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noteで読める 夢酔藤山「箕輪の剣」

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上州の剣聖・上泉秀綱は、主君・長野業政の命令で里見義堯のいる久留里をめざす。業政の妹が義堯に嫁いで男子を生んだが病死・残された子が、里見に馴染まず箕輪へ戻すことになった。その迎え…
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2024年5月の記事一覧

「箕輪の剣」第2話

「箕輪の剣」第2話

第2話 剣と槍

 上総国へは、武蔵国を横切らねばならない。河越野戦で関東管領上杉憲政が敗れて以来、北条の勢力は、じわじわと広がり、深谷あたりまで侵攻されていた。
 武芸者として旅をすれば、傍目には浪人である。
 北条の兵に咎められても、長野家の者と悟られねば長く留まることはない。それに、北条家も最前線に十分な兵を送り込んではいなかった。詰問は、体裁に過ぎない。
「先生。利根川を下れば、上総はすぐ

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「箕輪の剣」第3話

「箕輪の剣」第3話

第3話 野盗退治

 文悟丸の身支度のため、一夜の猶予が必要だった。
 上泉秀綱一行は、ここ真勝寺に宿が設けられた。里見家には武芸に飢えた者が少なかったが、それでも数名、教えを求めて押し掛けてきた。その相手は、ふたりの供で十分だった。上泉秀綱は正木時茂とともに杯を交わし、北条との戦さのことを尋ねた。
「北条の狙いは武蔵国と安房上総である」
 正木時茂は明言した。
 安房上総を狙うのは、海を挟んで三

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「箕輪の剣」第4話

「箕輪の剣」第4話

第4話 武田の勢

 長野信濃守業政にとって、主君は、関東管領・上杉憲政である。
 たとえ、身は越後へ逃れていても、いつ関東へ戻ってもいいよう、西上野だけは侵略から守り抜くつもりでいた。北条、なにするものぞ。それが、家臣領民一丸となった、箕輪城の団結である。
「くま、くまはいるか」
 上泉秀綱は屋敷内を探したが、くまの姿はなかった。
 岩付で拾って、もう、三年になる。地理感といえば仕方がないが、く

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「箕輪の剣」第5話

「箕輪の剣」第5話

第5話 戦さ

 長野業政が主だった家中を城に集めたのは、翌朝のことだった。上泉秀綱を除けば、殆どが長野一族である。あまり知られたくない話だろうかと、上泉秀綱は思った。
「都の、公方様からの書状である」
 長野業政がぼそりと呟いた。公方とは、室町将軍・足利義輝のことだ。
「して、公方様は、なんと仰せか」
 業正の叔父で厩橋城主の長野宮内大輔方業が身を乗り出した。
 将軍家が、地方豪族へ何かしらの沙

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「箕輪の剣」第6話

「箕輪の剣」第6話

第6話 毘沙門天

 長野業政に関東管領上杉憲政からの使いが来たのは、年号が永禄に改まって、程なくの事だった。その報せに、長野業政は驚きつつも
「妥当なことだろうな」
と、どこかで納得もしていた。
 上杉憲政は、こういっているのだ。
「長尾弾正を養子とし、上杉の名跡と関東管領職を譲る」
 使いの言葉を自然に受け入れている己に、不思議はなかった。どこかで、そういう流れを期待していたのかも知れない。

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「箕輪の剣」第7話

「箕輪の剣」第7話

第7話 関東出陣

 沼田万鬼斎顕泰という男がいる。上杉憲政が北条に負けて越後へ去ったため、沼田家は父子対立の修羅場になった。沼田万鬼斎顕泰は上杉派、その嫡男・左衛門尉三郎憲泰は北条派。万鬼斎は子の憲泰を殺さなければいけない運命だった。その後、北条孫次郎康元が攻め入り沼田を奪った。
 沼田万鬼斎顕泰は主君を追って越後へ逃れることとなった。
 今度の関東出兵にあたり
「先陣を賜りたし」
 沼田万鬼斎

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「箕輪の剣」第8話

「箕輪の剣」第8話

第8話 上州模様

 越後勢は厩橋城まで、僅か一日で押し寄せた。越後勢を迎える筈の上野勢よりも早く、軍勢は厩橋城に殺到した。北条勢は蜘蛛の子散らすように逃散し、越後勢の馬印である
「毘」
の旗幟がはためいた。
 箕輪城より馳せ判じた長野業政は
「なんとも素早いことだ」
と驚き、長尾景虎が本丸に入った半刻遅れで、参上した。
「そなたが信濃守であるな。再三の関東出兵要請に応えられなかったこと、まことに

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「箕輪の剣」第9話

「箕輪の剣」第9話

第9話 小田原へ

 年が明けた。
 越後勢は古河をめざした。ここは、古河公方足利義氏の御所がある。長尾景虎は足利義氏討伐を命じていた。義氏の母は北条氏、傀儡の古河御所だ。腹違いの兄弟・藤氏こそ正統という声に景虎が応じたのである。これを支持したのは、随行する関白近衛前久だ。
 義氏は戦わずして逃亡した。古河を抑えた越後勢は、武蔵国を蹂躙していった。まるで、無人の野を行くが如し、だった。松山城も、た

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「箕輪の剣」第10話

「箕輪の剣」第10話

第10話 後継

 長野業政が病であえなく没したのは、永禄四年(1561)一一月二二日のことである。小田原より戻ってすぐ、体調を崩した業政は、己の死期を悟り、こののちは越後の指図に従い、断じて武田に屈することなきよう、主だった者たちに云い含めた。
 上泉秀綱は切なかった。小田原で会った正木時茂もまた、上総へ戻ってすぐの、四月六日に死んだ。
「みんな、死んでしまった」
 命とは、儚い。残された者は、

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「箕輪の剣」第11話

「箕輪の剣」第11話

第11話 西上野攻防

 武田信玄という武将は、戦国が生んだ魔物といってよい。信濃をおおよそ支配下に握ったのち、信玄は戦線を関東へ向けた。吾妻方面に侵攻した真田の軍勢は、抵抗を圧倒し、やがてこれを制圧した。箕輪のある榛名山麓の北側が、武田の支配下となったのである。
 しかし、これは武田勢のなかで、ほんの一握りに過ぎない。信玄の本命は、駿河だった。武田・今川・北条と同盟を結んでいた三国であるが、今川

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「箕輪の剣」第12話

「箕輪の剣」第12話

第12話 箕輪籠城

 武田勢が最初に殺到したのは、鷹留城だった。城主・長野三河入道業通は数百の兵で籠城したが、多勢に無勢、たちまち城内へ雪崩を打って武田の兵が攻め込んできた。とても、適うものではない。城は落ち、全滅した。この戦いは、箕輪城兵を震え上がらせた。
 長野の家臣・小暮弥四郎が、助命と引換えにさっそく武田方へ内通した。小暮弥四郎だけじゃない、命を惜しむ者たちが、そういう行動に奔った。これ

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「箕輪の剣」第13話

「箕輪の剣」第13話

第13話 箕輪落城

 若田ヶ原はもともと鷹留城との連携上、重要な場所だ。箕輪勢はここで武田勢に野戦を仕掛けた。野戦ともなれば、長野十六槍の腕が存分に揮える。
 が。
 多勢に無勢、戦果は芳しくない。この戦いを最後に、箕輪の兵は籠城に徹した。援軍なき籠城の最後に待つものは死でしかない。ここにいるのは、その覚悟を決めた者だけだった。
 九月二八日。武田信玄は保渡田砦に在城し、総攻撃を命じた。善龍寺を

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「箕輪の剣」第14話

「箕輪の剣」第14話

第14話 あれから

 上泉秀綱。いや、ここからは信綱としよう。一行は、長野業政の墓所である長純寺へ足を運んだ。
「こんなことに、なり申した」
 上泉伊勢守信綱は、城を守れなかった不甲斐なさを詫びた。つい昨日のように、業政が公言した遺言がある。
「我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ

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「箕輪の剣」最終話

「箕輪の剣」最終話

最終話 まろはし

 上泉伊勢守信綱の興した新陰流。途上の剣は、こののち研鑽を重ねて、心技体を鍛える武芸として昇華していく。それは、剣聖に相応しいものであり、その命脈は門下によって、それぞれの解釈に基づく開花をしていった。
 心技体。
 これを鍛えることが、剣の道だ。
 かつて陰流では、心・眼・左足が一致することを極位とした。相手の発する〈気〉と、察して応じる〈心機〉の融合と、変幻自在。これを〈転

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