【街殺し、建築殺し】 沖縄と建築と人類の終わり。
歴史に残る「人類文化の破壊」である沖縄は那覇の「牧志公設市場の再開発」について述べておきたい。
改めて考えれば、この再開発の図面を描き、設計料を貰った人間が居る訳である。
その人間は「建築教育」を受け、「建築士の資格」を持って、
この「文化破壊行為」に加担しているのである。
私は、恥ずかしながらも建築を生業とする者として、この件についてキチンと意思を表明する責務に駆られている。
この再開発が決まったニュースを受けた数年前、私は名残を惜しみに旧公設市場を訪れた。
そして、
振り返れば「レゲエ・ジャパン・スプラッシュin沖縄」に参加する為に沖縄へ初めてやって来た1990年代に遡る。
初めての沖縄、那覇に着いて友人達と最初に昼飯を食べに訪れたのが旧公設市場であった。
溢れんばかりの生肉、生魚、野菜。
迷宮の様に入り組んだ通路を行き交う人々。
それらの衝突が生み出す混沌のエネルギー。
私は、
その「人間と建築が共同で生み出した最高のカオス空間」に魂が震えた。
つまり、人間による建築の「魔改造」である。
実はその最初の沖縄訪問の際に、かの世界的建築家が設計したビル「フェスティバル」も訪問している。
建築雑誌でも数多く取り上げられた有名「作品」である。
それから随分と経ってから再び沖縄にやって来て、何となく国際通りのドンキホーテに入った。
上の階まで行って階段で降りて来る際に、
「妙に気持ちのいい吹抜け空間だなあ、、」と思っていたら、なんとかつての世界的建築家の作品「フェスティバル」ビルであった。
「著名建築家先生の作品」などというリスペクトなど1ミリも無い「魔改造」っぷりである。
私は痛快な気分になった。
この世界的建築家と言えば「自分の設計した住宅の椅子まで指定してくる」という伝説のある巨匠である。
その巨匠先生の「作品」が、コテンパンに「カオスに乗っ取られて」いるのである。
何というか「生き物としての人間」の勝利を感じたのである。
総じて、建築家先生の「作品」は「魔改造」への耐性が無いようだ。
最近の話なら、かの瀬戸内海に浮かぶ直島の港のターミナルという著名建築家の「作品」が、「貼り紙一枚貼れない」というニュースで話題になったのが記憶に新しい。
逆に、旧公設市場には「貼り紙の千枚や二千枚では全くびくともしない」許容力があった(いやむしろ、貼れば貼るほど「場」のエネルギーが増していくのだ)。
それは「人間と建築が共に作り上げた」カオスの力であり、それは年月と共にワインの様に熟成された芳醇である。
例えば、公設市場裏側の「せんべろゾーン」にも同様の「美しさ」がある。
その「美しさ」は、イタリアはローマのパンテオンの天空から注ぐ光と何ら遜色ないものだ。
そんな「一度破壊したら二度と取り戻せない宝」を破壊し、
新しい公設市場がオープンした(あまりに酷いので画像は載せません)。
私は恐々、中に入った。
煌々と光るLED照明、新しいビニルシートの床、新たに導入されたエスカレーター、ピカピカの壁、気持ち悪く広がった通路、、、
全てがゲンナリする要素であったが、よくよく見ればオープン1週間にして床はびしょびしょ、店は貼り紙だらけ、全くオシャレでないオバァが相変わらず声を張り上げている。
私は心の中で(もっとやれー!!!)と叫んだ。
もっともっと建築をカオスで埋め尽くしてしまうのだ、
跡形も残らない程に。
旧公設市場の「美しさ」には永久に到達出来ないが、
少しだけ「希望」は感じる事が出来た。
それは「生き物としての人間」の可能性とも言えるものであった。
すなわち「生き物が自然物を改変して棲まう」という「建築」の根源的な在り方への回帰である。
沖縄には「ホテル・ムーンビーチ」や「那覇市庁舎」という近代建築の名作がある(どちらも建築家・国場幸房の設計)。
これらの建築に共通するのは
「建築が再び自然(緑)に侵食される事を前提にしている」
感覚である。
その佇まいは、ある種「廃墟」に似ている。
「人類が滅んだ後に自然に戻ろうとする途中の建築」
なのだ。
「経済」や「用途」から解放された建築。
そこへ「絶滅から生き残った人間たちが棲み込み、新たな営みをそこで始める」、、、
なんて想像が膨らむ、
人間と建築の「自由」な関係がそこにはあるのだ。