをこっそり持ってきてあげたら、なぜか存外な扱いをされたこと。いきなり卒園2ヶ月前ぐらいに「親友になってあげる」って言ってきた強引な女の子が、その後小学校に入学したら全く関係がなくなったこと。(同じ小学校であったにもかかわらず)

 私はなぜこんなに記憶がなかったのだろう。幼児健忘症というのはある。乳幼児期の学習は未熟で,記憶をうまく固着できない「記銘の失敗」、もしくは記憶の貯蔵に必要とされた神経ネットワークが,後に発達したものに飲み込まれて,当時の記憶を思い出せない「検索の失敗」という2つの理由から子供は大人になってから忘れてしまうらしい。私は「記銘の失敗」の方だと思っていたのだが、こんなきっかけでちゃんと検索された。つららから滴る水のような繊細な表現は、他人の眠った記憶まで呼び覚ますのである。

>>ちなみに、ねずみばあさんが出てくるのはこの本。昔はこの本を開くのことさえも怖かった感覚を思い出した。もうこの表紙が怖かったし、壁のシミ全般怖かった。

 そういえばひとつあった。この本を読む前から記憶していた幼稚園のこと。親同士が仲良かったから、一緒に手を繋いで帰らなければならなかった眉毛げじげじのやたらと顔の濃い男の子。

「大きくなったら結婚するんだー」

って私に言ってた。私は一言もしゃべってないのに、ずっと私に喋り続ける子だった。私はちょっと今思えば憧れのような、近所のお兄ちゃんがいたから、困ったなと思っていた。この記憶はなぜあるのかわからないけど、もしかしたら親が一緒にいたから何回も口伝えされていた出来事かもしれない。私の記憶なのか、親の創作なのか、もはや区別はついていない。

 あと余談も余談で、あの5つぐらい離れた憧れの近所のお兄ちゃんは、私が小学校入学後に見たら、廊下で女の子を4人も両腕にぶら下げて歩いていた。身近だと思っていたのに、彼には全く別の生活があった、と衝撃だった。こういうときのみじめな思いを自分の中で初めて発見して、それに人間社会の上下みたいなものを初めて感じて、もう金輪際こんな思いをしたくないと思ったような気がする。

 話がずれにずれた。これだけとめどなく記憶が蘇ったのである。あのとき私はこういう感情だったのか。だから泣いていたのかって、何十年も経ってやっとわかることとかもこうして稀にある。それが必要かどうかはまた別の話。

 私の息子は何故泣いているのかわからない時がいまだにある。自分でもわかってないかもしれない。しかし誰も証明できない。けど涙が流れるほどの何かの感情が詰まっている。

 泣くといえば思い出すイタリア人の友人がいる。正確には夫の親友のお母さんなんだけれども、いつもイタリアに行くたびに会うし、よく私とメールを送り合っている。(私のイタリア人メールパルの中で一番連絡を取り合っているかもしれない。彼女は早起き遅寝なので、どんな時間に送ってもすぐにメールが返ってくるからびっくりする)この人が非常に涙脆いのである。

 はじめてあったのは夫と結婚前に、彼女が日本に遊びに来てくれたとき。イタリア以外フランスしか行ったことないほぼドメスティックな彼女だが、一念発起、重い腰をあげて来日した。私は本当にイタリア語が話せなかったし、彼女は英語も話せなかったが、まったくそんなことなんのその、関係なしに話しかけてくる。私が一生懸命伝えたいことを辞書で調べながら話していたから、

「あのとき私としゃべるために、いつも辞書で調べて話してくれたのよ!すごいCarinaでしょ!(かわいいでしょ!)」

と、ほんとうに心打たれたわーといまだに何回もそのときのことを思い返して話してくれる。わからないことを調べていただけだったから、そんなこと当たり前だし、むしろカッコ悪くて申し訳ないと思っていたのだが、それが一生懸命な女の子とむこうには伝わったみたいだった。

 彼女が帰国の日、私はとてもうなだれていた。いろいろと考えに考え抜いて、イタリア語が話せない中、一生懸命アテンドしたつもりだったが、とくに食べ物は彼女の満足のいくようなところに連れて行ってあげられなかった。なるべくイタリアでは味わえない和食を味あわせてあげようと思って、いろいろと私のおすすめのお店に連れて行ってあげたのだが、どれも彼女には奇抜すぎて馴染みがなさすぎて、口に合わなかったようなのだ。生卵で食べるすき焼きなんか、生肉が運ばれてきた途端、もう見たくもないという様子であった。私はこの人にとって日本の印象を悪くしてしまった、もう彼女は2度と来てくれないだろうとひどく残念に思って、

「Vieni ancora...(またきてね)」

と言ったとき、もう涙が溢れかえってしまって、夫のシャツで涙を拭こうと彼の背中に顔をうずめてしゃべれなくなってしまった。それを見た彼女も大泣きして、

「泣くなんて思ってなかったのに、なんだか涙がとまらなくなってしまったわ」

とずっとずっと別れる最後まで、私が泣き止んでも泣いていた。

それからというもの、私とイタリアで別れる度に泣いてくれるのである。それがその別れるときが悲しいから、というわけでも無いらしく、おもに

「あのGiapponeで別れたときのことを思い出すのよ」

と泣くのである。涙腺の蛇口がひねられるきっかけは本当に様々である。

 昨日の彼女のメールには

「ねえ、こうやってあなたとメールを交換するのはすごく楽しい。けどね、また会えることができたらどんなに素敵なことでしょう!」

夏に会えることを2人で楽しみにしていたのだ。

そしていつもメールの最後に、Un bacione(大きなキス)を私と夫と息子に送ってくれるのである。


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 彼女は生粋のマルケっ子である。(Marchigianaというと、イタリアではすごい田舎臭い人みたいである)彼女にはZuppa IngreseというDolceを教わった。Zuppa Ingreseって変な名前なんだけれども、要は直訳するとイギリスのスープという意味。名前の由来はよくわかっていないらしい。私はイタリアに行くと本当に良く食べるのでイタリア全土のDolceかと誤解していたのだけれども、どうやら中部イタリア(Marche、Emilia-Romagna、Umbria、Lazioぐらい。もしかしたらToscanaも?)だけのDolceだということを最近知った。イタリアではよくあるLa crema pasticciera(日本で言うカスタードクリームか)とカカオクリームと、アルケルメスという真っ赤なリキュール(フィレンツェのSanta Maria Novella<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の修道院で最初作られたと言われている。銀座などにもある化粧品?ブランドの名前になってる。昔はてんとう虫で赤色に着色していた)をPan di spagna(スポンジケーキ。イタリアでは「スペインのパン」という名前)やSavoialdi(ティラミスなどにも使うサヴォイアルディ)に浸したものと交互に挟んで食べるもの。色がピンクで綺麗で日本にはあまり見かけないタイプのデザートだと思う。例によってイタリアらしいPesanteなデザートだけど、私は大好きでいろんなお店で注文して食べ比べしてしまう。私はSavoialdiに浸したものの方が美味しいと思っているけど、本当はPan di spagnaに浸すほうが元祖っぽい。日本で友達に食べてもらうと「このデザートだけで酔っぱらうね!」って言われることが多くて、もしかしたら名前の由来はイギリス人は酔っ払っているイメージがあったからなのかも。

◉Ricetta

Zuppa Ingrese(ズッパ・イングレーゼ)

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<材料(Ingredienti)>

材料A 

・アルケルメス

・サヴォイアルディ

材料B(crema pasticciera)

・卵黄 5個分

・牛乳 500ml

・砂糖 130g

・米粉 40g

・レモンの皮をすったもの 一個分

・バニラビーンズ

・カカオパウダー 40g

<作り方>

①サヴォイアルディにアルケルメスを少し水で薄めたものを十分に浸す

②Crema di pasticcieraを作る。卵黄と米粉以外を全部まぜて鍋で温める。

③卵黄と米粉を泡立て器でよくまぜて黄色いペースト状のものにする。

④③に②を流し込んで、火にかけながら混ぜる。十分クリーム状になったらできあがり。

⑤④を半分にわけて、半分はカカオパウダーをまぜて、カカオクリームも作る。

⑥ちょうどいい容器に①を敷き詰め、その上にカカオクリームをのせ、Crema di pasticcieraをのせ、また①をのせ、カカオクリーム、Crema di pasticciera、最後にカカオパウダー(分量外)をふるったらできあがり。5時間ぐらい冷蔵庫におくと味が馴染んで美味しい。1日たつともっと美味しい!

Buon appetito!


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